私の知る限りでラカンは「症状のない主体はない il n'y a pas de sujet sans symptôme」と直接的に言っているわけではない。晩年のいくつかの発言から現代ラカン派がそう翻訳しているということだろうと思う。 以下、まず三つの注釈文を掲げる。 |
固着とは、フロイトが原症状と考えたものであり、ラカン的観点においては、一般的な性質をもつ。症状は人間を定義するものである。そしてそれ自体、修正も治療もできない。これがラカンの最後の結論、すなわち「症状のない主体はない」である。( Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way. by Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq , 2002) |
エディプス・コンプレックス自体、症状である。その意味は、大他者を介しての、欲動の現実界の周りの想像的構築物ということである。どの個別の神経症的症状もエディプスコンプレクスの個別の形成に他ならない。この理由で、フロイトは正しく指摘している、症状は満足の形式だと。ラカンはここに症状の不可避性を付け加える。すなわちセクシャリティ、欲望、享楽の問題に事柄において、「症状のない主体はない」と。 これはまた、精神分析の実践が、正しい満足を見出すために、症状を取り除くことを手助けすることではない理由である。目標は、享楽の不可能性の上に、別の種類の症状を設置することなのである。フロイトのエディプス・コンプレクスの終着点(「父との同一化」)の代りに、ラカンは精神分析の実践の最終的なゴールを「症状との同一化」とした。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, New studies of old villains, 2009) |
ラカンの教えにおける症状概念は、進化することを止めない。そして最終的にラカンは「症状のない主体はない」を置いた。この意味は、症状はたんに障害・不調であるどころか解決法だということである。La conception du symptôme n'a cessé d'évoluer dans l'enseignement de Lacan et, au terme, Lacan pose qu'il n'y a pas de sujet sans symptôme, ce qui implique que le symptôme, loin d'être simplement un désordre, une perturbation, est aussi une solution. (コレット ・ソレールColette Soler, Les affects lacaniens, 2011) |
次に晩年のラカンの発言を掲げよう。
四番目の用語(リアルな症状)のどんな根源的還元もない。それは分析自体においてさえである。というのは、フロイトが…どんな方法でかはわれわれはわからないが…言い得たから。すなわち原抑圧[Urverdrängung] があると。決して取り消せない抑圧である。この穴を包含するのがまさに象徴界の特性である。そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。 Il n'y a aucune réduction radicale du quatrième terme. C'est-à-dire que même l'analyse, puisque FREUD… on ne sait pas par quelle voie …a pu l'énoncer : il y a une Urverdrängung, il y a un refoulement qui n'est jamais annulé. Il est de la nature même du Symbolique de comporter ce trou, et c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même. (Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
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ーー「四番目の用語」をリアルな症状としたのは、次のような質問への応答としてあるから。 リアルな症状とは「ボウヤ向け」で示したように「固着」のことである。フロイトの原抑圧は、事実上「固着」である。
この前提で次の話を読もう。 |
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分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである。 Alors en quoi consiste ce repérage qu'est l'analyse ? Est-ce que ça serait ou ça ne serait pas s'identifier… s'identifier en prenant ses garanties, une espèce de distance …s'identifier à son symptôme ? それは何を知ることを意味するのか? ーー症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。 Alors qu'est-ce que ça veut dire connaître ? Connaître veut dire : - savoir faire avec ce symptôme, - savoir le débrouiller, - savoir le manipuler. […] c'est là la fin de l'analyse. (Lacan, S24, 16 Novembre 1976) |
というわけで、分析の終わりとは、ラカンにとって「固着との同一化」であり、それに同一化しつつも距離を取ることとなる。
フロイトの用語遣いにおいて「同一化」とは距離を置くに近い意味もある。
母との同一化は、母との結びつきの代替(除去)となりうる。Die Mutteridentifizierung kann nun die Mutterbindung ablösen(フロイト『精神分析概説』第7章、死後出版1940年) |
ーードイツ語のablösenは、英語のreplace であるとともにremoveという意味があるようだ。 |
まともなラカン派注釈者たちが現在強調しているのは固着であることは「四人の注釈者による固着文献」で示した通り。
フロイトは固着ーーリビドーの固着、欲動の固着ーーを抑圧の根として位置づけている。Freud situait la fixation, la fixation de libido, la fixation de la pulsion comme racine du refoulement. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
分析経験の基盤は、まさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。 fondée dans l'expérience analytique, […] précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
精神分析における主要な現実界の顕現は、固着としての症状である。l'avènement du réel majeur de la psychanalyse, c'est Le symptôme, comme fixion,(コレット・ソレールColette Soler, Avènements du réel, 2017年) |
ーー《欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧(固着)と関係がある。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.[…]La relation de cet Urverdrängt》(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
以上、現代ラカン派の核心的テーゼ、《症状のない主体はない il n'y a pas de sujet sans symptôme》とは、第一に、「固着のない主体はない」であり、第二に、固着の穴(トラウマ)に対してみな別の症状で防衛しているということになる。
この防衛を最後のラカンは「妄想」と呼んだ。
フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。Freud[…] Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978) |
「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。この意味はすべての人にとって穴があるということである Tout le monde est fou […] Ça pointe vers un au-delà de la clinique, ça dit que tout le monde est traumatisé, […] Et ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou. (J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
ところで固着とは具体的には何だろう、と問う人もいるだろうから、フロイトが示している主要な表現群を列挙しておこう。
最後の二つと原トラウマは蚊居肢散人の「趣味」としては核心であり、「症状のない主体はない」とは、究極的には「オメコへの固着のない主体はない」ジャナイダロウカ・・・そしてラカンは同一化しつつ距離を取ることと言っているが、フロイトによればとっても難しいしそれが実際じゃないだろうか。
「欲動要求の永続的解決 dauernde Erledigung eines Triebanspruchs」とは、欲動の「飼い馴らし Bändigung」とでも名づけるべきものである。それは、欲動が完全に自我の調和のなかに受容され、自我の持つそれ以外の志向からのあらゆる影響を受けやすくなり、もはや満足に向けて自らの道を行くことはない、という意味である。 しかし、いかなる方法、いかなる手段によってそれはなされるかと問われると、返答に窮する。われわれは、「するとやはり魔女の厄介になるのですな So muß denn doch die Hexe dran」(ゲーテ『ファウスト』)と呟かざるをえない。つまり魔女のメタサイコロジイDie Hexe Metapsychologie である。(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第3章、1937年) |
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さらにこうも引用しておこう。
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いずれにせよ、男も女もオメコという「世界の起源」のまわりを死ぬまで循環運動しているのが、私には人の生ノヨウニミエル・・・
対象aの起源、喪われた対象aの機能の形態、〔・・・〕それは永遠に喪われている対象の周りを循環すること以外の何ものでもない。l'origine […] la forme de la fonction de l'objet perdu (a), […]à contourner cet objet éternellement manquant. (ラカン, S11, 13 Mai 1964) |
例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を示す。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance (ラカン、S11、20 Mai 1964) |
なおフロイトにおいて固着の機制にはポジ面とネガ面があり、ポジ面は固着の対象を再生させようとする試み、ネガ面は「回避」ーー「制止」と「恐怖症」ーーである(参照)。