ああきみ、ドゥルーズの超自我の捉え方は完膚なきまでの誤謬だよ。私は「ドゥルーズの大きな欠陥」という記事をつい最近書いているから参照されたし。要するに超自我はドゥルーズ の言っているようなものではまったくない(あるいは、柄谷行人の憲法超自我論ーー「憲法9条は超自我のようなものです」ーーでもまったくない)。
と同時に「ドゥルーズという「精神分析界の天才」」という記事も書いている。この記事で示したドゥルーズの表現「強制された運動の機械」とは、固着による無意識のエスの反復強迫と等価であり、これが超自我の欲動にダイレクトにかかわる(参照)。
ドゥルーズは原抑圧が固着であることには気づいていた。だが「大きな欠陥」で示したように「自我理想=超自我」という大きな誤読をしているせいもあり、「超自我=原抑圧」である可能性に対してはまったく思慮外だった。これは1960年代後半のことゆえ止む得ないにしろ、超自我の欲動が「強制された運動の機械」でありうることを少しでも感知していたら、1970年代の仕事で、自由に流体する欲望機械やらアンチオイディプスの場の自由などという甚だしい誤謬が世界に流通することはなかっただろう。それは繰り返せば、むかしのこととて止む得ない。
最大の不幸は、現在になってもドゥルーズ研究者たちはそのことがまったくわかっていないように見えることだ。こういった連中の博士論文だかを鵜呑みにして何やら言ってくる貴君のようなマヌケがいまだウヨウヨしてるようだからな。
そういえばーー私は一切触れたことがないがーー日本には次のようなことを言っているトッテモ阿呆だってまだいるようだからな。