このブログを検索

2020年12月6日日曜日

私は真のフェティシズムを愛している

 



フェティシズム[le fétichisme]は、最古代には、われわれ人間存在の基盤[la base de notre existence humaine]であった。だがもはや偽装されていない形態[forme non déguisée.]でフェティシズムに満たされる機会はめったに見出せない。…われわれは変質されたフェティシズム[fétichisme transposé]にしがみついているだけなのだ。それは、われわれを深く動かすフェティシズムの貧しい見せかけ[faux semblant]に過ぎない。そしてこの粗悪なフェティシズム[mauvais fétichisme ]がわれわれの活動に浸透している。真のフェティシズム[fétichisme véritable]ににとっての場処はほとんど残されていないのだ。


芸術作品の領野で、その多寡はあれ真のフェティシズムの要求に応えてくれるオブジェ(絵画あるいは彫刻)はほとんど見出せない。真のフェティシズム、つまり愛ーー真に夢中にさせてくれるもの[réellement amoureux]ーーだ、われわれ自身を内部から外部へと投射し[projeté du dedans au dehors ]、硬い殻で覆いうもの、…空間と呼ばれる広大な異郷の部屋[la vaste chambre étrangère qui s'appelle l'espace.]のなかで、われわれが使いうるひとつの家具のように。〔・・・〕


水滴、愛らしく小さな透明の球体、それがわれわれに最小限の形式を呼び起こす。もし涙が零れ落ちなくても、この湿り、この流体は、四肢のなかに流れる甘美さに相通じる。そう、それは愛するときだ、あるいは愛撫されるのを感じるだけでのときでさえ。


現在、たちの悪い退屈を免れる作品を創造する芸術家はほとんどいない。過去にはさらに少なかった。しかしこの掟から逃れる特権をもった稀有の同時代人のなかから、われわれはジャコメッティを持ち出すことができる。


危機と呼ばれる瞬間がある、唯一、人生において重要な瞬間である。外部が、突然応答するように見えるのだ、前方から内部へと投げ返される何ものかへの応答。外部の世界は、われわれの心との遭遇に開かれ、突然その心とのコミュニケーションが設置される。


私は、自らの人生に置いてこの審級に属するいくつかの記憶をもっている。そしてすべては些細な外観のなかにある出来事に関係する。象徴的価値を剥ぎ取られた出来事だ。…ポエジーはそのような危機からのみ自らを表出す[La poésie ne peut se dégager que de telles crises] 。そしてその等価物を備える作品のみが重要である。


私はジャコメッティの彫刻を愛している [J'aime la sculpture de Giacometti]…これらはわれわれが偶像化しうる真のフェティッシュ[vrais fétiches]である(真のフェティッシュ 、つまりわれわれに似た、われわれの欲望の具象化された形態[la forme objectivée de notre désir]だ)。優美かつフモールを帯びた生のそれのように驚くほど生き生きとしており、感情に訴える両義性の美しい表現、人が常に養う繊細なスフィンクスであり、われわれ自身の核の内密さを備えている。


私に期待しないでほしい、これらの作品を疑問の余地なく彫刻と呼ぶことを。私は「さまよい DIVAGUERU」と呼ぶことを好む。なぜなら、これらの美しいオブジェクトを私は見つめて触ることができるから。そして私のなかにある多くの記憶の発酵[fermentation]を活性化するのだ。


これらの彫刻のいくつかは、へらのように、あるいは虚ろな果実のように、凹んでいる、他のものは開かれた作品で大気が通う、あたかも扉を内部と外部のあいだで動かし通すように。風が蠢くのを覆っている、図り知れない黒いつむじ風のなかにわれわれを包む隠された風を。これら途方もない刻限がわれわれを狂気にさせる[ces minutes inouïes qui nous font délirer]。(ミシェル・レリス Michel Leiris, « Alberto Giacometti », ドキュマンDocuments, n°4, sept. 1929)






ジャコメッティは、まさに最後まで『ドキュマン』の記事を保持していた。それは、バタイユが1929年から1930年に出版したもので、ジャコメッティの作品に捧げられた最初の記事(ミシェル・レリスによる)が含まれている。(Christian Klemm, Alberto Giacometti, MOMA出版、2001)







※付記


《トラウマ》は日常言語の言葉になっている。だが出発においてのトラウマの語源は「傷を癒す」である[au départ, son étymologie est « guérir la blessure »]。ジャック=アラン・ミレールはミシェル・レリスの『闘牛鑑 L'Âge d'homme』について話していた。レリスは4歳で、テーブルの縁についていた。彼の母がとてもブルジョワ風にお茶を飲んでいた。彼はティーカップで遊び、突然起こるべきことが起こりカップが落ちた。レリスは目を瞠り、カップが割れるのを見て言った、《腹立つ![ …'reusement ! ]》。母はレリスに言った、《違うわ、可愛い坊や、幸運よ[nn mon chéri, Heureusement]》。そしてこれが彼の生のトラウマである。これが作家としての彼の生を決めた。トラウマを引き起こすものは、ときに、口にされたわずかなフレーズである。たんに大きな恐怖ではない。[il lui sort : « …'reusement ! ». Et sa mère lui dit « non mon chéri, Heureusement », et c'est le trauma de sa vie, ça décide de sa vie d'écrivain. Ça m'évoque que ce qui fait trauma c'est parfois une petite phrase dite, c'est pas simplement le grand effroi.](Georges Haberberg,« Traumatismes »2018)

最終的に、精神分析は主体のララング(母の言葉)を基盤にしている。ミレールは厳しくララングと言語を区別した。主体の享楽の審級にあるのは言語ではなくララングだと[ce n'est pas le langage qui met en ordre la jouissance du sujet, mais lalangue]。たとえばミシェル・レリスの « …reusement »である。ミレールはこのレリスの事例を何度も注釈している。これを通して、精神分析は言語の物質性[motérialité]を見出だす。ある言葉との出会いの偶然性があるとき、《1の身体の孤独において享楽を引き出す[retirent la jouissance dans la solitude du Un-corps]》。そして知の外部の場に位置付けられたその場を《人は何も知らない[où on n'en sait rien] 》(ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen 「一般化フェティシズムの時代の精神分析 PSYCHANALYSE AU SIÈCLE DU FÉTICHISME GÉNÉRALISÉ 」2010年)



ーー最初の文のトラウマは最も基本的には反復強迫するものという意味で捉えられる(参照)。