何度か引用しているが、ジジェクの次の指摘は決定的だよ。
如何にコミュニティが機能するかを想起しよう。コミュニティの整合性を支える主人のシニフィアンは、意味されるものがそのメンバー自身にとって謎の意味するものである[the master signifier that guarantees the community's consistency is a signifier whose signified is an enigma for the members themselves] |
誰も実際にはその意味を知らない。が、各メンバーは、なんとなく他のメンバーが知っていると想定している、すなわち「本当のこと」を知っていると推定している。そして彼らは常にその主人のシニフィアンを使う[nobody really knows what it means, but each of them somehow presupposes that others know it, that it has to mean “the real thing,” and so they use it all the time. ] |
この論理は、政治-イデオロギー的な絆において働くだけではなく、ラカニアンコミュニティでさえも起る。集団は、ラカンのジャーゴン(専門用語)の共有使用ーー誰も実際のところは分かっていない用語ーーを通して(たとえば「象徴的去勢」あるいは「斜線を引かれた主体」など)、集団として認知される。誰もがそれらの用語を引き合いに出すのだが、彼らを結束させているものは、究極的には共有された無知である[what binds the group together is ultimately their shared ignorance](ジジェク, THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE、2002) |
このジジェクの発言はジジェク自身にも向けなければならない、たとえばスロベニア三人組(ジジェク、ジュパンチッチ、ドラ―)に対して。あるいはバディウジジェク組に対して。 |
パンドラの箱があまりにも長く開けられている。われわれは今、ジジェクをもっている。私のセミネールで彼に教えた基本原則を使って、ラカンを「ジジェク化」する彼だ。われわれはバディウをもっている。ラカンを「バディウ化」する彼だ。全くよくない。われわれは、パンドラの箱をもう一度閉じる時だ。 Mais la boîte de Pandore est ouverte depuis longtemps ! Vous avez Zizek qui zizekise Lacan depuis qu'il a appris les rudiments de la doctrine jadis, à mon séminaire de DEA. Vous avez Badiou qui badiouise Lacan, et ce n'est pas joli joli. Il s'agirait plutôt de la refermer, la Pandora's Box.(ジャック=アラン・ミレール 、Eve Miller-Rose et Daniel Roy, Entretien nocturne avec Jacques-Alain Miller, 2017年, PDF ) |
もちろんミレールが主導する「フロイト大義派」のコミュニティに対しても。日本であれば、たとえばラカン協会の集団も同様。ボクがあの集団の連中をときにバカにするのはこの文脈にある。とくに「享楽」に関して共有された無知が甚だしい。享楽などと言わずにも、ラカンの主体$って何だい? と問うてみれば、すぐ化けの皮が剥がれるよ。 他にもたとえば政治学者のコミュニティに問うてみればよい。君たちのいう「民主主義」とはなんだい? と。 これまた何度も引用しているが、老いも若きも蓮實の言っている次の態度が大切だよ。 |
若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞2017年1月1日号) |
共有された無知と言わないでも、何かを読んで頷いたとする。そのとき取るべき態度は、この納得や共感は次のせいじゃないかとまずは疑うことだな。自戒としても言うがね。 |
浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(小林秀雄「林房雄」) |