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2021年2月18日木曜日

批判の対象を面白がる

 

少し前、柄谷行人が「浅田彰は僕の父だ」とどこかで言っていたと記憶すると書いたが、正確ではなかった。別のことを調べているときに、ふと行き当たったので引用しておく。


柄谷)浅田君がしゃべったあとで、彼は小児的資本主義について語り、また外見上小児的にみえるけれども、僕よりも大人である、というようなことをいったら、聴衆が笑ってましたけど、冗談ではなくて本当なんですよ。僕はいつも彼に庇護されているという気がする(笑)。(『闘争のエチカ』蓮實重彦-柄谷行人対談、1988年)



この二人の対談は今は昔の時代ーー日本経済が世界に注目され、日本の知識人が世界に講演に出かけた時代、だがわずか30年前の話だが、ほかにもとても面白い箇所があるので、前後を含めてもう少し長く引用しておこう。


柄谷)この前ボストンでの「日本のポストモダン」をめぐるワークショップで、浅田彰が、コジェーヴが日本についてスノビスムとよんでいるものと、「小児的資本主義」が対応するようなことをしゃべっていたのですが、そもそも「小児」には他者がないからね。しかし、「小児的資本主義」が最終的段階であると、僕は思わないですね。


蓮責)そう。それをたとえば浅田彰が日本的と言ったとき、彼は一種の在日日本人として言うわけです。そのことを外国人と一緒に裏付けようという話でしょう。そんなことを言っても、日本にはなんの役にも立たないし、皆それがどうしたという話で終わっちゃうわけだけれども、浅田君の話は、彼はヨーロッパ的資本主義を老人的と言い、アメリカ型を大人的と言い、日本型を小児的と言い、ポストモダン性というのは、その子供がさらに胎内に戻ってしまうようなイメージとなるわけですが、そうした指摘は文化理論なんですけども、結局はユングなんですよ。最後は曼荼羅的なものになるというんで、曼荼羅批判をするわけだけども、つまり彼は、いまの日本の状況を小児的資本主義と言うことによって、何を殺しているかというと、フロイトを殺すわけですよ。フロイトを殺して、そしてユング的な世界で、いまの人間の退行状態というものを、母胎まで返らしてしまう。もちろん彼はそれを批判する目的で言うわけでしょう。批判するために言うんだけれども、批判するときにユングを使うと、こんどはユングの方が、生き生きと魅力的に見えちゃうんですよ。生き生きと見えてしまったユングというのを、彼はおぞましいものであると最終的には否定するんだけれども。

〔・・・〕

蓮實)何事でもそうだと思うんだけれど、たとえば、あることを批判するには、それを楽しめなければいけない。ところが浅田氏の場合は、きまって批判の対象の方を面白がっているところがある。

柄谷)そうですね。


蓮實)やっぱり小児的資本主義が面白くて、たまんなく好きなんですよ。


柄谷)そうなんだ。しかし、それは彼が小児的ではないからですね。

僕の方が小児的です(笑)。小児的人間は、小児性を自己嫌悪するからね。実は、さっきいったボストンでのワークショップのほかに、アジア学会のシンポジウムでもしゃべらされたのですが、浅田君がしゃべったあとで、彼は小児的資本主義について語り、また外見上小児的にみえるけれども、僕よりも大人である、というようなことをいったら、聴衆が笑ってましたけど、冗談ではなくて本当なんですよ。僕はいつも彼に庇護されているという気がする(笑)。


蓮實)浅田氏は、そのパースペクティヴとしては必ずユングを否定的に使うわけです。パリでの最初の講演のときの曼荼羅批判にしてもそうだけれど、日本を一つのフィクションとしてユング的世界に見たてた上でこれを否定する。ところがその否定の対象に心情的な愛着を示してしまい、ときには顕揚に近い態度が透けて見えてしまう。だから、彼に対する批判というかイヤミとしては「黙れ、隠れユング!」の一言でいいわけです。そう理不尽にいいつのるという戦略はかなり面白いと思うんだけど、反浅田派が誰もやらないのは不思議だな。

(『闘争のエチカ』蓮實重彦-柄谷行人対談、1988年)



《批判の対象の方を面白がっている》とあるが、以下にも、《最終的に否定さるべき批判の対象とかなり快く戯れ(る)》等々あり、これは対象に深くかかわると、少なくともある種の人には起こっても不思議ではないのではないか。私もいくらかその傾向があるかも知れない。


蓮實)これは、あとで批評の問題を語るときに出てくる話だと思うけど、浅田彰の言説を特徴づけるものとして、最終的に否定さるべき批判の対象とかなり快く戯れて、ことと次第によっては、自分がその「絶対的スノビスム」であることも恐れないといったところがあり、それがいわゆる若手の文芸批評家ともと彼との絶対的な違いなわけです。つまり、浅田彰はその点で間違いなく優位にあるんだけれど、その優位を彼は余裕をもって遊ぶんで、批評家としての拡がりが出ると同時に、否定と肯定の揺れ動きも大きくなって、たとえば否定さるべきボスト・モダン状況というのを率先して楽しんじゃっているというところがある。

柄谷)あります。


蓮實)たとえば小児的資本主義という概念にしても、そういうユング的な退行概念というものをつくり出したということは、やはり非常に彼にとっては、快いことだし、面白いことなんですよ。このような状況に達した日本の資本主義というものは唾棄すべきものであって、やはり否定されねばいけないというんだけれど、そこがむしろ虚ろに響くのね。もっと面白いから、これでいこうじゃないかという感じがある。


それで、現代日本というものが、ポスト・モダンなのか、それで現代が超えられてるのか、それはともかくとして、ほんとうは、こういうものだよということを文化的な水準の言葉に置き換えて、彼は外国人にわからせようとすることに非常に熱心でしょう。これはなんなんでしょうね。結論として彼も日本が一番進んでいると誇っているように見えてしまう。


柄谷)ある点ではそう考えているんじゃないかな。


蓮實)まわりの日本人や外国人が馬鹿なんで自分ひとりがサーヴィスしなければいけないという義務感があるのかもしれないけれど、そこまでは見せてやっちゃまずいという感じが、僕はある。これは日本のためにも世界のためにもよくないことじゃないかという気がするんですね。


柄谷)やはりモデルとしてであれ、イデアル・ティプス(理念型)としてであれ、段階でものを見ると共時的な横の関係、いわば、パラディグマティックな関係が消えるでしょう。アメリカでも、その点ばかり皆が浅田君に批判を向けていましたね。どこへ講演に行っても同じことが質問に出るものだから、面倒くさいので、僕も助太刀したことがありましたけれどもね。それはモデルなので、べつに歴史的な事実に対応させなくてもいいのだ、と。 (『闘争のエチカ』蓮實重彦-柄谷行人対談、1988年)




ここで最近の浅田彰の発言をひとつ掲げておこう。


─ ─ちまたでは 、八三年に浅田さんは 『構造と力 』の出版によって大衆消費社会の知的ヒーローとして華麗に登場したものの 、柄谷さんの 「批評とポスト・モダン 」 (八四年 )における有名なポストモダン批判を読んで態度を改め 、以後ふたりの盟友関係が徐々に築かれてゆく 、といった神話がまことしやかに語られているのですが ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 


浅田)うーん 、 「批評とポスト・モダン 」をそんなに深刻に受けとめた覚えはないです ね ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。とにかく 、 『構造と力 』を出したとき 、おもに考えていたのは 、さっき言ったよ うに全共闘世代が主体主義的・疎外論的な隘路に入ってしまったあと 、いかに風通しのいい開かれた場所に出て行くか 、ということでした 。

主体を革命的に純化するため 、あえて 退路を断って背水の陣を敷くなどというのはくだらない 、そんな闘争に明け暮れるよりさっさと 「逃走 」して横にズレていくほうがいい、と 。その点では 、資本主義を全否定して閉じたコミューンに回帰するより 、資本主義のダイナミズムをある意味で肯定し 、さらに多様化する方向で考えるべきだ 、と 。全共闘世代からは資本主義の走狗として批判されたこともあるし、いまから振り返ってもバブル経済の寵児として批判されることもある 。そういう批判は 、 あるていどは受けとめざるをえない 。ただ 、当時の状況においては 、全共闘的イデオロギ ーを切断することのほうが緊急の課題だと思えたし 、レーニンの言うように 、曲がった棒を元に戻すには逆方向に倍くらい曲げないといけないから ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。  (浅田彰2016 年:インタビューゲンロン「マルクスから (ゴルバチョフを経て )カントへ ─ ─戦後啓蒙の果てに 」浅田彰 ーー聞き手 │東浩紀)