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2021年3月20日土曜日

深淵は女自身である


さて前回示した図にさらにもう一段付け加えよう。モノの享楽とファルス享楽である。




まず「女と無と穴とモノ」で示したように、穴の享楽[la jouissance du trou]はモノの享楽[la jouissance de La Chose]とも呼ばれる。このモノとは喪われた対象という意味をもっており、これが享楽の対象である。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ。La Chose freudienne […] ce que j'appelle le Réel (ラカン, S23, 13 Avril 1976)

ラカンが認知したモノとしての享楽の価値は、穴と等価である。La valeur que Lacan reconnaît ici à la jouissance comme la Chose est équivalente à l'Autre barré [Ⱥ] (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)

享楽の対象としてのモノは喪われた対象である。Objet de jouissance …La Chose …cet objet perdu(Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)


フロイトラカンにおいて究極の「喪われた対象=モノ」は母胎である。


例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance (ラカン、S11、20 Mai 1964)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)


この享楽の対象を求める欲動は、男女ともにある。とはいえ、股の間に喪われた対象の代理品を抱えている女性のほうにより本質的な関係性がある。


さて次にファルス享楽である。これは通念としては男性側の享楽である。だがラカンにおいてファルスの核となる定義は「言語」である。


ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない。Die Bedeutung des Phallus  est en réalité un pléonasme :  il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus.  (ラカン, S18, 09 Juin 1971)

言語、法、ファルスとの間には密接な結びつきがある。父の名の法は、基本的に言語の法以外の何ものでもない。法とは何か? 法は言語である。Il y a donc ici un nœud très étroit entre le langage, la Loi et le phallus. La Loi du Nom-du-Père, c'est au fond rien de plus que la Loi du langage ; […] qu'est-ce que la Loi ? - la Loi, c'est le langage.  (J.-A. MILLER, - L’Être et l’Un,  2/3/2011)


つまりパロール享楽(話す享楽)はファルス享楽なのである。


ラカンは、大胆かつ論理的に、パロール享楽をファルス享楽と同じものとしている。ファルス享楽が身体と不一致するという理由で。jouissance de la parole que Lacan identifie, avec audace et avec logique, à la jouissance phallique en tant qu'elle est dysharmonique au corps. (J.-A. Miller, L'inconscient et le corps parlant, 2014)


実際のところ、男性よりも女性のほうがパロール享楽によりいっそう耽けるのは、日常的観察からも確かだろう。


女が、自然、欲動、身体、ソマティック等々を表わし、他方、男は文化、象徴的なもの、プシュケーを表わす等々。しかしこれは、日常の経験からも臨床診療からも確められない。女性のエロティシズムやアイデンティティは、男性よりもはるかに象徴的なものに引きつけられているようにみえる。聖書が言うように、またそうでなくても、女は大部分、耳で考え、言葉で誘惑される。(ポール・バーハウPaul Verhaeghe、Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender、2004)


こうして冒頭に示した図が正当化される。再掲しよう。




なぜ女性はこれほど複雑なのだろう。


これを言ってはオシマイのところがあるにせよ(?)、やはりナゼカこの際言わざるをえない。要するに子宮不安、ヴァギナ不安である。


女が事実上、男よりもはるかに厄介なのは、子宮あるいは女性器の側に起こるものの現実をそれを満足させる欲望の弁証法に移行させるためである。Si la femme en effet a beaucoup plus de mal que le garçon, […] à faire entrer cette réalité de ce qui se passe du côté de l'utérus ou du vagin, dans une dialectique du désir qui la satisfasse  (Lacan, S4, 27 Février 1957)

ヒステリーにおけるエディプスコンプレクス何よりもまずヒステリーは過剰なファルス化を「選択」する、ヴァギナについての不安のせいで。the Oedipus complex in hysteria,…that hysteria first of all 'opts' for this over-phallicisation because of an anxiety about the vagina. . (PAUL VERHAEGHE,  DOES THE WOMAN EXIST?, 1997



もちろん男にも子宮不安、ヴァギナ不安はある。



(『夢解釈』の冒頭を飾るフロイト自身の)イルマの注射の夢、…おどろおどろしい不安をもたらすイマージュの亡霊[la révélation de l'image terrifiante, angoissante]、私はあれを《メデューサの首 la tête de MÉDUSE》と呼ぶ。あるいは名づけようもない深淵の顕現と[la révélation abyssale de ce quelque chose d'à proprement parler innommable]。


あの喉の背後には、錯綜した場なき形態、まさに原初の対象[l'objet primitif]そのものがある…すべての生が出現する女陰の奈落[abîme de l'organe féminin]、すべてを呑み込む湾門であり裂孔[le gouffre et la béance de la bouche]、すべてが終焉する死のイマージュ[l'image de la mort, où tout vient se terminer ]…(ラカン、S2, 16 Mars 1955)


とはいえこの深淵を日常的により強く感知するのはーーそれが多くの場合、無意識的であるかも知れないがーー、女性のほうに決まっている。


女の身体は冥界機械 [chthonian machin] である。その機械は、身体に住んでいる魂とは無関係だ。…The female body is a chthonian machine, indifferent to the spirit who inhabits it. (カミール・パーリア camille paglia「性のペルソナ Sexual Personae」1990年)

私は考える。想像力ーー赤い洪水でありうる流れやまないものーーを騒がせるのは、経血自体ではないと。そうではなく血のなかの胚乳、子宮の切れ端し、女の海という胎盤の水母である。


これが、人がそこから生まれて来た冥界的母胎である。…女の宿命とは、毎月、時と存在の深淵に遭遇することである。深淵、それは女自身である[Every month, it is woman's fate to face the abyss of time and being, the abyss which is herself](カミール・パーリア camille paglia「性のペルソナ Sexual Personae」1990年)



さてこう記して何が言いたいのだろうか。何よりもまず次のことだ。男性諸氏は、女性のパロール享楽、被愛妄想的享楽、ヒステリー的享楽をバカにする傾向がこの時代でもいまだないではないだろう。私もそのケがいくらかあるのを認めるのに吝かではない。だがそれはヴァギナに対する防衛としての現象の相が大いにあるのであり構造的な問題である。人がこの数回にわたって記したことを受け入れるなら女性のパロール享楽等を侮るのを是非とも慎まねばならない。もちろん男性におけるフェティッシュ的享楽もメデューサの首の穴埋めという構造的必然であり女性陣がバカにしないことを切に希望する・・・


理論的根拠となる文のエキスを再掲しておこう。


ラカンは両性にとっての幻想の式を[$ ◊ a]と記した。Lacan…écrit S ◊ a pour les deux sexes. 〔・・・〕


しかし、もし性差にしたがって割り当てるなら、この定式は特に男性に適合している。他方、女性の側は、この小さなフェティッシュ(a)を斜線を引かれた大他者Ⱥに代替することが望ましい(すなわち女性の式は[$ ◊ Ⱥ])。

Mais, si elle est répartie selon les sexes, cette formule vaut spécialement pour l'homme, tandis que, du côté femme, il convient de substituer à ce petit a fétiche et muet le A barré,。〔・・・〕

われわれは斜線を引かれた大他者Ⱥと記したが、実際は二つの相がある。一方は身体の享楽である、 qu'ici on a écrit A barré, en fait elle a deux faces.  C'est, d'un côté, la jouissance du corps, 〔・・・〕


しかし二番目に、ーーもっともラカンはそれを十分には記していないが、彼の言っていることからすべてがそこに集中するーーこの享楽はパロール享楽だということである[c'est la jouissance de la parole.]。Mais, deuxièmement – et bien que Lacan ne l'écrive pas en toutes lettres, mais tout converge là de ce qu'il énonce –, c'est la jouissance de la parole.  (J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999, 摘要)


わかりやすいように男性の幻想の式[$ ◊ a]を、フェティッシュφマークに書き換えておこう、[$ ◊ φ]と。



フェティッシュは女性のファルス(母のファルス)の代理物である。der Fetisch ist der Ersatz für den Phallus des Weibes (der Mutter) (フロイト『フェティシズム』1927年)


最後に蚊居肢流統合図を掲げておこう。



男性であっても実際はフェティッシュφに止まっているわけではなく、その彼岸にある穴Ⱥを志向しているのであり、根源的には女性の式と同様の穴の享楽がある。あの穴はフェティッシュ程度で埋まるわけがないのである。