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2021年3月20日土曜日

解剖学的女性により多く現れる「原リアルの享楽」

 「深淵は女自身である」で示した女性の左側の表現群は、別の言い方なら下記のものだよ。


これらの表現群の意味合いは、「原マゾヒズム的享楽=原ナルシシズム的享楽」を参照。重要なのは、たとえば自己身体の享楽の「自己身体」は実際は、自己身体ではないこと。


基本的にはこれらの原リアルの享楽は、両性にある。ただし解剖学的女性により多く現れるということ。それがジャック=アラン・ミレールが「無」という言葉を使って言っていること。


我々は、無と本質的な関係性をもつ主体を女たちと呼ぶ。私はこの表現を慎重に使用したい。というのは、ラカンの定義によれば、どの主体も、無に関わるのだから。しかしながら、ある一定の仕方で、女たちである主体が「無」と関係をもつあり方は、(男に比べ)より本質的でより接近している。nous appelons femmes ces sujets qui ont une relation essentielle avec le rien. J'utilise cette expression avec prudence, car tout sujet, tel que le définit Lacan, a une relation avec le rien, mais, d'une certaine façon, ces sujets que sont les femmes ont une relation avec le rien plus essentielle, plus proche. (J-A. MILLER, Des semblants dans la relation entre les sexes, 1997ーー女と無と穴とモノ


身近なところでも、あれらの享楽は二階堂奥歯さんによって驚くような鮮烈さで表現されている(もし私の誤解でないなら)。