超自我のあなたを遮る命令の形態は、声としての対象aの形態にて現れる。la forme des impératifs interrompus du Surmoi […] apparaît la forme de (a) qui s'appelle la voix. (ラカン, S10, 19 Juin 1963) |
たとえば、次の「わたしの恐ろしい女主人」はエスの代理人としての原超自我=母なる超自我の声だよ |
きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人の名だ。 Gestern gen Abend sprach zu mir _meine_stillste_Stunde_: das ist der Name meiner furchtbaren Herrin. |
それからの次第はこうであるーーわたしは君たちに一切を話さなければならない、君たちの心が、突然に去ってゆく者にたいして冷酷になることがないように。 Und so geschah's, - denn Alles muss ich euch sagen, dass euer Herz sich nicht verhärte gegen den plötzlich Scheidenden! |
君たちは、眠りに落ちようとしている者を襲う驚愕を知っているか。ーー Kennt ihr den Schrecken des Einschlafenden? - |
足の指の先までかれは驚得する。自分の身の下の大地が沈み、夢がはじまるのだ。 Bis in die Zehen hinein erschrickt er, darob, dass ihm der Boden weicht und der Traum beginnt. |
このことをわたしは君たちに比喩として言うのだ。きのう、最も静かな時刻に、わたしの足もとの地が沈んだ、夢がはじまった。 Dieses sage ich euch zum Gleichniss. Gestern, zur stillsten Stunde, wich mir der Boden: der Traum begann. |
針が時を刻んで動いた。わたしの生の時計が息をした。ーーいままでにこのような静けさにとりかこまれたことはない。それゆえわたしの心臓は驚得したのだ。 Der Zeiger rückte, die Uhr meines Lebens holte Athem - nie hörte ich solche Stille um mich: also dass mein Herz erschrak. |
そのとき、声なくしてわたしに語るものがあった。「おまえはエスを知っているではないか、ツァラトゥストラよ」ーー Dann sprach es ohne Stimme zu mir: `Du weisst es, Zarathustra?` - |
このささやきを聞いたとき、わたしは驚鍔の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。しかしわたしは黙ったままだった。 Und ich schrie vor Schrecken bei diesem Flüstern, und das Blut wich aus meinem Gesichte: aber ich schwieg. |
と、重ねて、声なくして語られることばをわたしは聞いた。「おまえはエスを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはエスを語らない」ーー Da sprach es abermals ohne Stimme zu mir: `Du weisst es, Zarathustra, aber du redest es nicht!` - |
それでわたしはついに反抗する者のような声音で答えた。「そうだ。わたしはエスを知ってる。しかしわたしはエスを語ることを欲しないのだ」 Und ich antwortete endlich gleich einem Trotzigen: `Ja, ich weiss es, aber ich will es nicht reden!` |
と、ふたたび声なくしてわたしに語られることばがあった。「欲しないというのか、ツァラトゥストラよ。そのことも真実か。反抗のなかに身をかくしてはならない」ーー Da sprach es wieder ohne Stimme zu mir: `Du _willst_ nicht, Zarathustra? Ist diess auch wahr? Verstecke dich nicht in deinen Trotz!` - |
このことばを聞いて、わたしは幼子のように泣き、身をふるわした。そして言った。「ああ、わたしはたしかにそれを言おうとした。しかし、どうしてわたしにそれができよう。そのことだけは許してくれ。エスはわたしの力を超えたことなのだ」 Und ich weinte und zitterte wie ein Kind und sprach: `Ach, ich wollte schon, aber wie kann ich es! Erlass mir diess nur! Es ist über meine Kraft!`……… |
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」) |
過剰解釈という人がいるのはわかっているが、これはボクにとっては疑いようがないね。
超自我は絶えまなくエスと密接な関係をもち、自我に対してエスの代表としてふるまう。超自我はエスのなかに深く入り込み、そのため自我にくらべて意識から遠く離れている。das Über-Ich dem Es dauernd nahe und kann dem Ich gegenüber dessen Vertretung führen. Es taucht tief ins Es ein, ist dafür entfernter vom Bewußtsein als das Ich.(フロイト『自我とエス』第5章、1923年) |
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ゲオルク・グロデックは(『エスの本 Das Buch vom Es』1923 で)繰り返し強調している。我々が自我と呼ぶものは、人生において本来受動的にふるまうものであり、未知の制御できない力によって「生かされている 」と。Ich meine G. Groddeck, der immer wieder betont, daß das, was wir unser Ich heißen, sich im Leben wesentlich passiv verhält, daß wir nach seinem Ausdruck » gelebt« werden von unbekannten, unbeherrschbaren Mächten5. この力をグロデックに用語に従ってエスと名付けることを提案する。Ich schlage vor,[...] nach Groddecks Gebrauch das Es. |
グロデック自身、たしかにニーチェの例にしたがっている。ニーチェでは、われわれの本質の中の非人間的なもの、いわば自然必然的なものについて、この文法上の非人称の表現エスEsがとてもしばしば使われている。 Groddeck selbst ist wohl dem Beispiel Nietzsches gefolgt, bei dem dieser grammatikalische Ausdruck für das Unpersönliche und sozusagen Naturnotwendige in unserem Wesen durchaus gebräuchlich ist(フロイト『自我とエス』第2章、1923年) |
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いま、エスは語る、いま、エスは聞こえる、いま、エスは夜を眠らぬ魂のなかに忍んでくる。ああ、ああ、なんと吐息をもらすことか、なんと夢を見ながら笑い声を立てることか。 ーーおまえには聞こえぬか、あれがひそやかに、すさまじく、心をこめておまえに語りかけるのが? あの古い、深い、深い真夜中が語りかけるのが? - nun redet es, nun hört es sich, nun schleicht es sich in nächtliche überwache Seelen: ach! ach! wie sie seufzt! wie sie im Traume lacht! - hörst du's nicht, wie sie heimlich, schrecklich, herzlich zu _dir_ redet, die alte tiefe tiefe Mitternacht? Oh Mensch, gieb Acht! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」1885年) |
「わたしの恐ろしい女主人の声」を知らない人は、「最も静かな時間 Die stillste Stunde」を知らない人だけだよ。フロイト用語なら「刺激保護膜」Reizschutzes がブ厚いド神経症者だけだ、あの超自我の声を聴いたことがない者は。
冒頭に引用した「超自我=声としての対象a」とは穴の声でもある。 |
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私は大他者に斜線を記す、穴Ⱥと。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。リアルであり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある。 Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a). …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : (Lacan, S13, 09 Février 1966) |
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対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。この穴としての対象aは、主体との関係において我々に問いを呼び起こす。C'est justement en ceci que l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel, qui est mis en question pour nous dans sa relation au sujet. (ラカン、S16, 27 Novembre 1968) |
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穴の声とは欲動のリアルの声だ。 |
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欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
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エスの背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である。Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.(フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
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こう解釈すると「私は多くの神々があることを疑うことはできない(ニーチェ)」で示したこととたちまち結びつく。 穴の声、すなわち深淵の声、ーー《おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返す。 wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein》(ニーチェ『善悪の彼岸』146節、1886年)
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ま、でもニーチェを哲学化しおバカなことばかり書いて死んでいったハイデガーよりはマシさ。
ニーチェによって獲得された自己省察(内観 Introspektion)の度合いは、いまだかつて誰によっても獲得されていない。今後もおそらく誰にも再び到達され得ないだろう。Eine solche Introspektion wie bei Nietzsche wurde bei keinem Menschen vorher erreicht und dürfte wahrscheinlich auch nicht mehr erreicht werden.(フロイト、於ウィーン精神分析協会会議 Wiener Psychoanalytischen Vereinigung、1908年 ) |
ニーチェは、精神分析が苦労の末に辿り着いた結論に驚くほど似た予見や洞察をしばしば語っている。Nietzsche, […] dessen Ahnungen und Einsichten sich oft in der erstaunlichsten Weise mit den mühsamen Ergebnissen der Psychoanalyse decken (フロイト『自己を語る Selbstdarstellung』1925年) |