このブログを検索

2021年4月23日金曜日

哲学なんか宗教みたいなもんだ


前回引用したフロイトの形而上学(哲学)批判の一部を再掲しよう。


形而上学というものはいつか「有害なもの」、思考の誤用、宗教的世界観の時代の「遺物」と判決を下されるであろうと信じている。[daß die Metaphysik einmal als ›a nuisance‹, als Mißbrauch des Denkens, als ›survival‹ aus der Periode der religiösen Weltanschauung verurteilt werden wird](フロイト書簡、ヴェルナー・アヒェリスWerner Achelis宛、1927年1月30日付)


要するに哲学なんか宗教みたいなもんだと言っているわけだ。


これは「宗教的観念の起源(フロイト)」で示した、次のように書いているのと同時期の手紙だ。


宗教的観念は、文化の他のあらゆる所産と同一の要求――つまり、自然の圧倒的な優位にたいして身を守る必要――から生まれた。daß die religiösen Vorstellungen aus demselben Bereich hervorgegangen sind wie alle anderen Errungenschaften der Kultur, aus der Notwendigkeit, sich gegen die erdrückende Übermacht der Natur zu verteidigen.(フロイト『あるイリュージョンの未来 Die Zukunft einer Illusion』第4章、1927年)

宗教的教理はすべてイリュージョンであり、証明不可能で、何人もそれを真理だと思ったり信じたりするように強制されてはならない。 den religiösen Lehren, …Sie sind sämtlich Illusionen, unbeweisbar. Niemand darf ge-zwungen werden, sie für wahr zu halten, an sie zu glauben..(フロイト『あるイリュージョンの未来 Die Zukunft einer Illusion』旧訳邦題『ある幻想の未来』、新訳邦題『ある錯覚の未来』第6 章、1927年)


ま、言い過ぎのところがないわけではないがね。そうはいっても現在に至るまでおバカな哲学研究者が多いよ。ニーチェやドゥルーズ 研究者の論文なんかチラ見するとその無知ぶりに呆れ返り血圧が上がるな。


私はどの哲学者にも喧嘩を売っている。…言わせてもらえば、今日、どの哲学も我々に出会えない。哲学の哀れな流産![misérables avortons de philosophie!]我々は前世紀(19世紀)の初めからあの哲学の襤褸切れの習慣[habits qui se morcellent ]を引き摺っているのだ。あれら哲学とは、唯一の問いに遭遇しないようにその周りを浮かれ踊る方法 [façon de batifoler]以外の何ものでもない。〔・・・〕


真理についての唯一の問い、それはフロイトによって名付けられた死の本能、享楽という原マゾヒズムである。cette question qui est la seule, sur la vérité et ce qui s'appelle - et que FREUD a nommée - l'instinct de mort, le masochisme primordial de la jouissance,〔・・・〕全ての哲学的パロールは、ここから逃げ出し視線を逸らしている。Toute la parole philosophique foire et se dérobe.(ラカン, S13, June 8, 1966)



ここでラカンが「享楽という原マゾヒズム」としているのは、ニーチェの苦痛への意志=Lustののことだ。殆どのニーチェ研究者はいまだもって「唯一の問いに遭遇しないようにその周りを浮かれ踊っている」だけだな。


基本的に、すべての有機的生において、苦痛への意志がある。Es giebt einen Willen zum Leiden im Grunde alles organischen Lebens  (ニーチェ「力への意志」26[275]  遺稿、1882 - Frühjahr 1887)

苦痛のなかの快[Schmerzlust]は、マゾヒズムの根である。(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年、摘要)

フロイトは書いている、「享楽はその根にマゾヒズムがある」と。[FREUD écrit : « La jouissance est masochiste dans son fond »](ラカン, S16, 15 Janvier 1969)

我々は、フロイトがLustと呼んだものを享楽と翻訳する。ce que Freud appelle le Lust, que nous traduisons par jouissance. (J.-A. Miller, LA FUITE DU SENS, 19 juin 1996)


悦 =享楽Lustが欲しないものがあろうか。悦は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。悦はみずからを欲し、みずからに咬み入る。悦のなかに環の意志が円環している。――- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第11節、1885年)



で、力への意志 Wille zur Machtはこの悦への意志 Wille zur Lustだよ(参照)。これをはずしてニーチェ研究なんてないね。力への意志=永遠回帰なんだからさ。


詩人クロソウスキーの言っているのはまがいようもない「真理」だ。


永遠回帰…回帰は力への意志の純粋メタファー以外の何ものでもない。L'Éternel Retour …le Retour n'est qu'une pure métaphore de la volonté de puissance.〔・・・〕


しかし力への意志 は至高の欲動のことではなかろうか?Mais la volonté de puissance n'est-elle pas l'impulsion suprême? (クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)


さらに「神は至高の欲動」だ。欲動=享楽=悦であり、こうしてすべてがつながる。


連中は心理学的にーーフロイト用語ならメタ心理学的にーーよっぽど弱いんだろうよ。

これまで全ての心理学は、道徳的偏見と恐怖に囚われていた。心理学は敢えて深淵に踏み込まなかったのである。生物的形態学と力への意志の展開の教義としての心理学を把握すること。それが私の為したことである。誰もかつてこれに近づかず、思慮外でさえあったことを。Die gesammte Psychologie ist bisher an moralischen Vorurtheilen und Befuerchtungen haengen geblieben: sie hat sich nicht in die Tiefe gewagt. Dieselbe als Morphologie und Entwicklungslehre des Willens zur Macht zufassen, wie ich sie fasse - daran hat noch Niemand in seinen Gedanken selbst gestreift: sofern es naemlich erlaubt ist, in dem, was bisher geschrieben wurde,〔・・・〕

心理学者は少なくとも要求せねばならない。心理学をふたたび「諸科学の女王」として承認することを。残りの人間学は、心理学の下僕であり心理学を準備するためにある。なぜなら,心理学はいまやあらためて根本的諸問題への道だからである。

wird zum Mindesten dafuer verlangen duerfen, dass die Psychologie wieder als Herrin der Wissenschaften anerkannt werde, zu deren Dienste und Vorbereitung die uebrigen Wissenschaften da sind. Denn Psychologie ist nunmehr wieder der Weg zu den Grundproblemen. (ニーチェ『善悪の彼岸』第23番、1886年)




4、5年前だったかな、大阪でおバカな博士論文を大量生産している、日本を代表するらしいドゥルーズ学者の夢についてのナンタラツイートをジャブ程度におちょくったらこう白状したけどさ。


@kumatarouguma: 〔・・・〕檜垣はフロイトの夢判断が読めていない→そのとおりでございまして私はフロイトやラカンに関心をもったことはあり良くよんだことはありますが理解できず断念しました。理解できていない、そのとおりで全く自覚てきでず ちなみにラカンは嫌いですが偉いとおもっています