ラカンの同時期の三つの発言を純粋にーー文字通りにーー読んでみよう。 |
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女というものは存在しない。女たちはいる。だが女というものは、人間にとっての夢である。[La femme n'existe pas. Il y des femmes, mais La femme, c'est un rêve de l'homme](Lacan, Conférence à Genève sur le symptôme, 1975) |
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問題となっている女というものは、神の別の名である。その理由で女というものは存在しない」のである。La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu, et c'est en quoi elle n'existe pas, (Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
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一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女というものだということである。C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». (ラカン, S23, 16 Mars 1976) |
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ーー女というものを神に置き換えれば、「神は存在しない。神たちはいる。だが神は人間にとっての夢である」となる。 |
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夢というのは妄想のことだ。 |
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フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。 Freud[…] Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978) |
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すなわち人はみな女というものを妄想する。あるいは神を妄想する。 |
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実際、人間の歴史とは女というものの妄想、神というものの妄想の歴史だ。 |
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女というものは存在しない。しかし存在しないからこそ、人は女というものを夢見るのです。女というものは表象の水準では見いだせないからこそ、我々は女について幻想をし、女の絵を画き、賛美し、写真を撮って複製し、その本質を探ろうとすることをやめないのです。[La femme n'existe pas, mais c'est de ça qu'on rêve. C'est précisément parce qu'elle est introuvable au niveau du signifiant qu'on ne cesse pas d'en fomenter le fantasme, de la peindre, d'en faire l'éloge, de la multiplier par la photographie, qu'on ne cesse pas d'appréhender l'essence d'un être dont,](J-A. MILLER, エル・ピロポ El Piropo , 1979年) |
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ーー《幻想的とは妄想的のことである。fantasmatique veut dire délirant. 》(J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire; 2009) |
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すなわち「われわれは神について妄想し、神の絵を描き、賛美し、その本質を探ろうとしてきた」。 |
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ところでラカンの冒頭の文の《女というものは存在しない。女たちはいる。[La femme n'existe pas. Il y des femmes,》の女たちとはなにか。 これは、ひとりの女の複数形だ。すなわちひとりの女はいる。 |
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ひとりの女は異者である。 une femme […] c'est une étrangeté. (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
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異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
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そして不気味なものとは、フロイトにとって最も親密だが外部にあるものである。この不気味なものは究極的には女性器、より厳密にいえば母胎である。 |
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女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat. 「愛は郷愁だ」とジョークは言う。 »Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort, |
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そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい。und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen. したがっての場合においてもまた、不気味なものはこかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。 Das Unheimliche ist also auch in diesem Falle das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung. (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年) |
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以上、神は女陰である。これは隠された常識だよ。
つまりは「神とは女陰への意志である」と。
ボクは高校時代、マタイの第63曲B《まことに、彼は神の子であった。"Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen"》の一分間の合唱に徹底的にイカれて、オチンチンをゴシゴシやって?恍惚に耽ってばかりいたが、「まことに、ボクはオメコの子であった」のである。
これは事実上、まともな作家だったらそれが無意識であっても感知している。 それが「中心の空洞に向けての祈り」で示したことであり、「あたしは神よ」でも示している。 とはいえ真のーーまともなーー精神分析家がこういったことをあまり言わないのは、神を妄想することはブラセボ効果があるからだろう。 ここで野坂昭如を引こう。 |
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「男どもはな、別にどうにもこうにもたまらんようになって浮気しはるんとちゃうんや。みんな女房をもっとる、そやけど女房では果たしえん夢、せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのがわいらの義務ちゅうもんや。この誇りを忘れたらあかん、金ももうけさせてもらうが、えげつない真似もするけんど。目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ。」(野坂昭如『エロ事師たち』1968年) |
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すなわち、「神なんかこの世にいてへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えるのが宗教家の義務ちゅうもんや」。
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もちろんファルスとはソレルスの年配の友人ラカンがモデルである。 |
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