このブログを検索

2021年4月27日火曜日

ヴァギナ=穴の境界表象S(Ⱥ)

 ああ、それはちょっとちがうんだ。

すこし前「唐津の道祖神」で示したけれどさ。



ヴァギナをファルスで覆うという図であり、このところ示している真の神を偽の神がヴェールするという図でもあるが、ヴァギナの穴というのはたんに穴Ⱥだけじゃなく穴の境界表象S(Ⱥ)までを示している。

ラカンマテームを並べればこうなる。



だから単純にヴァギナ=穴Ⱥとみなしたらダメだよ。むしろヴァギナ=穴の境界表象S(Ⱥ)であり、このS(Ⱥ)が最も重要。

このS(Ⱥ)については当面、「引力とエスの核」を参照されたし。


神にかんして言えば、S(Ⱥ)は原超自我=母なる超自我=母なる神のマテームでもあり、折口や老子的に言っても、何よりも重要なのは、祀られた母(妣)だな。


すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ〳〵の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。〔・・・〕


鰭の広物・鰭の狭物・沖の藻葉・辺の藻葉、尽しても尽きぬわたつみの国は、常世と言ふにふさはしい富みの国土である。曾ては、妣が国として、恋慕の思ひをよせた此国は、現実の悦楽に満ちた楽土として、見かはすばかりに変つて了うた。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)

……「妣が国」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。妣は祀られた母と言ふ義である。(折口信夫「最古日本の女性生活の根柢」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)


ーー《匕は、妣(女)の原字で、もと、細いすき間をはさみこむ陰門をもった女や牝(めす)を示したもの。》(漢字源)


谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子『道徳経』第六章)

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ。(老子『道徳経』第六章「玄牝之門」福永光司訳)