質問をもらっている。「享楽の定義」で示した次の表の右隅の表現は誰がどこで言っているのかという問いである。
享楽の一者の永遠回帰[Éternel retour de l'Un de jouissance] とは現代ラカン派においてもダイレクトにそう言っているわけではない。だがジャック=アラン・ミレールの次の三文を混淆させればそうなる。 |
享楽における単独性の永遠回帰の意志[vouloir l'éternel retour de sa singularité dans la jouissance](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009) |
単独的な一者のシニフィアン[singulièrement le signifiant Un]…私は、この一者と享楽の結びつきが分析経験の基盤だと考えている。そしてこれが厳密にフロイトが固着と呼んだものである。je le suppose, c'est que cette connexion du Un et de la jouissance est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、享楽の一者がある[il y a un Un de jouissance]ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える。ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
ーー《フロイトが固着と呼んだものは、享楽の固着である。c'est ce que Freud appelait la fixation…c'est une fixation de jouissance》.(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97) 要するに「享楽の一者の永遠回帰」とは「享楽の固着の永遠回帰」であり、フロイトの記述に則る。つまりは固着という不変の個性刻印の反復強迫=永遠回帰である。 |
病因的トラウマ[ätiologische Traumen] ・・・このトラウマは自己身体の上への出来事 もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
同じ出来事の反復[Wiederholung der nämlichen Erlebnisse]の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年) |
そしてこの「自己身体の出来事=不変の個性刻印=トラウマへの固着(穴への固着)」の永遠回帰は、ニーチェの次の文にジカに繋がる、と私は思う。 |
人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する自己固有の出来事を持っている。Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.(ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年) |
たとえばジャック=アラン・ミレールの次の文は、事実上、ニーチェの文と等置しうる。 |
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009) |
なおフロイトにとってこの反復強迫=永遠回帰が死の欲動である。
われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年) |
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以上。