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2021年7月23日金曜日

土着民による愛国心

 涙とため息」の補足として、『日本文学史序説』からいくらかの文を抜き出しておこう。


日本人の世界観の歴史的な変遷は、多くの外来思想の浸透によってよりも、むしろ土着の世界観の執拗な持続と、そのために繰り返された外来の体系の「日本化」によって特徴づけられる。 〔・・・〕


中国の伝統的な世界観は、インド・西欧の場合と異り、此岸的であった(老荘もその例に洩れず) 。日本に印度の影響が及んだのは、中国文明を介してであり、西洋の影響が及んだのは、後の時代になってからの事である。したがって中国的世界観の此岸性は、 日本の土着の文化の此岸性を保存するのに役立ったはずだろう。おそらく東アジアの文明の全体について、その思想的特徴は、中国の場合にも、日本の場合にも、共通の此岸的性格であるといえるのかもしれない。 (加藤周一『日本文学史序説』1975年)


もっとも中国的世界観の此岸性は、インド・西欧と比較しての話であり、日本と比較すれば「普遍的」との記述がある。


中国人は普遍的な原理から出発して具体的な場合に到り、先ず全体をとって部分を包もうとする。日本人は具体的な場合に執してその特殊性を重んじ、部分から始めて全体に到ろうとする。〔・・・〕


日本の文化の争うべからざる傾向は、抽象的・体系的・理性的な言葉の秩序を建設することよりも、具体的・非体系的・感情的な人生の特殊な場面に即して、言葉を用いることにあったようである。〔・・・〕


中国の場合のように、旧を新に換えようとするときには、歴史的一貫性と文化的自己同一性が脅かされる。旧体系と新体系とは、激しく対決して、一方が敗れなければならない。しかし旧に新を加えるときには、そういう問題がおこらない。今日なお日本社会に著しい極端な保守性(天皇制、神道の儀式、美的趣味、仲間意識など)と極端な新しいもの好き(新しい技術の採用、耐久消費財の新型、外来語を主とする新語の濫造など)とは、おそらく楯の両面であって、同じ日本文化の発展の型を反映しているのである。 (加藤周一『日本文学史序説』1975年)


そして特化した土着思想=此岸性の国日本の特徴が次のようにまとめられている。


土着思想の特徴は、此岸性であり、日常性である。此岸的・日常的世界の内面化は、今、此処における「我が心」である。仏教が「我が心」の状態に還元され、――そのために禅が役立ち得ることはいうまでもない――、儒教がその政治哲学的な面を抽象されて倫理的な面に還元され、その外的な規範ではなく内的な心構えが強調されれば、まさに儒仏の道は、一種の心的状態の表裏として一体化されるはずである。別の言葉でいえば、外来の「イデオロギー」は、ここでも土着世界観の構造を、その超越的性格によって破壊し、作り変えるために役立ったのでではなく、知的に洗練するために役立ったのであり、その知的洗練の内容が日常的此岸性の内面化にほかならなかった。

これは鎌倉仏教の、殊に道元の、絶対に超越的な宗教哲学ではない。また後の荻生徂徠(一六六六~一七二八)の「先王之道」の、すなわち政治的な歴史(とそこに実現されたとされる価値)の超越性でさえもない。そもそも日本思想史上、超越的絶対者との係りあいが時代思潮の中心となったことは、ただ一度一三世紀仏教においてであって、それ以前になく、以後になかった。そのことが外来「イデオロギー」の排他性の失われて、儒釈一致の立場の容易に成立したことにも、典型的にあらわれているのである。したがってまた外来「イデオロギー」の外来性を意識し、土着世界観の立場を積極的に主張しようとしたときには、虎関師練の場合にあきらかなように、日本国そのものを、すなわち所属の共同体そのものを、理想化する他に為す術がなかった。「支那者大醇而小疵、日本者醇乎醇者也」(『元享釈書』)。「小疵」は「儒老荘」のために大乗仏教の流布の制限されたことである。「醇」は大乗仏教である。しかしそれだけではない。「夫物之自然也、天下皆貴之、其造作也、世未重之矣、吾読国史、邦家之基根於自然也、支邦之諸国未嘗有矣、所以是吾称吾国也、其所謂自然者三神器也」(『元享釈書』)。これは『神皇正統記』に似て、後のたとえば山鹿素行(一六二二~八五)の『中朝事実』とも照応する。(加藤周一『日本文学史序説』)


『日本文学史序説』の「あとがき」には、次のように「土着」の定義が示されている。


著者はここで、日本の土着世界観が外部からの思想的挑戦に対して各時代に反応してきた反応の系列を、それぞれの時代の社会的条件のもとで、その反応の一形式としての文学を通じて、確かめようとしたのである。「土着」とは英語の indigenous(仏語の indigène)で、外部からの影響がなく、その国の土から生まれ育ったというほどの意味で ある。「世界観」 (独語のweltanschauung)は、存在の面のみならず、当為の面(価値観) も含めて、人の自然的および社会的環境に対する見方を包括的にいう。 (加藤周一『日本文学史序説』「あとがき」)




最晩年の加藤周一は次のように記していることも示しておこう。


日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。〔・・・〕


労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)


「土着民」は「ムラ人」に置き換えうる。そして、これは「この今」も起こっていることである。