このところ、《現在のインド仏教学における中心的研究者》とも言われることがある下田正弘氏の論(参照)をいくつか読んだのだが、ここでは、現代仏教研究についてまったき無知な者として当面、純粋に引用列挙する。
現代の仏教研究者の間には、ある強固な観念が存在します。それは、最初は普通の人間だったブッダが、後世の仏教徒の一手によって徐々に神格化され、やがては神話的装飾に満ち溢れたブッダ観に至る、というものです。これを人間ゴータマの「神格化 deification」「神話化 mythologization」と呼びならわしております。
この理解に立って〈実証的な〉結果を求めようとする研究者たちは、神格化される以前の「人間としてのプッダ」の探求に向かいます。「脱神格化」、「脱神話化」と呼ばれる方法によって、つまり現在遺された文献から、徐々に大袈裟な装飾を取り去って行けば、やがて本来存在したはずの「純粋な人間ブッダ」が再現できるはずだ、と考えて仏典に向かうわけです。
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科学としての仏教研究は、文献学という厳密な方法を持っています。使われている韻律の相違、術語の洗練度、写本の年代、同一主題を持つ異なる文献の比較など、いくつかの方法によってより古い文献を選び出そうとします。それは貴重な試みです。ところがこの方法にのみ従って歴史的ブッダを描き出そうとしても、歴史的ブッダの生涯を描くに足る資料がないのが実態です。そのため研究者たちは、装飾に満ちた記述が入ったブッダの伝記文献を利用し、そこから理性的な人間ブッダが描かれるよう、記述を取捨選択するのです。
けれども、今述べましたように、そもそも現存する文献でブッダの行状を描いたものは、その何れもがブッダを単なる人間として捉えてはおらず、多かれ少なかれ超越的な性質を持ったものとして表現しております。文献に操作を加える前に、まずこの事実をしっかり認識しておく必要があります。〔・・・〕
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かつてエミール・スナールという大インド学者は、ブッダは歴史的実在ではなかったという可能性を指摘して話題になりました。ブッダの伝記を辿れば、インドの太陽神話に解体されてしまうというのが主な理由でした。このことは実は、ロ伝社会での伝承の特徴を的確に表した事例と見てよいのでして、けっして新奇な説を述べたわけではないのです。〔・・・〕
古代インド仏教世界において、ブッダの姿は、初め数百年は人物像として表現されず、足跡、仏塔、法輪、樹木、台座などによって象徴されていました。それが紀元後一世紀頃、ガンダーラとマツラーとに、ほぼ同時に人物化されたブッダ像が登場します。ブッダ以外の神々や弟子たちは、早くから人物像として描かれていますから、ブッダのみの人物化が長い間に瓦って拒まれていたわけです。これが数百年を経て漸く人物化されるわけですから、プッダは時代を下るにつれて神格化されたのではなく、逆に人格化されたことになります。(下田正弘「仏(ブッダ)とは何か」1999年)
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仏教は本来、神仏習合のような現れ方を世界各地でしてきているんですね。チベットの仏教であれ、中国に入った、あるいは日本に入った仏教であれ、東南アジアの仏教であれ、それぞれ地域に、土地にずっと長いこと、仏教が入る以前から存在していた神々と一つになって、そしてそこに新たな姿を現わしていく、というのが仏教の伝わり方です。しかしその中でも仏塔は、「これはお釈迦様だ」「これはブッダだ」ということがかなりはっきりするものなんです。仏塔には、徐々に何かが変わっている、という点がないんですね。そうしますと仏塔研究は、仏教が何であるかを解明するために、一番大切な手段になるんですね。(下田正弘「インド大乗佛教の成立と教団」法華経・日蓮聖人・日蓮教団論研究セミナー、2013年)
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初期大乗仏教の興起について考えるさいまず留意すべきは、この20年ほどのインド考古学の格段の深化であり、そこに示される古代インド仏教の景観の驚くべき変貌である。その豊かな成果を集約するHawkes&Shimada(2009)が示すように、歴史資料として仏教の存在を確認しうる最古の紀元前3世紀より仏塔と僧院とはつねに一体であり、インドにおいて着実に進む都市化を背景としながら諸宗教、産業、文化の交流を促進するネットワークの中心拠点として機能した。地理的に巨視的に見れば、多くの仏塔・僧院は、土着宗教の聖地に立地して先行する諸宗教を仏教の体系に融合させ、都市化された広域の地を結ぶ交通、交易の重要な中継地点にあって農業を含む産業全体を振興する役割を果した。一方その位置を微視的に見れば、仏塔・僧院は城壁都市の外の、かつ城門付近に位置し、城市の内と外を媒介する位置にある。城壁の内なる領域はヴァルナの秩序とヴェーダの祭配が支配する一方、外の領域は城市権力の支配下にありながらも、ヴァルナの秩序とヴェーダ儀礼の外となり、宗教、社会、文化的にきわだった特徴を示す。この領域は仏塔・僧院のほかにヴェーダの伝統から外れる祠堂、聖地、守護神の森が占め、ヴァルナ外の異邦の商人、職人、不可触民、キャラバン隊が居住する。
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注目すべきはここが埋葬の地と市場とに重なっていることである。仏教はこの両者の場の活動、すなわち葬送儀礼と交易とになんらかのかたちで関わっていた。バラモンにとって死が不浄の最たるものとして忌避されることは言うまでもないが、同時にヴァルナの差別に呼応する浄・不浄観念を事物全体に及ぼしたかれらにとって交易、すなわち正体不明のものたちとの膨大なモノの交換は儀礼的に危険きわまりない行為となる。これを正当化しうる宗教者があるとすれば、それはみずからがヴァルナを捨て、浄不浄の観念を超えた出家者をおいてほかにない。仏塔・僧院の立地は城外に位置する周縁性とともに、生と死、内と外、浄と不浄という差別からの超域性をあらわしている。こうした力をもつトポスの出現は相互に閉ざされた社会集団の技能や知識の交流、交換を促進し、既存の価値構造を組み変えて社会を再生させる動力因となった。(下田正弘「大乗仏教起源論再考」2013年)
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| Ramabhar Stupa Temple, Kushinagar |
仏教は、誕生の地のインドにおいても、伝播先のアジア諸地域においても、つねに他者として、外なるものとして出現した。このことがアジア諸地域の伝統世界をいかに活性化しつづける役割を果たしたか、あらためて認識しなおす必要がある。仏教が有するこうした他者性は、国を失い、流浪の民として世界各地に入ったチベット仏教徒たちが、いま世界にむけて発しつつあるメッセージに象徴的にあらわれている。チベット仏教徒たちをとおして流布しているもの、それは政治的なメッセージでもなければ、経済的な富の誘導でもない。純粋に仏教である。かれらのまえには否定すべき伝統がない。依存すべき定説がない。原理主義を知らないかれらは、世界諸民族のうち、いずれとも異なるディアスポラとして、かつてない可能性を開きつつある。それはまがうことなく南アジアから継承された可能性なのである。(下田正弘「他者としての仏教―「可能性としての南アジア」試論―」2010年)
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『涅槃経の研究』を初めとして、多くの研究、論考によって知られる下田正弘氏は、現在のインド仏教学における中心的研究者である。(佐々木閑『下田正弘の大乗仏教研究』2012年)
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ご存知のように、 『涅槃経』には大乗経典と初期経典(いわゆる小乗経典)の二種類、二系統があります。「涅槃」はブッダの覚りを指す場合とブッダの入滅を指す場合とがあり、一見するとまったく異なった意味を持ったことばであります。今日はこの問題には触れませんが、そこには当時のインドの世界観、それに基づいたことば遺いの興味深い問題が含まれています。ともあれこの涅槃ということばをタイトルとする大乗と小乗の二つの経典が存在しておりまして、これまた、一見するとまったく異なる経典なのに同じタイトルを有している不思議があります。従来、この両経典は相互に無関係なものと見られていました。ところがよく調べてみますと、実は両者には深い繋がりがあることが分かりました。それは、今日のテーマである「仏(ブッダ)とは何か」という問題意識によって、はっきりと通底しているのであります。〔・・・〕
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ブッダとは何か。この問いに対する答えとしては、現在の仏教学界においては、「仏教の開祖であるゴータマを指す」というのが大勢の意見ではないでしょうか。少なくともこれを拒否する人はまずないでしょう。(ただ、一言付言しておけば、もしもこの問いを仏(ほとけ)とは何か、と変えたとすればどうなるでしょうか。仏(ほとけ)とは歴史的実在であったゴータマのことを指す、と簡単に割り切れるでしょうか。「ほとけ」という語感からは、もっと別のイメージが湧いてきます。ことばは単なる記号ではありません。別の響きは別の内容を誘発してくることが当然あるのです。ただここではこの問題には入り込まないで、仏と書いてブッダとルビを振りました。現在の学界の認識に立った問題設定に限定したかったからです。)〔・・・〕
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ブッダがゴータマであることを、暗黙の了解として共有している現在の学界で問題になるのは、大乗経典に説かれるプッダです。初期経典に現れたブッダと大乗経典に現れたブッダでは、確かに相違があります。阿弥陀仏や大日如来などおよそ釈迦仏とは異なったブッダが大乗経典には幅広く説かれておりますが、いったいこれらの仏とゴータマとの関係はどうなっているのでしょうか。原始・初期仏教の歴史的研究を主要テーマとしていた西洋から、明治期に近代的な仏教研究が取り入れられたとき、彼らからまず指摘されたのもこうした問題でした。大乗経典は歴史的なプッダが説いたものではない、そこに現れた仏は、ゴータマとは関連のない、後代に捏造された仏だというものです。大乗非仏説論の名前で知られるこの議論は、わが国の仏教界を驚嘆させてしまいました。それ以後わが国の学界では、大乗非仏説論に対する弁明が重要な研究テーマの一つとなります。その研究の中から、出家部派にルーツを求める「大衆部起源説」、そして在家教団をルーツとして想定する「在家・仏塔起源説」の二つの異なる学説が誕生しました。確かにこの両者の解釈は、まったく異なった視点から仏教史を描き出そうとしたものですが、しか」しこの何れの学説も、大乗仏教の「起源」が仏教の歴史的起源であるゴータマにまで遡り得ることを根拠としている点で共通します。つまり、仏教の起源に一人の人間を想定しないと歴史的正統性が得られない、という理解に立っているのです。
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そうしますと、ブッダとは何かという間いを考えた場合、詰まるところ、大乗の正統性を立証した研究の流れにおいても、大乗のブッ夕はゴータマとは異なった、その意味で二次的なものと理解されていることは、変わりがないことになります。
現在、少数の例外を除けばインド仏教の研究者たちは、歴史的実在のゴータマと大乗のブッダとの関連性は問わないまま、つまりはブッダとは何かという統一したテーマを小乗、大乗に対して立てることなく、それぞれの領域に閉ざして研究を進めているように私には思えます。〔・・・〕
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ところが結果として伝わった仏教は、けっして単一、純一なものではなく、むしろ説明がつき難いほどに複雑多岐な様相をしています。この現象を前にして、研究者たちは、「その中には、正しいものと間違ったもの混在しているからだ」と考え始めます。そして「正しい仏教は同質の正しい起源に、間違った仏教は同質の間違った起源に発しているはずではないか」と理解し、仏教の起源にあるブッタは、純一な、無誤謬な、理性そのものとでもいうべき人間として仮定されてしまうのです。
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しかし考えてもみてください。こんなことが歴史的な、実証的な研究から帰納されることがあり得るでしょうか。たしかにもともと、ブッタの姿は、プッタ自身が弟子たちに刻印したものと考えることができるでしょうが、そのブッタのイメージを後世に向かって表現したのは、つまり刻印したのは、ブッタではなく弟子たちです。となれば、今われわれに残されたブッタをめぐる伝記資料は、プッタ自身の表現なのか、弟子たちのプッタをめぐる心象の表現に過ぎないのか、けっして一方に決着できる問題ではないのです。しかも、弟子たちの個性は多種多様で、理知的な弟子から感性的、あるいは情緒的な弟子まで、律法的に厳しいものから、感覚的に自由なものまで、際限なく、幅広く存在しています。資料が示すプッタが、まさにこの複合体としての存在になるのは、当然のことであります。けっして純化され、結晶化された単一な存在などに落ち着くはずはありません。
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しかし、「研究」は、果と同質の起源を立て、その起源から予定された結果が生まれるような、単純な体系を設定して行うほうが、はるかに簡単です。それは何よりも「分かりやすい」ため、他に対しても説得力があります。もちろんこの「分かりやすさ」はきわめて危険なものなのですが、何れにしてもこうして、複雑な存在をできるだけ単純なものに解体し、かつその中から純一なものを目指して選別する作業が進むことになるのです。
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けれども実際には仏教の歴史は、まるで膨張する宇宙のように、現象としては、起源からどんどん拡大しております。宇宙の起源がどうあったのかを探るためには、現在に展開した宇宙の全現象を相手とせねばなりません。わたくしは、ブッタとは何かを探る研究も、同様の方法によってこそ進む気がしています。まずわたくしたちは、資料に現れた複雑なブッタをめぐる叙述を複雑なままに記述し、そして今度は、その複雑さができるだけともに収まる、新たな次元を模索していかねばなりません。もしその作業が成功したなら、そのときは、釈尊とさまざまな大乗の仏が共存するに至った、仏教の歴史の訳柄が、手に取るように明らかになるかもしれません。そんなことを未来の研究に期待し、またわたくし自身の課題としたいと思っております。ご清聴、ありがとうございました。(下田正弘「仏(ブッダ)とは何か」1999年)
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筆者はかつて〈大乗涅槃経〉の形成過程を考察するなかで、現在の〈大乗涅槃経〉が編纂されるうえでの核となった「原始大乗涅槃経」を復元し、この仮想の経典を媒介することによって、伝統仏教の拡大〈涅槃経〉から現存する〈大乗涅槃経〉への発展が一つの連続的な経典制作運動として理解しうること、この経典制作運動の根底には〈仏存在の永続性〉という理解があることを明らかにした。
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涅槃という経典のタイトルやブッダ最後の旅をおもわせる物語の展開を前提とするなら、伝統仏教における〈涅槃〉の基底にある制作動機を「ブッダ入滅の事実」だと理解する先学たちの見立てには理があるようにおもわれるだろう。けれども、現在残された〈涅槃経〉の諸異本を比較したとき、それらに共通にあらわれる核はーー「最期の禅定への入定」と「滅後の舎利についての記述」にしめされるようにーー入滅という事実を超えて継承される仏の存在と、仏に代わる教説の意義の闡明の二つである。前者は、あたかも菩提樹のもとでの成覚経験の禅定から出定して法を説いた仏のように、いつでも無余涅槃から出定して法を説く仏の存在を暗示し、後者は仏塔をブッダとして受容する仏教の歴史をしめしている。いずれも入滅を契機とした重要な「仏の様態の転換」である。
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伝統仏教における〈涅槃経〉形成のこの核を共有しながら、涅槃をめぐるいくつかの課題を仏の存在の問題へと集約し、無常、苦、無我、不浄という仏教の基本テーゼからブッダを解放して「アートマン」と形容し、その永続性の主張へとあゆみを進めたのが「原始大乗涅槃経」だった。禅定に入って涅槃界へと存在の位相を変え、さらに遺骨をおさめた仏塔に変じた仏の存在にいたりついた伝統仏教の〈涅槃経〉から、この「原始大乗涅槃経」までの距離は、ほんの一歩でしかない。
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現在の〈大乗涅槃経〉は、伝統仏教の〈涅槃経〉で達成され、「原始涅槃経」で深化させられた仏の存在のうち、遺骨となり仏塔となった仏を「衆生の内なる本性」へと内化し、理念的存在へと転換せしめたところに成立している。仏性と仏塔とがともに同一の原語であるbuddha-dhātuによってしめされることは、内化という転換が言語を基体として容易に起こりえたことをものがたっている。生身の仏から仏塔としての仏へ、そして内化された仏性という理念へ。涅槃をめぐる経典の制作は、伝統仏教から大乗仏教まで、位相を変えながら存在しつづけるプッダを共通の主題としているのである。〔・・・〕
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〈大乗涅槃経〉の核である「原始大乗涅槃経」のさらに中心となる「金剛身品」は、ここに述べた「ブッダの身体の破砕と統一」というモチーフを前提として成立している。この理解がブッダゴーサに、さらにはダンマパーラに受けつがれていることは、大乗仏教と伝統仏教とを区別することは研究上の意味がないどころか、かえって阻害することをしめしている。たしかに伝統仏教の拡大〈涅槃経〉は、舎利の分配という記述を淡々と記載して経を終えているため、それが「原始大乗涅槃経」に結びつくゆえんはみえない。けれども涅槃をめぐる経典群をひろく押さえ、その註釈にまで視野をひろげるとき、涅槃をめぐる経典の制作活動は、〈大乗涅槃経〉もふくめて、おおきなひとつの文脈を形成していることが明らかになってくるのである。(下田正弘「〈涅槃経〉経典群の編纂過程から照らす〈法華経〉」2011年)
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※付記
仏教は、禅定とともに、智慧と戒律を重視している点に特徴があります。禅定とは、古代インドに伝わるヨーガ、瞑想法であり、これはおおかれすくなかれインドの他宗教においても方法として共通しています。ヨーガ、瞑想は、意識を改革するおおきな力をもった技術であり、うまくもちいるなら、だれしもが意識変革を遂げることが可能です。
ところがそれだけに危険をともないます。問題は、ヨーガによって意識変革をして、そののちに、いったいいかなる自分になればよいのか、という点にあります。このときに、智慧をともなった明確な見とおしを有し、同時に戒律にもとづき鍛えられた社会性を身につけていなければ、変革した自己をいかにこの世界に適合させてゆくかという段階で、大問題を生み出してしまいかねないのです。
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ご存じのように、ヨーガの技術を有する集団が想像を超えた反社会的行為に及ぶ〈オウム真理教事件〉がありました。これは透徹した智慧と鍛えられた社会性とがともに欠如したため、瞑想という技術によって変革した意識の着地点が見えなくなって起きた事件であると、わたくしは考えています。仏教が歴史のなかをいかに伝承されてきたか、その事実をしっかりと観察するなら、〈戒〉と〈慧〉の欠如した瞑想集団がいかに危険となるかは、あらかじめ注意を払っておかねばならないことでした。伝統が古びて思え、あたらしいものに目を奪われてしまいがちな現代のわたくしたちの目には映りにくい事実でもありますから、いっそうの注意が必要です。(下田正弘『パリニッバーナ 終わりからの始まり』2007年)
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宗教社会学が担う使命は、対象となる宗教をとおして見えてくる独自の社会分析にある。本書にはその重要な意識が欠落している。現代日本社会の独自の分析や批判がどこにもないばかりか、なされていることは七○年代タイ社会における仏教解釈モデルの現代日本社会への直接的な移殖である。
そもそも現代社会を対象とする研究は、未知で動的で可変的なるものを、既知で安定的で構造化されたものに転じなければならないという記述法上の制約を有しているため、過ぎ去った事件の事後的追認に終わり、危機的な状況で推移する流動的現実をとらえきれないという原理的困難をかかえている。社会という大きな問題の解明を社会学や経済学など他分野の研究成果に多く依存する宗教学の場合、この困難はさらに複雑に深化させられる。
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宗教研究に潜在するこの問題の根の深さは、本書におけるオウム真理教問題のあつかいに象徴的に現れている。事件から二十年を経過したいま、この事件を生み出した日本社会を、日本を代表する宗教学者がどう簡潔に批判し総括するか、だれしも関心措くあたわぎるところであろう。だが「オウム事件の衝撃」(12ー13頁)という見出しの前後に記されたことは、「麻原自身が仏教言説を巧みに咀嚼して述べる能力をもって」おり、それが「著述家やマスコミから評価を得」て、そこに「「真」の仏教」を真剣に求める若者が向かった」という、ひどくうわべの批評に留まっている。宗教学に期待される重要な貢献である、宗教現象をとおして独自に見えてくる現代日本社会のすがたがどこにも存在しないのだ。
オウム真理教の問題を記号学的関心から見てきた評者には、消費社会における集団あるいは個人の心性を、事件の二十年もまえに分析したジャン・ボードリヤール 『消費社会の神話と構造』(今村仁司他訳、一九七九)のつぎの一節ほど、この事件の核心を射止めたものはない。「この心性は消費を支配する魔術的思考であり、日常生活を支配し奇跡を待望する心性であり、それは考え出されたものの絶対的力への信仰(ただし、われわれの考えによれば記号の絶対的力への信仰だが)の上に成り立つという意味での原始人の心性である」(24頁)。
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だれも予想しえなかった無差別テロに展転したオウム真理教事件は、宗教社会学的に見るなら、富や幸福という結果を、途中の形大なプロセスをすべて抹消して「魔術的」に享受せんとする「原始人の小心性」を、現代日本が社会的心性としてかかえていたことの鮮烈な事例である。この心性は、出現までのプロセスがいっさい消えた夥しい種類の商品が意味産出の記号となって巨大なネットワークを構成し、ひとびとの意識を日々包囲し浸食することによってできあがっている。仏教の伝統も知識も経験ももたない「エリート」大学生たちが無媒介に「真の仏教」を求めうる確信をもちえたのは、入信という代価さえ払えば、仏教のもつ力と富をだれしもが「魔術的」に手に入れられる「商品」のアナロジーととらえていたからであり、そのときかれらにいだかれていた確信は、日常において意味を産出する記号の絶対的力への信仰」にほかならない。
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現代消費社会において、商品と隠喩関係に立つさまざまな種類の言説を判別しその流布形態を突き止めることは、きわめて重要である。資本主義が構築する巨大な意味生産の体系に対抗しうる意味産出の体系をもつものは、なによりも宗教である。オウム真理教が密教の名のもとに消費社会の神話の意味を破壊しようとした暴力は、現代のイスラーム世界における資本主義世界に向けてのテロの出現に明らかに通じるものがある。「豊かな社会における暴力という重要な問題」は「貧困と窮乏化と搾取が生み出す暴力とは本質的に異なる」(271頁)のであり、現代社会における宗教と暴力を考察課題とするなら、こうした記号学的見地からの分析は不可欠なものだろう。
マスコミ、ジャーナリズム、小説、専門研究、あらゆる種類の言説を無区別にあつかいつつ仏教再編と仏教学批判を試みる本書は、こうした消費社会の記号学的事態のただなかにあるように見えてくる。だが、言説の種類や次元や位相の差異に知識人が無自覚になることは、長い歴史の結果として生まれた他者の神のとのさまざまな相違を、一挙に無差別に否定し去る暴力を社会に誘発する機会因ともなりかねない。(下田正弘書評ーー島薗進著『日本仏教の社会倫理ーー「正法」理念から考えるーー』岩波書店、二〇一三年九月刊)
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