前回、この図表を提示した。
以下、前回と重なる部分がいくらかあるが、「不気味なもの」の意味するところをもういくらか詳しく示すことにする。
不気味なものはかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである[Das Unheimliche ist … das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年) |
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不気味なもの[Das Unheimliche]の heimは「家」のことであり、フロイトは un は抑圧の徴と言っているが、この抑圧は「原抑圧=固着=排除」であり、排除[Verwerfung]とは「外に放り投げる」(プラス「回帰を引き起こす」)という意味を持っている(「排除」とはラカンの「外立」であるーー《原抑圧の外立[ l'ex-sistence de l'Urverdrängt]》 (Lacan, S22, 08 Avril 1975))。つまりunheimは「外にある家」だ。 ゆえにラカンは、不気味なものを外密[extimité](外にある親密)と訳した。 |
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親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960) |
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そしてこの外密=モノの別名が異者(フロイトの異物=異者としての身体[Fremdkörper])である。 |
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このモノは分離されており、異者の特性がある[ce Ding …isolé comme ce qui est de sa nature étranger, fremde]. …モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, ](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
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(原)抑圧されたものは異物(異者としての身体)として分離されている[Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper] 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う[Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
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原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, ](フロイト『抑圧』1915年、摘要) |
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ーー《原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe]》(『症例シュレーバー 』1911年)=《排除された欲動[verworfenen Trieb]》(『快原理の彼岸』1920年) 要するに、フロイトのモノ[das Ding]、異者としての身体[Fremdkörper]、不気味なもの[Unheimliche]は同一である。フロイトの異者の定義のひとつに、《異者としての身体[ Fremdkörper]は内界にある自我の異郷部分[das ichfremde Stück der Innenwelt](『制止、症状、不安』第3章、1926年)とあるが、これは「外にある家」と同じ(内界とはトラウマの記憶としては内部にあるということだ)。 |
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異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
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この「モノ=異者としての身体=不気味なもの(外密)」がラカンのリアルな対象a(喪われた対象)である。 |
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異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,… le (a) dont il s'agit,… absolument étranger] (Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
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対象aは外密である[l'objet(a) est extime](Lacan, S16, 26 Mars 1969) |
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喪われ対象aの形態…永遠に喪われている対象の周りを循環すること自体が対象aの起源である[la forme de la fonction de l'objet perdu (a), …l'origine…il est à contourner cet objet éternellement manquant. ](ラカン、S11, 13 Mai 1964) |
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そして「モノ=異者としての身体=不気味なもの(外密)」とは母、母の身体である。 |
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モノは母である[das Ding, qui est la mère](ラカン, S7, 16 Décembre 1959) |
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モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère, ](Lacan, S7, 20 Janvier 1960) |
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母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а). ](Lacan, S10, 15 Mai 1963) |
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子供はもともと母、母の身体に住んでいた[l'enfant originellement habite la mère …avec le corps de la mère ](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
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この母の身体は究極的には出生とともに喪われる(フロイトがしばしば強調する「母の乳房の喪失」Verlust der mütterlichen Brust の先には「母胎の喪失」がある)。 |
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享楽の対象としてのモノは快原理の彼岸の水準にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…Au-delà du principe du plaisir …cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要) |
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例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. ](ラカン、S11、20 Mai 1964) |
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フロイトが《女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ]》(『不気味なもの』第2章、1919年)と言っているのは、「女性器は喪われた対象」という意味であり、出生とともに「外にある家」となる。寄る辺なさ[Hilflosigkeit]はここから生じる。 |
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フロイトの比喩では、われわれが住んでいる家も、原家にたいしては「外にある家」だ。 |
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家は母胎の代用品である。最初の住まい、おそらく人間がいまなお渇望し、安全でとても居心地のよかった母胎の代用品である[das Wohnhaus ein Ersatz für den Mutterleib, die erste, wahrscheinlich noch immer ersehnte Behausung, in der man sicher war und sich so wohl fühlte. ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第3章、1930年) |
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こうして究極の享楽の対象、つまり欲動の対象は、母胎ということになる。 |
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以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年) |
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人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib]. (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
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フロイトは表面的には最後までエロスとタナトスの二元論に固執したまま死んでいったが、フロイトのテキストを読み込めば、実はエロス欲動自体が死の欲動なのである。母胎回帰運動はエロス欲動に違いない(フロイトの定義においてエロスは融合である)。だが真に回帰してしまえば、母なる大地への帰還=死でしかないーー《母なる大地[die Mutter Erde]=沈黙の死の女神[die schweigsame Todesgöttin]》(フロイト『三つの小箱』1913年) したがってラカンはこう言った。 |
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すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort](ラカン、E848、1966年) |
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(表向きの言説ではなく)フロイトの別の言説が光を照射する。フロイトにとって、死は愛である。Un autre discours est venu au jour, celui de Freud, pour quoi la mort, c'est l'amour. (Lacan, L'Étourdit E475, 1970) |
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※付記 ラカンの享楽という語は、「愛の欲動+死の欲動」を意味する。 |
享楽という語は、二つの満足ーーリビドーの満足と死の欲動の満足ーーの価値をもつ一つの語である[Le mot de jouissance est le seul qui vaut pour ces deux satisfactions, celle de la libido et celle de la pulsion de mort. ](J.-A. Miller , L'OBJET JOUISSANCE , 2016/3 ) |
「リビドーの満足」とあるが、リビドー とは愛の欲動である。 |
リビドーは愛と要約できる[Libido ist …was man als Liebe zusammenfassen kann. ]〔・・・〕 哲学者プラトンのエロスは、その由来や作用や性愛との関係の点で精神分析でいう愛の力 、すなわちリビドーと完全に一致している[Der »Eros des Philosophen Plato zeigt in seiner Herkunft, Leistung und Beziehung zur Geschlechtsliebe eine vollkommene Deckung mit der Liebeskraft, der Libido der Psychoanalyse]〔・・・〕 この愛の欲動を、精神分析ではその主要特徴と起源からみて、性欲動と名づける[Diese Liebestriebe werden nun in der Psychoanalyse a potiori und von ihrer Herkunft her Sexualtriebe geheißen. ](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年) |
さらに確認しておこう。冒頭に示したように「寄る辺なさ」、「異者としての身体」、「不気味なもの」は、トラウマを意味するが、ここで示した「モノ」、「外密」、「喪われた対象a」も同様、トラウマである(ラカンにはtroumatisme[穴=トラウマ]という造語があるが、穴とはトラウマのこと)。そして享楽自体、トラウマである。
享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler.](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
われわれはトラウマ化された享楽を扱っている [Nous avons affaire à une jouissance traumatisée](J.~A. Miller, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE, 2011) |
最後にフロイトを引こう。「外にある家」を取り戻そうとする反復強迫運動、これがフロイトにとっての永遠回帰、死の欲動である(事実上の愛の欲動でもあることがわかるだろう)。 |
同一のものの回帰という不気味なもの[das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr]〔・・・〕 心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。〔・・・〕不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫[inneren Wiederholungszwang] を思い起こさせるものである。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年) |
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同一の出来事の反復の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは(ニーチェの)同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年) |
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われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年) |