無知をさらけだして言うが、アフガニスタン北部の都市、マザーリシャリーフのハズラットアリマザール Hazrat Ali Mazar というそうだが、今頃はじめて知った。
で、さらに調べてみると、ウズベキスタンの古都サマルカンドにビビハニム Bibi-Khanymというのがあり、世界遺産になっているそうだ。
この二つは写真で見る限りほとんど同じ形だ。
サマルカンドのビビハニムのほうはこうだ。
マザーリシャリーフのハズラットアリマザールこうだ。
ティムール朝の建築とのこと。
ティムールは8人もの妃を娶ったが、こんにち旅行者に記憶される名はビビハニムだけだろう。「第一婦人」を意味するビビハニム(Bibi-Khanum)とは、ティムールが最も寵愛した妻、サライ・ムルクハニムのこと。彼女のためにビビハニム・モスク(1399~1404)を建立しようと、最高の建築家と200人の石工、500人の労働者、100頭のゾウを駆り出した。高さ40メートルに達するモスクは、当時としては世界最大で、金や大理石、モザイクを散りばめた装飾もこの上ない華やかさだった。 (ティムール帝国の大いなる遺産、サマルカンド) |
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ティムール朝は、東西に分裂したチャガタイ=ハン国のうち、西チャガタイ=ハン国から出たティムールによって建国されました。 ティムール自身は、「蒼き狼」の血を引く者、すなわちチンギス=ハンの子孫であることを自称しています。彼が都をおいたのが、サマルカンド。この位置は、地図上で確認しておこう。カスピ海の隣、アラル海に注ぐアム川・シル川にはさまれた場所です。東西交易の要衝でもありました。 ティムールは、建国後、東西トルキスタン(旧チャガタイ=ハン国あたり)を統一、イル=ハン国の領土を獲得、キプチャク=ハン国や北インドに侵入し、3ハン国衰退後におけるこの地域の主要部分をほぼ制覇しました。すわなち、モンゴル崩壊後、西方の領域を継承したのが、ティムール朝であったわけです。 (33 期 世界史B 紙上授業(仮) … アジア諸地域の繁栄④ 要点ノート ) |
サマルカンドは星マーク、カブールがその下にあるが、アフガンの北部の都市、マザーリシャリーフはこの中間にある。 中国との接点に盲腸みたいに延びたワハン回廊があるが、あの先がこのところ話題の新疆ウイグルだ。 なにはともあれ、十四世紀から十五世紀ぐらいにかけて、このあたりが世界文明の華だった時期があるのだろう。 |
イスラームの中でも、中央アジアはレンガを使ったさまざまな立体装飾やレンガに施釉したもの、そして平面的ではあるがモザイクタイルや装飾タイルの手法・技法の数々など魅惑に満ちている。モンゴル系民族の跋扈やトルコ系民族の覇権などがあり、同じイスラーム圏域とはいえ東西文化が激しく交流したこともその魅力の源と考えられる。 14世紀末、ティムールは中央アジアを中心に、現・インドのデリーを占拠、シリアを攻略、オスマン帝国を打ち破って現・ トルコのアナトリア地方も占拠し、広大な領地を手中に収める。彼は首都をサマルカンド (現・ウズベキスタンの第2の都市)と定め、モスクなど多くの建築をつくり、イスラーム建築のラッシュであった。イスラームで「聖なる青」 といわれる青いタイルを仕上げに多く使い、サマルカンドは「青の都」 と呼ばれる。 |
多くのモスクやメドレセ(イスラーム教義を勉強するところ) などの建築物をつくるにあたり、さまざまな地域の、さまざまな職種の人々を集め、技術を集積した。バグダッド、イスファハン、ダマス カス、デリー、アンカラなどから建築家、職人、技術者を集め、イスラーム建築の集大成が15世紀サマルカンドを中心に行なわれ、 “イスラーム建築の完成時期” と呼ばれている。その後のイスラーム圏を支配したサファヴィー朝、インドを支配したムガル朝の建築に大きな影響を与えることになる。(辻孝二郎「イスラーム建築の華 」pdf ) |
実は、家に三十年ほど前に骨董屋で手に入れた「青の水差し」があるんだが、ひょっとしてティムール朝起源じゃないかね、当時、ただひたすら色に魅せられて千ドル強払ったと記憶するが、どうだい? 十万ドルだったら手放してもいいよ。