「ひとりの女なき主体はない」に引き続く。 |
(原母子関係には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女なるものは、享楽を与えるのである、反復の仮面の下に。[…une dominance de la femme en tant que mère, et : - mère qui dit, - mère à qui l'on demande, - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme. La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition.] (Lacan , S17, 11 Février 1970) |
そう、あの女はわれわれに原トラウマを与えたのである。 |
享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel. ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
享楽はトラウマ的である[la jouissance est traumatique](Agnès Aflalo, Attentats sexuels et traumas, 2020) |
憎んでいるというわけではないかもしれない。だがあの女は妖怪である。 |
母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。 私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。〔・・・〕 三十歳の私が、風をひいたりして熱のある折、今でもいちばん悲しい悪夢に見るのがあの時の母の気配だ。姿は見えない。だだつぴろい誰もゐない部屋のまんなかに私がゐる。母の恐ろしい気配が襖の向ふ側に煙のやうにむれてゐるのが感じられて、私は石になつたあげく気が狂れさうな恐怖の中にゐる、やりきれない夢なんだ。母は私をひきづり、窖のやうな物置きの中へ押しこんで錠をおろした。あの真つ暗な物置きの中へ私はなんべん入れられたらうな。闇の中で泣きつづけはしたが、出してくれと頼んだ覚えは殆んどない。ただ口惜しくて泣いたのだ。〔・・・〕 |
ところが私の好きな女が、近頃になつてふと気がつくと、みんな母に似てるぢやないか! 性格がさうだ。時々物腰まで似てゐたりする。――これを私はなんと解いたらいいのだらう! 私は復讐なんかしてゐるんぢやない。それに、母に似た恋人達は私をいぢめはしなかつた。私は彼女らに、その時代々々を救はれてゐたのだ。所詮母といふ奴は妖怪だと、ここで私が思ひあまつて溜息を洩らしても、こいつは案外笑ひ話のつもりではないのさ。(坂口安吾「をみな」1935年) |
あの女の影はすべての女に落ちている。 |
母の影はすべての女に落ちている。したがってすべての女は母の力をを備えている、母なる全能の力さえも[The shadow of the mother falls on every woman so that she shares in the power, and even in the omnipotence, of the mother. ](Paul Verhaeghe, Love in a Time of Loneliness, 1998) |
母女[MÈREFEMME]という原大他者の全能の影である。 |
母の影は女の上に落ちている[l'ombre de la mère tombe là sur la femme.]〔・・・〕 全能の力、われわれはその起源を父の側に探し求めてはならない。それは母の側にある。La toute-puissance, il ne faut pas en chercher l'origine du côté du père, mais du côté de la mère,(J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016) |
全能の構造は、母のなかにある、つまり原大他者のなかに。…それは、あらゆる力をもった大他者である[la structure de l'omnipotence, …est dans la mère, c'est-à-dire dans l'Autre primitif… c'est l'Autre qui est tout-puissant](Lacan, S4, 06 Février 1957) |
原支配者としての母なる女のトラウマ、その残滓 (а)はわれわれの身体の上に永続的なリビドーの固着をもたらしたのである。 |
享楽は残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).] (Lacan, S10, 15 Mai 1963 ) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
繰り返せば、《対象aは穴(トラウマ)である[l'objet(a), c'est le trou]》 (Lacan, S16, 27 Novembre 1968) このトラウマ的リビドー固着の残滓は生涯消えない。 |
常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
したがって、母なる女の影が落ちているすべての女は妖怪である。 |
母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への拘束として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
最も厄介なのは、あの女はトラウマというブラックホールの引力の体現者、原誘惑者であるとともに、ーー原愛の対象でもあることである。 |
子供の最初のエロス対象は、この乳幼児を滋養する母の乳房である。愛は、満足されるべき滋養の必要性へのアタッチメントに起源がある[Das erste erotische Objekt des Kindes ist die ernährende Mutter-brust, die Liebe entsteht in Anlehnung an das befriedigte Nahrungs-bedürfnis.]。 疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体とのあいだの区別をしていない[Die Brust wird anfangs gewiss nicht von dem eigenen Körper unterschieden]。 乳房が分離され「外部」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、原ナルシシズム的リビドー備給の部分と見なす。[wenn sie vom Körper abgetrennt, nach „aussen" verlegt werden muss, weil sie so häufig vom Kind vermisst wird, nimmt sie als „Objekt" einen Teil der ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung mit sich.] |
最初の対象は、のちに、母という人物のなかへ統合される。この母は、子供を滋養するだけではなく世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとって「原誘惑者 ersten Verführerin」になる。[Dies erste Objekt vervollständigt sich später zur Person der Mutter, die nicht nur nährt, sondern auch pflegt und so manche andere, lustvolle wie unlustige, Körperempfindungen beim Kind hervorruft. In der Körperpflege wird sie zur ersten Verführerin des Kindes. ] |
この二者関係には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象として、後のすべての愛の関係性の原型としての母であり、それは男女どちらの性にとってもである。[In diesen beiden Relationen wurzelt die einzigartige, unvergleichliche, fürs ganze Leben unabänderlich festgelegte Bedeutung der Mutter als erstes und stärkstes Liebesobjekt, als Vorbild aller späteren Liebesbeziehungen — bei beiden Geschlechtern. ](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第7章、1939年) |
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このアンビバレントな対象の後継者がすべての女である。世のミソジニーの起源はここにしかない。
そもそもこんな対象の後継者に対して人はいかに堪えうることができるというのか。
大文字の母の基底にあるのは、「原リアルの名」であり、「原穴の名 」である[Mère, au fond c’est le nom du premier réel, …c’est le nom du premier trou] (Colette Soler, Humanisation ? ,2014) |
母なる対象はいくつかの顔がある。まずは「要求の大他者」である。だがまた「身体の大他者」、「原享楽の大他者」である[L'objet maternel a plusieurs faces : c'est l'Autre de la demande, mais c'est aussi l'Autre du corps…, l'Autre de la jouissance primaire.](Colette Soler , LE DÉSIR, PAS SANS LA JOUISSANCE Auteur :30 novembre 2017) |
あの女は、いわゆる愛憎コンプレクス[Liebe-Haß-Komplex]、原愛憎コンプレクスの対象である。 |
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愛は非常にしばしば「アンビヴァレンツ」に、つまり同一の対象にたいする憎悪衝動をともなって現れる[Liebe …daß sie so häufig »ambivalent«, d. h. in Begleitung von Haßregungen gegen das nämliche Objekt auftritt. ](フロイト『欲動とその運命』1915年) |
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ああ、世の中に絶えて女のなかりせばをとこの心のどけからまし ああ、世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあひたい ーー蜀山人太田南畝
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これは男たちだけでなくすべて女たちも同じであることがおわかりになっただろう。繰り返せば、女性嫌悪、あるいは女性恐怖の起源はここにしかない。ひょっとして男たち以上に女たちはミソジニストでありうる。
女たちそれ自体について言えば、彼女たちは「モメントとしての女たち」の単なる予備軍である…わかった? だめ? 説明するのは確かに難しい…演出する方がいい…その動きをつかむには、確かに特殊な知覚が必要だ…審美的葉脈…自由の目… 彼女たちは自由を待っている…空港にいるとぼくにはそれがわかる…家族のうちに監禁された、堅くこわばった顔々…あるいは逆に、熱に浮かされたような目…彼女たちのせいで、ぼくたちは生のうちにある、つまり死の支配下におかれている。にもかかわらず、彼女たちなしでは、出口を見つけることは不可能だ。反男性の大キャンペーンってことなら、彼女たちは一丸となる。だが、それがひとり存在するやいなや…全員が彼女に敵対する…ひとりの女に対して女たちほど度し難い敵はいない…だがその女でさえ、次には列に戻っている…ひとりの女を妨害するために…今度は彼女の番だ…何と彼女たちは互いに監視し合っていることか! 互いにねたみ合って! 互いに探りを入れ合って! まんいち彼女たちのうちのひとりが、そこでいきなり予告もなしに女になるという気まぐれを抱いたりするような場合には…つまり? 際限のない無償性の、秘密の消点の、戻ることのなりこだま…悪魔のお通り! 地獄絵図だ! (ソレルス『女たち』鈴木創士訳) |
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ここでニーチェとともに次の問いを発しよう。 |
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最後に私は問いを提出する。女自身は、女性の心は深い、あるいは女性の心は正しいと認めたことがかつて一度でもあったのだろうか? そして次のことは本当であろうか? すなわち、全体的に判断した場合、歴史的には、「女なるもの das Weib」は女たち自身によって最も軽蔑されてきた、男たちによってでは全くなく。"das Weib" bisher vom Weibe selbst am meisten missachtet wurde - und ganz und gar nicht von uns? -(ニーチェ『善悪の彼岸』232番、1886年) |
………………
さておわかりだろうか、ここに記されたような原始人の繊細さを女なるものに対して抱くのが真のフェミニストであることを。世のアンチフェミニストだけでなく、原点を問うことなく時流に合わせているだけの似非フェミニストたちをそうそうに「抹殺」せねばならない。 |
女の一種の原罪、われわれに女たちを愛させるという罪 une espèce de péché originel de la femme, un péché qui nous les fait aimer (プルースト「囚われの女」) |
生への信頼は消え失せた。生自身が「一つの問題」となったのである。ーーこのことで人は必然的に陰気な者、フクロウ属になってしまうなどとけっして信じないように! 生への愛はいまだ可能である。ーーただ異なった愛なのである・・・それは、われわれに疑いの念をおこさせる「女への愛」 にほかならない・・・ Das Vertrauen zum Leben ist dahin; das Leben selber wurde ein P r o b l e m . — Möge man ja nicht glauben, dass Einer damit nothwendig zum Düsterling, zur Schleiereule geworden sei! Selbst die Liebe zum Leben ist noch möglich, — nur liebt man a n d e r s … Es ist die Liebe zu einem Weibe, das uns Zweifel macht…(ニーチェ対ワーグナー「エピローグ」1888年) |
流行におもねり、妣なる妖怪から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますりフェミニストどもに災いあれ!
ところで「妣」という漢字をご存知であろうか。最後に教養のない方々のために啓蒙的に振る舞うことにする。
すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ〳〵の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」『古代研究 民俗学篇第一』1929年) |
…「妣が国」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。妣は祀られた母と言ふ義である。(折口信夫「最古日本の女性生活の根柢」『古代研究 民俗学篇第一』1929年) |
ーー《匕は、妣(女)の原字で、もと、細いすき間をはさみこむ陰門をもった女や牝(めす)を示したもの。》(漢字源) |