「主体のパートナーは言語」、「主体のパートナーは喪失」という同じ主流ラカン派(フロイト大義派)に属する者の発言がある。
主体の生の真のパートナーは、実際は、人間ではなく言語自体である[le vrai partenaire de la vie de ce sujet n'était en fait pas une personne, mais bien plutôt le langage lui-même ](ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire, 2009) |
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主体の根源的パートナーは、享楽の喪失自体・喪われた対象から成っている[le partenaire fondamental du sujet est fait de sa propre perte de jouissance, son objet perdu.](ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, Encore : belvédère sur la jouissance, 2013) |
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この二つの一見相反する文は、二種類の主体を言っている。 |
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主体にはシニフィアンの主体と享楽の主体がある[sujet qui est le sujet du signifiant et le sujet de la jouissance.](J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 11 MARS 1987) |
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これが「言語の欠如と身体の穴」で示した次の図の意味である(シニフィアンの主体とは欲望の主体のことーー《享楽のシニフィアン化をラカンは欲望と呼んだ[la signifiantisation de la jouissance…C'est ce que Lacan a appelé le désir. ]》(J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)) ミレールの言っている「主体のパートナーは言語」とは、プルーストやニーチェもそう言っている[参照]。 |
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芸術も事実上、言語だ。例えば、バルテュスは「絵画は他の言葉では表現することができない言語活動だ」と言っているし、ジョン・ケージは、ソルフェージュは抽象的言語だと言っている。 |
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他方、ゲガーンの言っている「主体のパートナーは享楽の喪失・喪われた対象」とは、直接的にラカンから来ている。 |
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主体はどこにあるのか? われわれは唯一、喪われた対象としての主体を見出しうる。より厳密に言えば、喪われた対象は主体の支柱である。Où est le sujet ? On ne peut trouver le sujet que comme objet perdu. Plus précisément cet objet perdu est le support du sujet (ラカン, De la structure en tant qu'immixtion d'un Autre préalable à tout sujet possible, ーーintervention à l'Université Johns Hopkins, Baltimore, 1966) |
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反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。〔・・・〕フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste : que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD]. 〔・・・〕フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある。conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD. 〔・・・〕 享楽の対象としてのモノは喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要) |
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※フロイトのモノについては、➡︎「モノ簡潔版x」 ラカンの喪失とは穴(トラウマ)、去勢と等価である。喪失=穴=去勢である。 もっとも去勢には色々な種類がある。
つまり、主体の根源的パートナーは喪失=穴どころか、厳密な意味でのラカンの斜線を引かれた主体自体が喪失なのである。
斜線を引かれた主体にかかわるラカンマテームは、次のようにまとめることができる(参照)。 |