【音楽日記】
私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971年) |
|
ーー音楽は祈りである、間違いない。技術があっても祈りのない音楽は屑である。
例えば、実に美しいモンセラートの朱い本[Llibre Vermell de Montserrat]。 |
● Sacred Music From Medieval Spain: The Llibre Vermell And The Cantigas De Santa Maria |
● El llibre vermell de Montserrat - Jordi Savall |
ーーなぜ朱い本なのか、それは問わないでおこう。 最初のほうの可憐な乙女たちがSavall版の美しい熟女に育ってゆくのは知るのは感動的である。 ところでこのスペイン中世の宗教音楽は黒い聖母への祈りが起源のようだ。 |
◼️モンセラートの朱い本 |
モンセラートの朱い本(カタルーニャ語:Llibre Vermell de Montserrat)は、14世紀の宗教文書の写本で、特に中世後期の歌曲の楽譜を含むことで知られている。スペイン・バルセロナ郊外モンセラート山の、黒い聖母像で知られるモンセラート修道院に伝承される。13世紀から14世紀頃、モンセラート修道院へ参ずる巡礼者たちによって歌い踊られた10曲の歌謡を含む。(Wikipedia) |
|
◼️黒い聖母 |
キリスト教信仰以前にオリエント一帯、またはケルト文化圏に広まっていた大地母神信仰が吸収されたものともいわれる。 マグダラのマリアを信仰するグノーシス主義キリスト教の一派は、特徴として、黒い聖母マリア像を持っていたとされる。(Wikipedia) |
大地母神とはもちろん起源としては母なる大地としての沈黙の死の女神、究極的には女陰の奈落であるだろう。それが例えば、ゴーギャンが『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)(1897年)で表現していることだ。
モンセラートの朱い本には10曲の歌謡がある。
【モンセラートの朱い本】 |
カッチャ《おお、輝く聖処女よ》 O virgo splendens (fol. 21v-22) ヴィルレー《輝ける星よ》 Stella splendens (fol. 22r) カッチャ《処女を讃えよ》 Laudemus Virginem (fol. 23) ヴィルレー《処女なる御母を讃美せん》 Mariam, matrem virginem, attolite (fol. 25r) ヴィルレー《あまねき天の女王よ》 Polorum Regina (fol. 24v) ヴィルレー《声をそろえいざ歌わん》 Cuncti simus concanentes (fol. 24) カッチャ《笏杖もて輝ける御身》 Splendens ceptigera (fol. 23) バラード《七つの悦び》 Los set gotxs (fol. 23v) 2声のモテートゥス《悦びの都の女王/処女よ、お慈悲を》 Imperayritz de la ciutat joyosa / Verges ses par misericordiosa (fol. 25v) ヴィルレー《われら死をめざして走らん》 Ad mortem festinamus (fol. 26v) |
先ほど挙げた二つの演奏から、《悦びの都の女王/処女よ、お慈悲を Imperayritz de la ciutat joyosa / Verges ses par misericordiosa》を抜き出しみよう。 |
||
Imperayritz de la Ciutat Joyosa - Llibre Vermell de Montserrat - LEGENDADO/BR |
||
Imperayritz de la ciutat joyosa - Llibre Vermell di Montserrat - Jordi Savall |
||
ジョルディ・サバールはカタルーニャ出身のとても優れた音楽家であり、好みの演奏が多々あるのだが、どうもこの曲に限っては「処女」が歌っているほうにずっと魅せられる。それに《音、沈黙と測りあえるほどに》の強度がはるかに高い。
|
昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた(あるいはおそらくそう感じていた)。子どもは小さな死を、おとなは大きな死を自らのなかにひめていた。女は死を胎内に、男は胸内にもっていた。誰もが死を宿していた。それが彼らに特有の尊厳と静謐な品位を与えた。 Früher wußte man (oder vielleicht man ahnte es), daß man den Tod in sich hatte wie die Frucht den Kern. Die Kinder hatten einen kleinen in sich und die Erwachsenen einen großen. Die Frauen hatten ihn im Schooß und die Männer in der Brust. Den hatte man, und das gab einem eine eigentümliche Würde und einen stillen Stolz.(リルケ『マルテの手記』1910年) |
||||||||||
男はかなわない、胸のなかにしか沈黙の死の女神をもっていない。女だけである、ニーチェ曰くの、死の彼岸にある永遠の悦[ewige Lust über Tod]を身体で感受しうるのは。 そして究極の祈りとは至聖所に対するぎりぎりのところでの防衛=穴埋めであるだろう。防衛しすぎたら祈りの鮮烈さは弱まる。
|