自分を分解してみると、自分の中には、理知の世界、情念の世界、感覺の世界、肉體の世界がある。これ等は大體理知の世界と自然の世界の二つに分けられる。 次に自分の中に種々の人間がひそんでゐる。先づ近代人と原始人がゐる。前者は近代の科學哲學宗教文藝によつて表現されてゐる。また後者は原始文化研究、原始人の心理研究、民俗學等に表現されてゐる。 ところが自分の中にもう一人の人間がひそむ。これは生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決の出來ない割り切れない人間がゐる。 これを自分は「幻影の人」と呼びまた永劫の旅人とも考へる。 |
この「幻影の人」以前の人間の奇蹟的に殘つてゐる追憶であらう。永劫の世界により近い人間の思ひ出であらう。 永劫といふ言葉を使ふ自分の意味は、從來の如く無とか消滅に反對する憧憬でなく、寧ろ必然的に無とか消滅を認める永遠の思念を意味する。 路ばたに結ぶ草の實に無限な思ひ出の如きものを感じさせるものは、自分の中にひそむこの「幻影の人」のしわざと思はれる。 |
次に自分の中にある自然界の方面では女と男の人間がゐる。自然界としての人間の存在の目的は人間の種の存續である。隨つてめしべは女であり、種を育てる果實も女であるから、この意味で人間の自然界では女が中心であるべきである。男は單にをしべであり、蜂であり、戀風にすぎない。この意味での女は「幻影の人」に男より近い關係を示してゐる。 これ等の説は「超人」や「女の機關説」に正反對なものとなる。 この詩集はさうした「幻影の人」、さうした女の立場から集めた生命の記錄である。 昭和二十二年四月 西脇順三郎『旅人かへらず』「はしがき 幻影の人と女」 限りなく正しいんじゃないかね、この西脇は。 理知の世界 情念の世界 感覺の世界 肉體の世界 永劫の世界 地界に潜れば潜るほど女の世界になるんだ、 底部には「鎖と不死の生」がある。 男はせいぜい理知の世界で頑張るしかないよ、 たとえ「男は女の影にすぎない」でも。 一 旅人は待てよ このかすかな泉に 舌を濡らす前に 考えよ人生の旅人 汝もまた岩間からしみ出た 水霊にすぎない この考える水も永劫には流れない 永劫の或時にひからびる ああかけすが鳴いてやかましい 時々この水の中から 花をかざした幻影の人が出る 永遠の生命を求めるは夢 流れ去る生命のせせらぎに 思ひを捨て遂に 永劫の断崖より落ちて 消え失せんと望むはうつつ さう言ふはこの幻影の河童 村や町へ水から出て遊びに来る 浮雲の影に水草ののびる頃 一四七 庭の隅人知れず 岩のほろほろと こぼれる 秋の日 牧谿の横物をかけ 野花の一輪を活け 静かに待つ 待つ人の來たらず 水草の茎長き水鏡 女のこころうつる 男は女の影にすぎない 土は永遠を夢みる 人はその上に一時のびる 旅のつる草 茎に夕陽の残るのみ 草の実は女のこころ 心のかげりは 野辺のかげり |