このあたりは難解かもしれないが、フロイトの欲動の表象代理 [Vorstellungs-repräsentanz des Triebes](原抑圧=固着)の難解さに起源がある[参照]。
ジャック=アラン・ミレールもとても苦労して長い時をかけてこのS(Ⱥ)について注釈している。
まず1980年代から1990年代、さらに2000年代初めにかけて次のように言っている。
◼️S(Ⱥ)≡ $
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超自我は斜線を引かれた主体$と書きうる[ le surmoi peut s'écrire $ ](J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)
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S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳を見い出しうる[S(Ⱥ) …on pourrait retrouver une transcription du surmoi freudien. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96)
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超自我の真の価値は欲動の主体である[la vraie valeur du surmoi, c'est d'être le sujet de la pulsion.](J.-A. Miller, LES DIVINS DETAILS, 17 MAI 1989)
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S (Ⱥ)ーー、私は信じている、あなた方に向けてこのシンボルを判読するために、すでに過去に最善を尽くしてきたと。S (Ⱥ)というこのシンボルは、ラカンがフロイトの欲動を書き換えたものである[S de grand A barré [ S(Ⱥ)]ーーJe crois avoir déjà fait mon possible jadis pour déchiffrer pour vous ce symbole où Lacan transcrit la pulsion freudienne ](J.-A, Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001)
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この欲動の主体は享楽の主体と等価であるーー《主体にはシニフィアンの主体と享楽の主体がある[sujet qui est le sujet du signifiant et le sujet de la jouissance.]》(J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 11 MARS 1987)。すなわちこれを受け入れるなら、超自我の価値は享楽の主体ということになる。
ところが2002年にはこう言う。
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◼️Ⱥ ≡ $
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穴は斜線を引かれた主体と等価である[Ⱥ ≡ $]
A barré est équivalent à sujet barré. [Ⱥ ≡ $](J.-A. MILLER, -désenchantement- 20/03/2002)
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これはラカンが次のように言っている言い換えである。
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現実界のなかの穴は主体である[Un trou dans le réel, voilà le sujet. ](Lacan, S13, 15 Décembre 1965)
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これは単純に見れば矛盾である。$≡Ⱥなんだろうか。それとも$≡S(Ⱥ)なんだろうか。ひどく奇妙だということになる。だがこれは上に示したようにS(Ⱥ)というマテームの両義性にある。
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★Ⱥ≡S(Ⱥ)?
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ラカンは穴をS(Ⱥ)と書いた[un trou qu'il a inscrit S de grand A barré.] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 2 mai 2001)
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大他者のなかの穴のシニフィアンをS (Ⱥ) と記す[(le) signifiant de ce trou dans l'Autre, qui s'écrit S (Ⱥ) ](J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 15/03/2006)
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S(Ⱥ)が固着であるのは間違いない(さらに上に示した超自我であるのも間違いない)。
◼️Σ≡ S(Ⱥ) ≡ fixation
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シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001)
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サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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重要なのは、ラカンの主体$とはフロイトの自我分裂に起源があることだ。
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ラカンの主体はフロイトの自我分裂を基盤としている[Le sujet lacanien se fonde dans cette « Ichspaltung » freudienne. ](Christian Hoffmann Pas de clinique sans sujet, 2012)
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自我とエスに分裂するのが斜線を引かれた主体$である。
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自我分裂の事実は、個人の心的生に現前している二つの異なった態度に関わり、それは互いに対立し独立したものであり、神経症の普遍的特徴である。もっとも一方の態度は自我に属し、もう一方はエスへと抑圧されている。
Die Tatsachen der Ichspaltung, …Dass in Bezug auf ein bestimmtes Verhalten zwei verschiedene Ein-stellungen im Seelenleben der Person bestehen, einander entgegengesetzt und unabhängig von einander, ist ja ein allgemeiner Charakter der Neurosen, nur dass dann die eine dem Ich angehört, die gegensätzliche als verdrängt dem Es. (フロイト『精神分析概説』第8章、1939年)
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そしてこの分裂に介入するのが超自我である。
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心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく仮定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)
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この観点からは主体$は、Ⱥではなく自我とエスの境界であるS(Ⱥ)のほうがいい気がするが、ここはちょっとわからない。
これはどっちでもいいと言えばドッチデモイイが、ラカンの究極の主体ーー晩年、話す存在[ parlêtre]と言い換えたがーーは、エスなのか超自我なのかという問いになるので、エスでも超自我でもどっちでもいいという話になってきて受け入れがたい人がいてもオカシクナイ・・・少し前、「主体は異者[$= Fremdkörper]」としたが、異者とは穴=トラウマ=エスであり、この思考のもとでは$≡Ⱥである。
さて$≡Ⱥなんだろうか、$≡S(Ⱥ)なんだろうか? 両方である・・・
ラカン派プロパでもこのS(Ⱥ)マテームに昔からこだわっているのは、私の知る限り、ジャック=アラン・ミレールとポール・バーハウぐらいで、この二人とも主体$との結びつきに関しては確かなことは言っていない。
境界表象 S(Ⱥ)[boundary signifier [Grenzvorstellung ]: S(Ⱥ)](PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)
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フロイトの原抑圧として概念化したものは何よりもまず固着である。この固着とは、何ものかが心的なものの領野外に置き残されるということである。〔・・・〕原抑圧はS(Ⱥ) に関わる [Primary repression concerns S(Ⱥ)]。(PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)
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ミレールは2011年にて30年続けたセミネールを終えているが、最後に言ったのはこうである。
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S (Ⱥ)とは真に、欲動のクッションの綴じ目である[S DE GRAND A BARRE, qui est vraiment le point de capiton des pulsions](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 06/04/2011)
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この欲動のクッションの綴じ目[le point de capiton des pulsions]は、フロイトの欲動の固着[Fixierung der Triebe]を意味する。
分析経験の基盤、それは厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, …précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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固着は、リビドーの固着、欲動の固着である[la fixation, la fixation de libido, la fixation de la pulsion ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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フロイトが固着と呼んだものは、享楽の固着である[c'est ce que Freud appelait la fixation…c'est une fixation de jouissance.](J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
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欲動の固着、リビドーの固着はラカンの次の文に相当する。
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欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧と関係がある。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.[…]La relation de cet Urverdrängt(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
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リビドーは、その名が示すように、穴に関与せざるをいられない La libido, comme son nom l'indique, ne peut être que participant du trou〔・・・〕そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。et c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même. (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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原抑圧とは固着だから。
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抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)
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というわけで、基本的には固着S(Ⱥ)によりエスȺに置き残されるのが原主体でありやっぱりドッチデモイイ。ラカン自身はこのマテームを放り出すように何度も何度も使っているだけで、鮮明な説明はない。しかも時期によって言うことが違う。
ボクはO型なのでドッチデモイイが、もしそれがオキライな方は自分で追求してください。ボクは雑な頭でここまでの記述を全力を尽くして(?)示しました。
以上。
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