今回の本("Une esquisse de l'histoire des femmes")で私は、革命的といってもいいような理論的なブレークスルーをしています。女性を「(偶発的な事情が原因で不妊になった場合をのぞき)子供を身ごもれる人間(femme tout être humain capable de porter un enfant, sauf accident de stérilité)」と定義したのです。 昨今、こんな定義をするのは非常にリスクがあることは承知しています。ほとんど反動的とみなされかねませんからね(笑)。(エマニュエル・トッド「今のフェミニズムは男女の間に戦争を起こそうとする、現実離れしたイデオロギー」2022.2.19) |
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女の定義は子供を身ごもれる人間である、ーーいやあ、このエマニュエル・トッドの定義は素晴らしい。「革命的といってもいいような理論的なブレークスルー」というのはいささか大袈裟にしろ。
ここでラカンにて補おう。
ここで私のファルスΦに戻ろう。この大きなファルスΦはまた幻想の最初の文字である。C'est bien en quoi je reviens à mon Φ, mon grand Φ là, qui peut aussi bien être la première lettre du mot fantasme. |
このファルスΦの文字は音声の機能の関係に位置付けられる。一般に考えられている事とは異なり、ファルスの本質は音声の機能であり、このファルスは男を代替する。…そして別のシニフィアン、私が唯一、複合的マテーム文字S(Ⱥ)、斜線を引かれた大他者で示し得たものは、ファルスとはまったく異なる何ものかである。 Cette lettre situe les rapports de ce que j'appellerai une fonction de phonation… c'est là l'essence du Φ, contrairement à ce qu'on croit …une fonction de phonation qui se trouve être substitutive du mâle -… signifiant que je n'ai pu supporter que d'une lettre compliquée de notation mathématique …à savoir ce que j'ai écrit en dessous, là : S(Ⱥ), S de A barré c'est tout autre chose. 〔・・・〕 |
私のS(Ⱥ)、それは「大他者はない」ということである。無意識の場処としての大他者の補填を除いては。mon S(Ⱥ). C'est parce qu'il n'y a pas d'Autre, non pas là où il y a suppléance… à savoir l'Autre comme lieu de l'inconscient〔・・・〕 |
男は(女と)愛を交わすのではない。結局、男は愛を交わすのである、彼の無意識と。それ以外の何ものでもない。Ça n'est pas ce avec quoi l'homme fait l'amour, c'est-à-dire en fin de compte avec son inconscient, et rien de plus.〔・・・〕 |
人間のすべての必要性、それは大他者の大他者があるべきことである。これを一般的に神と呼ぶ。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである。 La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». |
女なるものを"La"として示すことを許容する唯一のことは、「女なるものは存在しない」ということである。女なるものを許容する唯一のことは神のように子供を身籠ることである。La seule chose qui permette de la désigner comme La… puisque je vous ai dit que « La femme » n'ex-sistait pas, …la seule chose qui permette de supposer La femme, c'est que - comme Dieu - elle soit pondeuse. |
唯一、分析が我々に導く進展は、"La"の神話のすべては唯一母から生じることだ。すなわちイヴから。子供を孕む固有の女たちである。 Seulement c'est là le progrès que l'analyse nous fait aire, c'est de nous apercevoir qu'encore que le mythe la fasse toute sortir d'une seule mère - à savoir d'EVE - ben il n'y a que des pondeuses particulières. (Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
基本的には次のようにおける。
象徴界はファルス秩序(言語秩序)である。
ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない。Die Bedeutung des Phallus est en réalité un pléonasme : il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus. (ラカン, S18, 09 Juin 1971) |
象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978) |
S(Ⱥ)、は「大他者はない(il n'y a pas d'Autre)」、あるいは《大他者は存在しない。それを私はS(Ⱥ)と書く[l'Autre n'existe pas, ce que j'ai écrit comme ça : S(Ⱥ).]》(Lacan, S24, 08 Mars 1977)であり、これが現実界である。
ファルスΦは父の名のマテームでもあるが、S(Ⱥ) というマテームは実は母の名のマテームなのである。 |
サントームは無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome, …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient ] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001) |
ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens]。ラカンはこのモノをサントームと呼んだのである。サントームはエスの形象である[ce qu'il appelle le sinthome, c'est une figure du ça ] (J.-A.MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 4 mars 2009) |
母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding. ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
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「女なるものが存在しない」とは女はファルスの印をもっていないということであり、象徴界には存在しないが現実界にはいる。これが女たちである。とはいえ女たちも言語を使用して生きているのだから、その観点においてはファルスの住人である。
言語そのものは仮象であり、男なるものはこの観点においては存在しない。《はっきりしているのは、男なるものは存在しないことである[il est clair que L’homme n’existe pas.](Marie-Hélène Brousse, Le trou noir de la différence sexuelle, 2019)。
男なるものはファルスの詐欺師としてのみ存在する。
女性性の普遍的概念が欠けている[manquant d'un concept universel de la féminité]。 女たちは女が何であるか知らない[elles ne savent pas qui elles sont]。〔・・・〕しかし女たちは自分が知らないことを知っている[elles savent qu'elles ne savent pas]。他方、男は知っている。男は男であることが何であるかを信じている[Tandis que les hommes savent, croient savoir ce que c'est qu'être un homme]。そしてこの知は唯一、「詐欺師の審級 le registre de l'imposture」において得られる。(Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008) |
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とはいえ現実界にいる女たちは具体的にはーーいや「究極的には」と言ったほうがいいかもしれないーー何なのか?
女なるものは存在しない。女たちはいる。だが女なるものは、人間にとっての夢である。[La femme n'existe pas. Il y des femmes, mais La femme, c'est un rêve de l'homme](Lacan, Conférence à Genève sur le symptôme, 1975) |
フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。 Freud… Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978) |
女なるものは妄想だとしても女たちはいる。先ほど掲げたサントームセミネールⅩⅩⅢのラカンが言っている「受胎の力をもつ母の後継、イヴの後継である女たち」はいる。 ラカンの「ひとりの女」とはこの女たちである。 |
ひとりの女は異者である[une femme …c'est une étrangeté.] (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
異者がいる。異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich ](Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
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不気味なものは…抑圧の過程によって異者化されている。Unheimliche…durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist. (フロイト『不気味なもの』第2章、1919年) |
女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat. |
「愛は郷愁だ」と機知は言う。 »Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort, そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい。und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen. |
したがっての場合においてもまた、不気味なものはこかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。 Das Unheimliche ist also auch in diesem Falle das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung. |
(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年) |
というわけだが、私はかつての常識、つまりこのポリコレイデオロギーの下の「知的退行の時代」においてエマニュエル・トッド曰くの反動的な意見を言いたくない。
フェミニズムは女たちを裏切った。男と女を疎外し、ポリティカルコレクトネス討論にて代替したのである。Feminism has betrayed women, alienated men and women, replaced dialogue with political correctness(カミール・パーリア 、プレイボーイインタヴュー、1995年) |
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トッドの見解、特に「今のフェミニズムは男女の間に戦争を起こそうとする、現実離れしたイデオロギー」とは、実は真のフェミニストーー米国ポリコレ文化内の爆弾女パーリアが1990年前後以降、既に連発している[参照]。だがここではもう何度も繰り返したので彼女には触れず、「ごく標準的な」見解の引用ですましておくことにする。
神はヴァギナのなかにいる[God is in the Vagina]–(ラーマクリシュナ Sri Ramakrishna) |
「神様があらゆる所に居るって本当?」と小さな少女が母親に尋ねた。「でもそれは無作法な事だと思うわ」哲学者にとってはヒントだ! „Ist es wahr, dass der liebe Gott überall zugegen ist?“ fragte ein kleines Mädchen seine Mutter: „aber ich finde das unanständig“ ― ein Wink für Philosophen! 自然が謎と色とりどりの不確実性の背後に身を隠した時の蓋恥は、もっと尊重した方が良い。恐らく真理とは、その根底を窺わせない根を持つ女ではないか?恐らくその名は、ギリシア語で言うと、バウボ[Baubo]というのではないか?… Man sollte die Scham besser in Ehren halten, mit der sich die Natur hinter Räthsel und bunte Ungewissheiten versteckt hat. Vielleicht ist die Wahrheit ein Weib, das Gründe hat, ihre Gründe nicht sehn zu lassen? Vielleicht ist ihr Name, griechisch zu reden, Baubo?... (ニーチェ『悦ばしき知』「序」第2版、1887年) |