2022年4月12日火曜日

「陰謀論」を流通させる知的義務

 


たいていの日本人は右側国際世論に相対的に「啓蒙=洗脳」されて「知的障害者」になっているからな、少しは天秤を左に傾けてバランス取らなくちゃ。右に傾いてばかりいたら「絶対的知的障害者」になっちまうよ。


私は相対的にはたんに知的障害者にすぎないよ…言わせてもらえば、全世界の連中と同様に相対的には知的障害者だ。というのは、たぶん私は、いささか啓蒙されているからな。[Comme je ne suis débile mental que relativement… je veux dire que je le suis comme tout le monde …comme je ne suis débile mental que relativement, c'est peut-être qu'une petite lumière me serait arrivée. ](Lacan, S24, 17 Mai 1977)


バランスを取ること、それが最低限の義務だよ、西側世論という支配的イデオロギーの操り人形にならないために。哲学ーー例えばニーチェ曰くの「信念の牢獄」の囚人にならずに常に「懐疑」する者ーーにとってのさ。


「哲学は何の役に立つのか?」と問う人には、次のように答えなければならない。誰が他に関心を持つというのか、自由な人間の姿を作ること、権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発することに。[À qui demande : « à quoi sert la philosophie ? », il faut répondre : qui d'autre a intérêt ne serait-ce qu'à dresser l'image d'un homme libre, à dénoncer toutes les forces qui ont besoin du mythe et du trouble de l'âme pour asseoir leur puissance ?](ドゥルーズ「ルクレティウスとシミュラークル」『意味の論理学』1969 年)


つまり世界を席巻する西側メディアのとんでもない権力に対抗するためには、欧米プロパガンダに徹底的に洗脳された者たちが「陰謀論」と嘲笑する情報をーー脊髄反射ではなく、充分に吟味・選別しつつーー巷間に流通させる努力をすべきだね。


もっとも21世紀の「末人」ーー《自分自身を軽蔑できない、最も軽蔑すべき人間の時代》ーーには無理な要求だろうが。自らが何らかの形で常に洗脳されていることにさえ無自覚な畜群にとっては。例えば人はみな言語によって洗脳されている。使用言語が異なれば世界は異なって見えるのは当たり前だ[参照]。より一般的には、《フロイトの視点に立てば、人間は言語に囚われ、折檻を受ける主体である Dans la perspective freudienne, l'homme c'est le sujet pris et torturé par le langage》(Lacan, S3, 16 mai 1956)というのはラカン派思考のベースである。


さてニーチェを引こう。


私は君達に言う、踊る星を生むことが出来るためには、人は自分のうちに混沌を持っていなければならない。私は君達に言う、君達は自分のうちにまだ混沌を持っている。


災いなるかな! 人間がいかなる星も生まなくなる時代が来る。


災いなるかな! 自分自身を軽蔑できない、最も軽蔑すべき人間の時代が来る[ Es kommt die Weit des verächtlichsten Menschen, der sich selber nicht mehr verachten kann.]


見よ! 私は君達に末人を示そう[Seht! Ich zeige euch den letzten Menschen.]


『愛って何? 創造って何? 憧憬って何? 星って何?』―こう末人は問い、まばたきをする。


そのとき大地は小さくなっている。その上を末人が飛び跳ねる。末人は全てのものを小さくする。この種族はノミのように根絶できない。末人は一番長く生きる。


『われわれは幸福を発明した』―こう末人たちは言い、まばたきをする。


彼らは生き難い土地を去った、温かさが必要だから。彼らはまだ隣人を愛しており、隣人に身体を擦りつける、温かさが必要だから。


病気になることと不信をもつことは、かれらにとっては罪である。かれらは歩き方にも気をくばる。石につまずく者、もしくは人につまずく者は愚者とされる。


ときおり少しの毒、それは快い夢を見させる。そして最後は多量の毒、快い死のために。


かれらもやはり働く。というのは働くことは慰みになるからだ。しかしその慰みが身をそこねることがないように気をつける。


かれらはもう貧しくなることも、富むこともない。両者ともに煩わしすぎるのだ。もうだれも統治しようとしない。服従しようとしない。両者ともに煩わしすぎるのだ。

飼い主のいない、ひとつの畜群! [Kein Hirt und Eine Heerde! ] 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら望んで気ちがい病院に向かう。


「むかしは、世界をあげて狂っていた」ーーそう洗練された人士は言って、まばたきする。


かれらはみな怜悧であり、世界に起こったいっさいのことについて知識をもっている。だからかれらはたえず嘲笑の種を見つける[so hat man kein Ende zu spotten]。かれらも争いはする。しかしすぐに和解するーーそうしなければ胃をそこなうからだ。


かれらはいささかの昼の快楽、いささかの夜の快楽をもちあわせている。しかし健康をなによりも重んずる。


「われわれは幸福を発明した」ーーそう末人たちは言う。そしてまばたきする。ーー

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「序」第5節)



末人は「たえず嘲笑の種を見つける」側か。この部分は失念してたが、ニーチェはやっぱりドンピシャだ。


要は支配的イデオロギーに洗脳され切って、自らの思い込みに反する見解を「陰謀論」として嘲笑する者たちこそ、21世紀の末人的陰謀論者=絶対的知的障害者だということだよ。