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2022年6月4日土曜日

新自由主義社会の時代の「不幸な」学者たち

 


ベルギーの名門ゲント大学のポール・バーハウは20149月のThe Guardian 記事「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎した Neoliberalism has brought out the worst in us"」(2014.09.29新自由主義社会への強い批判をして一般にも比較的知られるようになったラカン派精神分析家ーー英語圏のラカン注釈では第一人者ーーだが、さる講演で次のように言っている。


それほど昔のことではない、支配的ナラティヴは少なくとも四種類の言説のあいだの相互作用を基盤としていたのは。それは、政治的言説・宗教的言説・経済的言説・文化的言説であり、その中でも政治的言説と宗教的言説の相が最も重要だった。現在、これらは殆ど消滅してしまった。政治家はお笑い芸人のネタである。宗教は性的虐待や自爆テロのイメージを呼び起こす。文化に関しては、人はみな芸術家となった。唯一残っているのは経済的言説である。われわれは新自由主義社会に生きている。そこでは全世界がひとつの大きな市場であり、すべてが生産物となる。さらにこの社会はいわゆる実力主義に結びついている。人はみな自分の成功と失敗に責任がある。独力で出世するという神話。あなたが成功したら自分自身に感謝し、失敗したら自分自身を責める。そして最も重要な規範は、利益・マネーである。何をするにもカネをもたらさねばならない。これが新自由主義社会のメッセージである。(ポール・バーハウPaul Verhaeghe, Higher education in times of neoliberalism, November 2015)



そして、この新自由主義社会の経済的言説は大学機関にも大きく影響し、創造性と批評精神を崩壊させていると。


私のテーゼは、ほとんどの大学は新自由主義の奴隷になっているということだ。これは大学にとっても社会にとっても悪である。大学にとって悪なのは、創造性と批評精神を崩壊させるから。社会にとって悪なのは、学生に新自由主義のアイデンティティを書き込むから。〔・・・〕


より高度な教育にとっての機関の現代的使命言説は「生産性」「競争性」「革新」「成長」「アウトプット資金調達」「コアビジネス」「投資」「ベンチマーキング」等々である。これらの中いくつかの表現はかつての時代の、例えば「多様性と尊敬の育成」、「精神の修養」等を指し示しているかに見える。だが欺かれてはならない。これは単に粉飾に過ぎない。新しい言説の核心は経済である。


長いあいだ、大学は自身の小宇宙のなかの静的な社会だった。〔・・・〕しかし、状況は劇的に変貌した。大学人は不可視の行政機関の音楽に従って踊ることを余儀なくされている。(Paul Verhaeghe, Identity, trust, commitment and the failure of contemporary universities, 2013)


この大学機関の凋落に関して、例えば、生産性やアウトプットのためには長期間かかる研究テーマは避けられる傾向があるに違いないし、日本の事例なら、教師や院生は科研費等の資金調達の獲得のために、以前に比べて行政機関が支持する主流イデオロギーを批判することがひどく難しくなっているのだろう。それは少なくとも無意識的にそうならざるを得ないように思う、《彼らはそれを知らないが、そうする[ Sie wissen das nicht, aber sie tun es]》(マルクス『資本論』第1巻「一般的価値形態から貨幣形態への移行」)


私はこの3カ月のあいだ、国際政治学者、とくに冷戦終了後に学んだ50歳前後以下の者たちの言説にひどく驚いたのだがーーなぜ彼らは一様に主流イデオロギーを鵜呑みにした発言ばかりしているのかとーー、おそらく新自由主義社会の時代の「不幸な」学者たちということが大きく関わっているのではないか。


これは政治学者に限らない。昨日、主にロシア文学者たちによる雑誌チェマダン特別号「 ウクライナ侵攻とロシアの現在 」(2022年5月)を覗いてみたのだが、冒頭の巻頭言に引き続く「「文化」のナショナリティについての覚書」(八木君人)には、《今回のロシア政府によるウクライナ侵攻=特別軍事作戦の「大義」については、「ウクライナ東部でのロシア系住民のジェノサイド」や「ウクライナ現政権の非ナチ化」といったきわめて根拠に乏しい「大義名分」(にすらならないもの)》などとある。ロシア文学研究者が、情報がふんだんに出てきたこの期に及んでも、2014年以降の米国をバックにしたウクライナのネオナチ化進展とこの8年のあいだにドンバスロシア語系住民の悲劇を「きわめて根拠に乏しい」などと言っているのは、私には信じがたい「批評精神の欠如」である。八木君人氏以外にも、翻訳を除いて11名の論があるのだが、ざっと見た限りではドンバス8年間の内戦を話題にしている書き手は不在であり「全滅」である。



今まで8年間のあいだ、アメリカとヨーロッパと日本はね、ウクライナ人がウクライナ人を殺しているのに、その事を誰もまったく気にしなかったですけど、ニュースも出なかったですよね。8年間。ずっと…ウクライナ人がウクライナ人を殺してる。それについて実際どう思いますか。(リャザノワ•イリーナ(ルガンスク人民共和国)、2022/5/8 [参照])



信じ込まなくてもよい。だが批判的にであれ、こういった話をこの今になってもまったく話題にしないーーいや冒頭近くに「きわめて根拠に乏しい」と片付けてあるのみのーーロシア文芸批評文集とはいったい何なのか?





◼️勝谷誠彦ウクライナレポート(一部抜粋 YouTube ) 2014/08/26

「(ドンバスへ)行ってみたら、全然日本で報じられているのと違う状況がある。ウクライナの人たちの生活を破壊したのは、実はウクライナ軍」

「子供達や病人がいる所に、ウクライナ軍は弾を撃ち込んでいる」



見たいものしか見ていないとしか言いようがない。


聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)