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2022年7月3日日曜日

NATOはこの8年、ロシア人を殺させるために宇国のネオナチを訓練した


前々回掲げた@taiyonoibiki さんによる"Ukraine War Update and Analysis w/Scott Ritter. 2022/06/18"の第一弾に引き続き、第二弾の邦訳が昨晩上がっているね。


この4ヶ月、ウクライナや米主導のNATOを応援してきた全員に対する「知的銃殺」系箇所じゃないかね。


このスコット・リッターの言っている核心は、ミアシャイマーもより穏やかな言葉で言っている。

NATO同盟は2014年にウクライナ軍の訓練を開始し、その後8年間で毎年平均1万人の訓練された部隊を生み出した。 The alliance began training the Ukrainian military in 2014, averaging 10,000 trained troops annually over the next eight years.(ジョン・J・ミアシャイマー「ウクライナ戦争の原因と帰結」2022/06/16



きみたちはまだこの事実を信じないふりをするんだろうけどさ、この期に及んでもネオコン宗教信者の国際政治学者らに依拠して。だが、ミアシャイマーの言うように、歴史は、ウクライナに対する極めて愚かな政策について、米国とその同盟国を厳しく裁くことになるだろう[History will judge the United States and its allies harshly for their remarkably foolish policy on Ukraine]》。そしてきみたちの完全ロバぶりも裁くことだろうよ。




The Sun Snores Press @taiyonoibiki 2022/07/02


ロシア介入4ヶ月後のウクライナ再評価/スコット・リッター


シリーズ⑵紛争解決に関してロシア・ウクライナ間に交渉はない。あるのはウクライナの無条件降伏だけだ。

今年2022年2月24日、ロシアは

❶ウクライナの非ナチス化

❷ウクライナの非NATO化

という二つの明確な目的を挙げてウクライナに軍事介入しました。

あれから4ヶ月、今、ウクライナはどうなっているのでしょうか?


スコット・リッターが下した最新の「ロシア特別軍事作戦ウクライナ4ヶ月評価」をダニー・ハイフォン(The Left Lens)インタビューから6回シリーズでお送りします。


Ukraine War Update and Analysis w/Scott Ritterから (長大なのでスコットの解答部分のみ全訳)

①スコット:はじめに交渉という言葉の定義から始めましょう。ロシアとウクライナとの間にどのような交渉もあり得ません。なぜなら、交渉成立の前提には相対する二つのパーティがそれぞれ交渉のテーブルに持って行く取引に値する何かが必要だからです。


②双方がそれを持って交渉のテーブルに着く。そこでお互いにカードをちらつかせながら相手の妥協を引き出し、最終的にお互いが納得できる合意点を見出して手打ちとなる。しかしウクライナの場合、テーブルに持っていくものが何一つありません。


③ですから、交渉はあり得ず、必然的にウクライナに残された道は無条件降伏しかありません。ロシアは飽き飽きしているのです。もうずっと前にゲームは終わっているです。ロシアが介入する以前にも、ゼレンスキーにはこの戦争を止められるたくさんの機会がありました。


④特別軍事作戦が始まった後でさえ、単純にロシアの二つの目的に応じることでダメージを緩和できるチャンスがたくさんありました。それにも関わらず、いまだにロシアのウクライナ非ナチス化の要求を無茶な要求だと言っている人がいます。彼らは「ウクライナにナチスなどいない」と言います。


⑤また、ロシアのウクライナ非NATO化の要求を不可能な要求だと言う人がいます。その人たちに言わせると「ウクライナにはNATOに加入する権利がある」のだそうです。では、ここでさっと歴史のおさらいをしてみましょう。


⑥ステパン・バンデラをトップとしたウルトラ・ナショナリストのパーティが誕生したのが1920年代でした。彼らは自分たちのことを「優秀人種」とみなしていました。そしてナチス・ドイツと自分たちの間に血統上のつながりを見ていました。


⑦1945年、ナチス・ドイツが敗れた後、今度はCIAが彼らのバンデラ主義運動を支援し始めました。ソ連のコミュニストを殺すのにバンデラ主義が役立つと考えたからでした。


⑧バンデラ主義者たちはCIAの支援を受けながらそれから約10年間ゲリラとなってソ連と戦い続け、その間に15万人のポーランド人と20万人のロシア人を殺しました。バンデラ主義のウクライナ人たちはポーランド人やロシア人を劣等人種と見做していましたから、彼らはテロの標的になったのです。


⑨1950年代半ばごろまでにはバンデラ主義者たちは軍事的に敗北していましたが、その後もCIAは彼らを支援し続けます。1954年から1990年にかけてCIAは今度はバンデラ主義者たちの政治運動に支援するようになっていきました。アメリカにもカナダにもバンデラ主義者の政治グループがたくさん存在します。


⑩「西ウクライナのバンデラ主義者たちが大量に亡命してきたからです。彼らはアメリカやカナダの政治に深く関与するようになり、大きな影響力を持つようになっていきます。ロシア・ゲート・スキャンダルに関与した顔ぶれを見ると、その中に彼らのたくさんの名前を見ることができます。


⑪彼らは大西洋を隔てたところから西ウクライナのバンデラ主義復活に尽力しました。それはついに2014年マイダン・クーデターで民主的に選出された大統領とその政府を転覆させるところまで発展していきました。


⑫重要なことはそのアメリカの支援がもともと西ウクライナの中でも少数派に過ぎなかった暴力的なウルトラナショナリストたちを運動の中心にまで押し上げていったことです。これは政治運動自体が暴力的になっていったことを意味します。


⑬彼らはバンデラを国家英雄と定める法律を作っただけでなく、ロシア語やロシア文化、ロシアの民族性を禁止する法律を通過させました。そしてその法律を実行する方法として暴力を積極的に採用していきました。


⑭まず、2014年5月、彼らはオデッサに行って150人のロシア人を市の建物に閉じ込め、火を放ちました。約50人が生きながら焼き殺されました。これはロシア系住民が圧倒的多数のオデッサからロシア人を一掃するキャンペーンの序曲でした。


⑮彼らはその勢いでそのままクリミアに向かいますが、虐殺は事前にロシアによって阻止されます。そこで彼らは方向をマリオープルに変えました。マリオープルはアゾフ海に面するロシア人が圧倒的に多い街です。アゾフ大隊について聞いたことがあるでしょう。ウクライナのネオナチです。


⑯彼らは事もあろうにそのマリオープルを彼らの運動のヘッドクォーターに作り替え、そこを本拠にドンバスのロシア人のエスニック・クレンジング(民族浄化)を開始するのです。それをシビル・ウォー(内乱)と呼ぶ人がいますが、内乱ではありません。


⑰それは単に圧倒的な武器を持つグループが武器を持たないグループに対して行う民族浄化であり、大虐殺です。戦争裁判が始まったら、彼らの行ったおぞましい犯罪の数々が明るみに出されることでしょう。


⑱その恐ろしい詳細について私はここで触れませんが、一つだけ言うと、ロシアは大量の動画や写真を証拠として持っています。殺人鬼やレイピストの病的特徴として彼らは自らの犯罪を写真に撮ったり録画したりしてそれを自慢する傾向があります。


⑲同じ性向を持つ変質者たちの間でそれを見せ合って自慢し合うのです。ロシアはそれらの写真や動画を捉えました。犯罪者たちがロシア人男性・女性・子どもをレイプし虐殺している自撮りの写真・動画を大量に捉えました。


⑳犯罪を犯した数千人のネオナチが捕らえられ、それらの証拠と一緒に裁判にかけられることでしょう。ネオナチが暴力によってこの戦争を始め、結果としてドニエツク・ルガンスクの人たちにウクライナからの分離独立を決意させることになります。しかし、ここで忘れてはいけない重要な事実があります。


㉑それはロシアがその独立を認めなかったという事実です。ロシアはドニエツク・ルガンスクに「あなた方はウクライナの一部だ」と言ったのです。ですから、誰であれ「ロシアが領土欲しさにウクライナを侵略した」という人はとんでもない見当違いをしていることになります。


㉒まず、クリミアについて言うと、あれは元々ロシアであり、自衛です。それは歴史を見れば明らかです。しかし、ドンバスについては「あれはウクライナだ」とロシアは言いました。


㉓ロシアはドンバスにいるロシア人とロシア人の権利を防衛はするが、ドンバスがウクライナから独立分離することは認められないと言ったのです。そして8年間にわたるキエフのドンバス砲撃が始まります。14,000人から16,000人が、その多くが子どもでしたが、殺されました。


㉔ポロシェンコのスピーチを覚えていますね。


㉕その時彼はウクライナの大統領でしたが、ナショナル・テレビの放送で彼は「ウクライナの子どもたちは学校に行き、公園に行って遊ぶが、ドンバスのロシアの子どもは地下の防空壕で毎日震えて暮らせ。なぜなら、我々が毎日大砲の雨を降らせてやるからだ」と自慢げに言ったのです。


㉖ポロシェンコという男はそういう男です。ポロシェンコについてはそれだけにとどまりません。ロシアは紛争解決の平和的道を模索しました。そして2015年には実際にフランスとドイツを仲介役として交渉の席によび、いわゆるノルマンディ・フォーマット、またの名をミンスク合意を成立させます。


㉗そこでウクライナがやるべきことはただ一つ、そのミンスク合意を履行することでした。ドニエツク・ルガンスクの特別自治の承認、つまりドンバスのロシア人のためにロシア語の確保とロシア文化・民族性の保証などです。ところがそれから7年間、ウクライナは全くそれを履行しませんでした。


㉘その度になんだかんだ言って履行しませんでした。そして仲介役のフランスもドイツもウクライナに履行を求めませんでした。


㉙それどころか、ポロシェンコはテレビで「ミンスク合意はクソだ。ウクライナは絶対に履行なんかしないぞ。調印して見せたのは、ドンバスのロシア人皆殺しの準備ができるまでの時間稼ぎだ。それまでに我々は軍備を整え、ドンバスとクリミアを攻撃する」と言ったのです。


㉚ポロシェンコの言葉は単なる口から出任せのデタラメではありませんでした。なぜならミンスク合意が調印された同じ年の2015年、アメリカ合衆国とNATOがウクライナ軍の軍事訓練を開始したからです。アメリカ合衆国はNATOのスタンダードで年間平均5大隊のウクライナ軍を訓練しました。


㉛従って8年間で40もの大隊を訓練したことになります。しかもアメリカはそのことを自慢していました。「我々はここで西ウクライナ人を訓練し、彼らを(矢印で地図を示しながら)ここ(ドンバス)に送ってロシア人を殺させるのだ」と得意になって言っていました。


㉜8年かけて40もの大隊を訓練するというのは大変なことです。しかも、NATO(アメリカ)はそれをドンバスのロシア人を殺すというただ一つの目的のためにやっていたのです。ですから、ロシアがNATOに腹を立てたとしても何の不思議もありません。NATOは自衛のために軍隊では全くありません。


㉝まずNATOは外交的にウクライナにミンスク合意についての嘘を吐かせました。ウクライナがミンスク合意を履行することは100%ないことを十分知りながら、それどころか陰で絶対履行するなと唆しながら表面では履行を望んでいるようなフリをしていたのです。


㉞そして、その間に影で(実はかなりあからさまに)NATOはウクライナに強大な軍隊を構築し、準備が整い次第、ロシア人大虐殺を実行する計画だったわけです。2月24日、プーチンが特別軍事作戦を開始するや否や、西側は「プーチンが帝国主義的領土拡大欲からウクライナを侵略した」と一斉に非難しました。


㉟とんでも無いことです。特別軍事作戦は、ロシア人のリーダーとしてプーチンがとった完璧に合法的な自衛行動です。ロシアが示し続けてきた最大限の誠実さに対するNATOの度重なる裏切り、嘘、二枚舌にほとほと愛想が尽き果てたのです。


㊱ウクライナのウルトラナショナリストやネオナチではなく、他でもないNATOがロシア人を殺させるためにナチスを訓練し、軍備を備えたのです。そういうことから、これからウクライナ政府に何が残されるかわかりませんが、ロシア人人口の多い地域がウクライナに返還させることは決してないでしょう。


㊲ウクライナは広大な領土を永久に失うことになるでしょう。二度と取り戻すことはできないでしょう。それが現在の東ウクライナのリアリティです。


(了)