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2022年9月20日火曜日

あの夏へ

 


こうやって聴くととっても名曲だな、「あの夏へ」。ピアノでやるよりずっといいや。

千と千尋の神隠し】いのちの名前(あの夏へ)- 鈴木智貴×花城よしの / ウクレレカバー



花城よしのさんは沖縄生まれの、もともとはウクレレの人みたいだ。とってもステキな歌手だね、子宮の力があるよ。



昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた(あるいはおそらくそう感じていた)。子どもは小さな死を、おとなは大きな死を自らのなかにひめていた。女は死を胎内に、男は胸内にもっていた。誰もが死を宿していた。それが彼らに特有の尊厳と静謐な品位を与えた。

Früher wußte man (oder vielleicht man ahnte es), daß man den Tod in sich hatte wie die Frucht den Kern. Die Kinder hatten einen kleinen in sich und die Erwachsenen einen großen. Die Frauen hatten ihn im Schooß und die Männer in der Brust. Den hatte man, und das gab einem eine eigentümliche Würde und einen stillen Stolz.(リルケ『マルテの手記』1910年)


いくらかの甘さを削ぎ落としたら、そのうち天使の力を出すかもよ


美しきものは恐ろしきものの発端にほかならず、ここまではまだわれわれにも堪えられる。われわれが美しきものを称賛するのは、美がわれわれを、滅ぼしもせずに打ち棄ててかえりみぬ、その限りのことなのだ。あらゆる天使は恐ろしい。Denn das Schöne ist nichtsals des Schrecklichen Anfang, den wir noch grade ertragen, und wir bewundern es so, weil es gelassen verschmäht, uns zu zerstören. Ein jeder Engel ist schrecklich. (リルケ『詩への小路』ドゥイノ・エレギー訳文1、古井由吉)




そうかそうか、「あの夏へ」はもともと木村弓さんが歌にしたのだな、このまだとっても若い上田桃夏さんのだってなかなかだ。


いのちの名前 / 木村弓 cover by 上田桃夏 『千と千尋の神隠し』 主題歌 弾き語り



若くたって子宮をもってるほうが死を感じる度合いが強いに決まってるさ、身体で知ってるんだ。


女の定義は子供を孕むイヴだからな


一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである。.C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile  que c'est tout simplement « La femme ».

女なるものを"La"として示すことを許容する唯一のことは、「女なるものは存在しない」ということである。女なるものを許容する唯一のことは神のように子供を身籠ることである。La seule chose qui permette de la désigner comme La…  puisque je vous ai dit que « La femme » n'ex-sistait pas, …la seule chose qui permette de supposer La femme,  c'est que - comme Dieu - elle soit pondeuse.

唯一、分析が我々に導く進展は、"La"の神話のすべては唯一母から生じることだ。すなわちイヴから。子供を孕む固有の女たちである。

Seulement c'est là le progrès que l'analyse nous fait  aire, c'est de nous apercevoir qu'encore que le mythe la fasse toute sortir d'une seule mère  - à savoir d'EVE - ben il n'y a que des pondeuses particulières.   (Lacan, S23, 16 Mars 1976)


エマニュエル・トッドは最近、ラカンと同じことを目新しそうに言ってるけどさ、そんなの昔からわかってたことさ。

今回の本("Une esquisse de l'histoire des femmes")で私は、革命的といってもいいような理論的なブレークスルーをしています。女性を「(偶発的な事情が原因で不妊になった場合をのぞき)子供を身ごもれる人間(femme tout être humain capable de porter un enfant, sauf accident de stérilité)」と定義したのです。


昨今、こんな定義をするのは非常にリスクがあることは承知しています。ほとんど反動的とみなされかねませんからね(笑)。(エマニュエル・トッド「今のフェミニズムは男女の間に戦争を起こそうとする、現実離れしたイデオロギー」2022.2.19


こんなこと、フェミニズム宗教が蔓延ったせいで、みんな知らないふりしてるだけさ。ラカンどころかフロイトもリルケも、さらに遠い昔には常識。ーー《心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.  》(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)。あそこは暖かったからな、「あの夏へ」ってそのことだよ。だから「いのちの名前」だ。


例えば、吉田一穂の至高の名唱は「いのちの名前」の喪失歌ってんのさ



母  吉田一穂


あゝ麗はしい距離〔デスタンス〕、

つねに遠のいてゆく風景……


悲しみの彼方、母への、

捜り打つ夜半の最弱音〔ピアニツシモ〕



母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

不安は対象を喪った反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, (…) daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)



つまり、人間ってのはみな《喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben ]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)のピアニッシモの声が「麗はしいデスダンス」でときに迫ってくるんだ。これがエスの声だよ。


いま、エスは語る、いま、エスは聞こえる、いま、エスは夜を眠らぬ魂のなかに忍んでくる。ああ、ああ、なんと吐息をもらすことか、なんと夢を見ながら笑い声を立てることか。

ーーおまえには聞こえぬか、あれがひそやかに、すさまじく、心をこめておまえに語りかけるのが? あの古い、深い、深い真夜中が語りかけるのが?おお、人間よ、心して聞け!

- nun redet es, nun hört es sich, nun schleicht es sich in nächtliche überwache Seelen: ach! ach! wie sie seufzt! wie sie im Traume lacht!

- hörst du's nicht, wie sie heimlich, schrecklich, herzlich zu _dir_ redet, die alte tiefe tiefe Mitternacht? Oh Mensch, gieb Acht! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」1885年)


最近は難聴のヤツばっかりで話にならないけどさ、たぶんあのはしたない宗教のせいだろうよ。



あの最悪の新興宗教は神殺ししたんだ、バウボ殺しを。


神はヴァギナのなかにいる[God is in the Vagina]–(ラーマクリシュナ Sri Ramakrishna

「神様があらゆる所に居るって本当?」と小さな少女が母親に尋ねた。「でもそれは無作法な事だと思うわ」哲学者にとってはヒントだ!

 „Ist es wahr, dass der liebe Gott überall zugegen ist?“ fragte ein kleines Mädchen seine Mutter: „aber ich finde das unanständig“ ― ein Wink für Philosophen! 


自然が謎と色とりどりの不確実性の背後に身を隠した時の蓋恥は、もっと尊重した方が良い。恐らく真理とは、その根底を窺わせない根を持つ女ではないか?恐らくその名は、ギリシア語で言うと、バウボ[Baubo]というのではないか?…


Man sollte die Scham besser in Ehren halten, mit der sich die Natur hinter Räthsel und bunte Ungewissheiten versteckt hat. Vielleicht ist die Wahrheit ein Weib, das Gründe hat, ihre Gründe nicht sehn zu lassen? Vielleicht ist ihr Name, griechisch zu reden, Baubo?... (ニーチェ『悦ばしき知』「序」第2版、1887年)