前回掲げた動画 、VICE Newsのマイケル・モイニハン(Michael Moynihan)によるスティーヴン・コーエン (Stephen Cohen) とジョン・ミアシャイマー(John Mearsheimer)への2018年のインタビュー動画の前後には、ロシアフォビア(ロシア恐怖症)の話題が出ているが、この語もプーチンのこの9月30日の演説で連発している。
◼️プーチン大統領演説 2022年9月30日
青山貞一訳(東京都市大学名誉教授)
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欧米のエリートは、国家主権や国際法を否定しているだけではない。彼らの覇権は、明らかに全体主義的、専制的、アパルトヘイト的な性質を持っている。
彼らは大胆にも、世界を自分たちの属国、いわゆる文明国と、今日の西洋の人種差別主義者の意図にしたがって、野蛮人や未開人のリストに加わるべきその他の人々とに区分している。
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「ならず者国家」「権威主義政権」といった誤ったレッテルはすでに貼られており、国や国家全体に烙印を押しているのであり、これは何も新しいことではない。西洋のエリートは、植民地主義者のままである。彼らは差別をし、人々を「第一階層」と「第二階層」に分けている。
私たちは、このような政治的ナショナリズムや人種差別を決して受け入れてないし、これからも受け入れることはないだろう。そして、今、世界中に広がっているロシア恐怖症は、人種差別でなければ何なのか。
西欧が、自分たちの文明、つまり新自由主義文化が世界の他の国々にとって疑いようのないモデルであると信じて疑わないのは、人種差別でないとしたら何だろう。「われわれと共にない者は、われわれに敵する」。不思議な響きさえする。〔・・・〕
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欧米のエリートたちが、何世紀にもわたってロシア恐怖症に陥り、怒りを露わにしてきた背景には、まさに植民地支配の際に、ロシアが自らを奪われることなく、ヨーロッパ人たちに相互利益のための貿易を強いたからだということを強調したいのである。
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………………
サルトルの『ユダヤ人問題についての考察(Réflexions sur la question juive)』(1946年)は、アーレントやらデリダやらが後にイチャモンつけて最近はあまり読まれないようになったけれどーー確かにこの短いエッセイのなかには文句を言いたくなる記述がそれなりにあるーー、レイシズムやフォビアを思考する上での基本部分の把握としては欠かせないよ、ボクらの時代には大学一年の教養課程で真っ先に叩き込まれた論だけどな。
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例えば第2章にはこうある。
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もしユダヤ人が存在しないとすれば、反ユダヤ主義者はユダヤ人を発明するだろう[si le Juif n'existait pas, l'antisémite l'inventerait.](サルトル『ユダヤ人問題についての考察』1946年)
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そして最後のページはこうだ。
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黒人作家リチャード・ライトが最近、言っていたことだが、《合衆国には黒人問題など存在しない。 あるのは白人問題だけだ》。 同様に、われわれは、反ユダヤ主義はユダヤ人の問題ではなく、われわれの問題であると言おう。
«L'antisémitisme n'est pas un problème juif, c'est notre problème. », tout comme l'écrivain noir américain Richard Wright écrivit en son temps : « Il n'y a pas de problème noir aux États-Unis, il n'y a qu'un problème blanc »(サルトル『ユダヤ人問題についての考察』1946年)
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何よりもまずーーつまりそれだけではないにしろーー、差別は、われわれの問題を外部の対象に投射(投影)するんだ、差別の対象を発明してまでして。これは嫌悪やフォビアにおいても同じメカニズムがある。在日差別、ミソジニー、ロシアフォビア等々。人は、その衝動あるいは駆り立てる力に襲われたら、自らの問題を問うてみること。これが基本だよ。
……………
ここでフロイトから投射メカニズムについてのいくつかの記述を列挙しておこう。
フロイトの投射メカニズム[le mécanisme de la projection]の定式は次のものである…内部で拒絶されたものは、外部に現れる[ce qui a été rejeté de l'intérieur réapparaît par l'extérieur](ラカン, S3, 11 Avril 1956)
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◼️パラノイアにおける他人への非難の投射
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他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させる。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。
Eine Reihe von Vorwürfen gegen andere Personen läßt eine Reihe von Selbstvorwürfen des gleichen Inhalts vermuten. Man braucht nur jeden einzelnen Vorwurf auf die eigene Person des Redners zurückzuwenden. Diese Art, sich gegen einen Selbstvorwurf zu verteidigen, indem man den gleichen Vorwurf gegen eine andere Person erhebt, hat etwas unleugbar Automatisches.
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その典型は、子供の「しっぺ返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。
Sie findet ihr Vorbild in den »Retourkutschen« der Kinder, die unbedenklich zur Antwort geben: »Du bist ein Lügner«, wenn man sie der Lüge beschuldigt hat. Der Erwachsene würde im Bestreben nach Gegenbeschimpfung nach irgendeiner realen Blöße des Gegners ausschauen und nicht den Hauptwert auf die Wiederholung des nämlichen Inhalts legen.
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パラノイアでは、このような他人への非難の投射[Projektion des Vorwurfes auf einen anderen] は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされる。
In der Paranoia wird diese Projektion des Vorwurfes auf einen anderen ohne Inhaltsveränderung und somit ohne Anlehnung an die Realität als wahnbildender Vorgang manifest. (フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905年)
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◼️パラノイアにおいて、内的に愛として感じられるはずのものが、外的に憎悪として知覚される
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パラノイアにおける症状形成の最も顕著な特徴は、投射の名に相応しい過程である。内的な知覚が抑制され、その代わりに、その内容がある種の歪曲を受けた後、外的な知覚という形で意識に入り込む。迫害妄想の場合、その歪みは情動の変換からなる。内的に愛として感じられるはずのものが、外的に憎悪として知覚される。
An der Symptombildung bei Paranoia ist vor allem jener Zug auffällig, der die Benennung Projektion verdient. Eine innere Wahrnehmung wird unterdrückt, und zum Ersatz für sie kommt ihr Inhalt, nachdem er eine gewisse Entstellung erfahren hat, als Wahrnehmung von außen zum Bewußtsein. Die Entstellung besteht beim Verfolgungswahn in einer Affektverwandlung; was als Liebe innen hätte verspürt werden sollen, wird als Haß von außen wahrgenommen. (フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)
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◼️投射の一般化(パラノイアに限定されない)
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ある感覚の原因を、他の場合のように、自分の内部に求めるのではなく、外界に求めるとき、この正常な過程も投射と呼ぶに値する。したがって投射の本質の問題には、より一般的な心理学的問題が含まれていることを認識させられる。
Wenn wir die Ursachen gewisser Sinnesempfindungen nicht wie die anderer in uns selbst suchen, sondern sie nach außen verlegen, so verdient auch dieser normale Vorgang den Namen einer Projektion. So aufmerksam geworden, daß es sich beim Verständnis der Projektion um allgemeinere psychologische Probleme handelt (フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)
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◼️フォビア(恐怖症)における投射
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(ハンス少年において)不安におけるリビドーの転換は、恐怖症の主な対象である馬に投射された[die Verwandlung von Libido in Angst auf das Hauptobjekt der Phobie, das Pferd, projiziert. ](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年)
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恐怖症(フォビアPhobie)には投射[Projektion]の特徴がある。それは、内部にある欲動的危険を外部にある知覚しうる危険に置き換えるのである。この投射には利点がある。なぜなら、人は知覚対象からの逃避・回避により、外的危険に対して自身を保護しうるが、内部から湧き起こる危険に対しては逃避しようがないから。der Phobie den Charakter einer Projektion zugeschrieben, indem sie eine innere Triebgefahr durch eine äußere Wahrnehmungsgefahr ersetzt. Das bringt den Vorteil, daß man sich gegen die äußere Gefahr durch Flucht und Vermeidung der Wahrnehmung schützen kann, während gegen die Gefahr von innen keine Flucht nützt. (フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)
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◼️自己の内の無意識なものから注意を逸らすための他人への投射
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ところで、嫉妬妄想や追跡妄想をもつ患者が、内心に認めたくないことがあって、それをほかの他人に投射[projizieren nach außen auf andere hin]するのだと、われわれがいっても、それだけでは彼らの態度を充分には述べてはいないように思われる。
Es ahnt uns nun, daß wir das Verhalten des eifersüchtigen wie des verfolgten Paranoikers sehr ungenügend beschreiben, wenn wir sagen, sie projizieren nach außen auf andere hin, was sie im eigenen Innern nicht wahrnehmen wollen.
投射することは確かだが、彼らはあてなしに投射するわけではないし、似ても似つかぬもののあるところに投射するのでない。彼らは自分の無意識的知に導かれて、他人の無意識に注意を移行させる。彼らは自分自身の中の無意識なものから注意をそらして、他人の無意識なものに注意をむけている。
Gewiß tun sie das, aber sie projizieren sozusagen nicht ins Blaue hinaus, nicht dorthin, wo sich nichts Ähnliches findet, sondern sie lassen sich von ihrer Kenntnis des Unbewußten leiten und verschieben auf das Unbewußte der anderen die Aufmerksamkeit, die sie dem eigenen Unbewußten entziehen.
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われわれの見た嫉妬ぶかい男は、自分自身の不実のかわりに、妻の不貞を思うのであって、こうして、彼は妻の不実を法外に拡大して意識し、自分の不実は意識しないままにしておくのに成功している。
Unser Eifersüchtiger erkennt die Untreue seiner Frau an Stelle seiner eigenen; indem er die seiner Frau sich in riesiger Vergrößerung bewußtmacht, gelingt es ihm, die eigene unbewußt zu erhalten.(フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に関する二、三の神経症的機制について』1922年)
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最後にもう一度、ロシアフォビアに戻ってこう引用しておこう。
◼️ロシアのインフラ攻撃が示すのは、クリミアの橋が「レッドライン」であり、キエフがそれを越えたことだ。Russia’s Infrastructure Strikes Show Crimean Bridge Was ‘Red Line’ and Kiev Crossed It: Observers Ilya Tsukanov 2022/10/10
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アングロサクソンの戦略
ローマの地政学シンクタンク、Vision & Global Trends - International Institute for Global Analysesのティベリオ・グラツィアーニ会長は、ロシアの攻撃は「ウクライナと英米の戦略」という二正面衝突の「論理的帰結」と、より広い視野で考えている。クリミア橋への攻撃は、先月のノルド・ストリーム・パイプラインの破壊行為と相まって、紛争の「真の当面の目的」を担っていると彼は言う。
「それは、ドイツ経済、すなわちヨーロッパ大陸の経済を破壊し、その結果、EUのエリートが英米の利益のために完全に奴隷となること、ヨーロッパ人とロシア人の間に深い溝を作り、将来それを克服することが困難になること、そして、ポーランド民族主義者とバルト諸国の政府によって、新しいロシアフォビアのヨーロッパを作ることだ」とグラツィアニは指摘した。
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Anglo-Saxon Strategy
Tiberio Graziani, chairman of Vision & Global Trends – International Institute for Global Analyses, a Rome-based geopolitical affairs think tank, takes a broader view, and believes that Russia’s strikes were “the logical consequence” of a two-front conflict – “the immediate Ukrainian one and the strategic Anglo-American one.” The attack on the Crimean Bridge, combined with last month’s sabotage of the Nord Stream pipelines, laid bear the “real immediate purpose” of the conflict, he said.
“[It] consists of at least three elements: the destruction of the German economy, that is, the economy of continental Europe, with the consequence of the total enslavement of the elite of the European Union to Anglo-American interests; the creation of a deep rift between the Europeans and the Russians, which will be difficult to overcome in the future, [and] the creation of a new Russophobic Europe aided by Polish nationalists and the governments of Baltic countries,” Graziani noted.
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これはたんなる勘ぐりではなく、アングロサクソン、あるいは米英ネオコンのロシアフォビア戦略は十分に意図されたものだという類似した見解は他にもふんだん流通している。そもそも米ネオコン文化の華「ランド研究所」the RAND Corporationの2019年のレポートがモロのロシアフォビア戦略だね。