このブログを検索

2023年3月30日木曜日

輝かしい夏の日

 


向こうからやって来るんだ、向こうには猫ぐらいしかいないのに。



でも呼ばないときにやってくる猫がキモなんだ



ときに向こうには花が散ってる



この映画とは関係ないけど、京丹後市久美浜町の河上三神社ってとってもいい。鎮守の森の穴に花が散るって感じで。


実にすぐれてオソソ道構造だよ


話を戻せば、エドワード・ヤンのこの作品、実に名品だ、4時間もあるけど。

➡︎楊德昌『牯嶺街少年殺人事件』1991年


英語題名の"A Brighter Summer Day"のほうがピッタリくる。


『青梅竹馬』(1985年) や『恐怖份子』(1986年)ではあまり感じなかったオソソ道構図がふんだんにある。1980年代の後半に小津安二郎をしっかり研究したんじゃないかね。



タナトスは輝かしいオソソ道から来るんだよ、やっぱり。

愛への意志、それは死をも意志することである[ Wille zur Liebe: das ist, willig auch sein zum Tode]。おまえたち臆病者に、わたしはそう告げる[Also rede ich zu euch Feiglingen! ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』  第2部「無垢な認識」1884年)

真理への意志ーーそれは隠された死への意志でありうる[Wille zur Wahrheit“ ― das könnte ein versteckter Wille zum Tode sein](ニーチェ『 悦ばしき知』第344番、1882年)

おそらく真理とは、その根底を窺わせない根を持つ女ではないか?おそらくその名は、ギリシア語で言うと、バウボ[Baubo]というのではないか?…[Vielleicht ist die Wahrheit ein Weib, das Gründe hat, ihre Gründe nicht sehn zu lassen? Vielleicht ist ihr Name, griechisch zu reden, Baubo?... ](ニーチェ『悦ばしき知』「序」第2版、1887年)


(表面に現れているものではなく)別の言説が光を照射する。すなわちフロイトの言説において、死は愛である [Un autre discours est venu au jour, celui de Freud, pour quoi la mort, c'est l'amour. ](Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)


ーー《タナトスの形式の下でのエロス Eρως [Éros]…sous  la forme du Θάνατος [Tanathos] ]》(Lacan, S20, 20 Février 1973