前意識は言語のように構造化されている[le préconscient est structuré comme un langage] |
無意識は言語のように構造化されていない[l'inconscient n'est pas structuré comme un langage] |
私は一年ほど前、「原無意識ーー話す存在[parlêtre]=話す身体[corps parlant]=異者身体[Fremdkörper]」にて、上のように示したけどな。比較的詳しく記してあるからそれを読んでまだ納得できないようなら、再度訊いてきてくれるかな。
ラカンの《無意識は言語のように構造化されている[L'inconscient est structuré comme un langage ]》(Lacan, S11, 22 Janvier 1964)は「ラカンの夢」だったんだよ。構造主義に影響されすぎてフロイトの道を踏み外したんじゃないかね。
◼️セミネール11から20までのあいだ「道に迷ったかもしれないラカン」 |
セミネールX「不安」1962-1963では…対象a の形式化の限界が明示されている。…にもかかわらず、ラカンはそれを超えて進んだ。 |
そして人は言うかもしれない、セミネールXに引き続くセミネールXI からセミネールXX への10のセミネールで、ラカンは対象a への論理プロパーの啓発に打ち込んだと。何という反転! そして私は自問した、ラカンはセミネールX 後、道に迷ったことを確かに示しうるかもしれない、と[I said to myself that I might surely show that Lacan lost his way after Seminar X] |
いや私はそんなことは言わない、それは私の考えていることではない。[But I don't say that, because that isn't what I think. ]〔・・・〕 |
ラカンはセミネールXXに引き続く諸セミネールでは、もはや形式化に頼ることをしていない。この形式化はそれ以前の20年間のあいだ忍耐強く構成されたものであるが。…セミネールXXの後にラカンはセミネールXにてスケッチした視野をふたたび採用したのである。〔・・・〕 不安セミネールXにおいて、対象a は身体に根ざしている。…我々は分析経験における対象a を語るなら、分析の言説における身体の現前を考慮する。それはより少なく論理的なのではない。そうではなく肉体を与えられた論理である。(ジャック=アラン・ミレール、Objects a in the analytic experience、2006ーー2008年会議のためのプレゼンテーション) |
◼️夢を見たラカン |
私には「ラカンの夢(Un rêve de Lacan)」(1999年)と表題づけた寄稿がある。何の夢か。私がラカンの夢として扱ったのは、精神分析を構造主義的言語学だけでなく、数学、特に数学的論理に結びつけようとした欲望だ[Je traitais comme un rêve de Lacan son désir d’associer la psychanalyse, non seulement à la linguistique structurale, mais aux mathématiques, et spécialement à la logique mathématique]。 この夢はラカンだけのものだっただろうか? いやそうではなかった。すべての世代、構造主義的世代、教師も生徒も同様に、同じ夢を信じた。〔・・・〕 |
事態を焦点化するためにラカンの夢を要約する定式を選び出そう。この定式はエクリの背表紙にあるテキストであり気づかれていない。…そこにはこうある、《無意識は純粋論理から来る[l’inconscient relève du logique pur ]》と。〔・・・〕 当時の無意識の主体[Le sujet de l’inconscient]、斜線を引かれた文字$にて刻印された主体は、厳密に言って、身体がない[n’a pas de corps]。というのは、身体は純粋論理からは生まれないから[Car le corps ne relève pas du « logique pur ». ](J.-A. MILLER「ヘイビアス・コーパス(Habeas corpus)」2016) |