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2023年3月16日木曜日

モウ勘弁シテクレヨ

 

先に示した言語のように構造化された前意識と言語に構造化されていないと本来の無意識」の区別はフロイト自身、こう言ってるのだからそれなりに難しいんだよ。


精神分析が無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった経緯を簡潔に説明するのは、もっと難しい。

Schwieriger wäre es, in kurzem darzustellen, wie die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. (フロイト『自己を語る』第3章、1925年)



簡単に言えば、自我の無意識が前意識で、エスの無意識が本来の無意識だけれど。



※参照:「フロイトの三つの基本概念「無意識・抑圧・神経症」の整理




自我の無意識は実際は前意識だということは、無意識の欲望は本来の無意識ではなく前意識だいうこと。


無意識の欲望は前意識に占拠されている[le désir inconscient envahit le pré-conscient](Solal Rabinovitch, La connexion freudienne du désir à la pensée, 2017)



ラカンの欲望とはフロイトの願望[Wunsch]であり[参照]、言語に関わる。



欲望は欲望の欲望、大他者の欲望である。欲望は法に従属している[Le désir est désir de désir, désir de l'Autre, avons-nous dit, soit soumis à la Loi] (Lacan, E852, 1964年)


「欲望は法に従属している」とは、欲望は言語の象徴界に従属しているということ。

法とは何か? 法は言語である[qu'est-ce que la Loi ? - la Loi, c'est le langage].  (J.-A. MILLER, - L’Être et l’Un,  2/3/2011)

欲望は自然の部分ではない。欲望は言語に結びついている。それは文化で作られている。より厳密に言えば、欲望は象徴界の効果である[le désir ne relève pas de la nature : il tient au langage. C'est un fait de culture, ou plus exactement un effet du symbolique.](J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage] (Lacan, S25, 10 Janvier 1978)



他方、欲動の現実界とは身体の機能に関わる。


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


欲動とはエスの審級にある身体的要求であり、ラカンの現実界は事実上フロイトのエス。ーーーー《エスの欲求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.]》(フロイト『精神分析概説』第2章1939年)




ラカンには現実界のサントーム(原症状)と象徴界の症状(隠喩としての症状)があるが[参照]、これが「欲動の無意識/欲望の前意識」に相当する。




※穴はトラウマのことであり、トラウマはフロイトラカンにおいて、反復強迫をもたらす「身体の出来事」のこと[参照]。



・・・ということはもうくどいぐらい繰り返してるんだが、厄介なのは、日本フロイトラカン村ではこの基本がいまだ分かっていない人が多いということだな。何の留保もなく「無意識は言語のように構造化されている」をマガオで解説している人物いるようだし。例えば岩波で分厚い本を出した男前の工藤顕太くんかい、どういう具合で今頃そうなのかよく知らないが、ラカン業界の酷災逝痔学捨みたいなもんだよ、少なくともあの動画は。で、そのたぐいの三文解説みて、キミのように何やら言ってくる人物がいるってわけでね。モウ勘弁シテクレヨ、と言いたくなるね。