「まともな」詩人や作家ってのはみなそれぞれの仕方で、「子どものころ住んでいた路地の奥」を希求してるんじゃないかね、「森の鞘」をね。
老婆に膝枕をして寝ていた。膝のまるみに覚えがあった。姿は見えなかった。ここと交わって、ここから産まれたか、と軒のあたりから声が降りた。(古井由吉「白い軒」『辻』) |
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野ばらと人間の結婚
この生垣をのぞく
女の庭
ーー西脇順三郎「アタランタのカリドン」
室生犀星にはこの「女の庭」が最も覿面に現れている、少し前に「日本の庭」で列挙したが、ここではいくら時系列にそのエッセンスを列挙しよう。
つち澄みうるほひ 石蕗の花咲き あはれ知るわが育ちに 鐘の鳴る寺の庭 ーー室生犀星「寺の庭」 大正7年 |
私は庭にくちびるのあることを知つてゐた ーー室生犀星「春の庭」より 昭和11年 |
うすねむきひるのゆめ遠く 杏なる庭のあなたに なにびとのわれを愛でむとするや なにびとかわが母なりや あはれいまひとたび逢はしてよ ーー室生犀星「杏なる庭」より 昭和18年 |
人物ができていなければ庭の中にはいってゆけない、すくなくとも庭を手玉にとり、掌中に円めてみるような余裕が生じるまでは、人間として学ぶべきもののすべてを学んだ後でなければならぬような気がする。〔・・・〕 |
庭をつくるということは贅沢ではなく、生きた父とか母とかの歴史が、すぐ茶の間から見えるという、そんな親しさを身近に感じるとすれば、石一つ鳳仙花一本でも、その家の歴史を物語ってくれるものである。(室生犀星「日本の庭」1943(昭和18)年) |
犀星にとって庭は「一生涯の落ちつく先」なんだよ、でも死ぬまで手に入らない喪われた女の庭と言ってもよいかも。
彼に最後にのこったものはやはり庭だけなのだ、終日掃きながら掃いたあとのうつくしさが見たいばかりに、そのうつくしさに何かを、恐らく一生涯の落ちつく先をちらとでも見たいのだ、ばかばかしい話だが、そんなふうに言うより外はない。(室生犀星「生涯の垣根」初出:「新潮」1953(昭和28)年) |
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最近の僕はかなり偏ったところがあり、この観点からのみ詩や小説を読んでしまう傾向がなきにしもあらずだから気をつけなくちゃいけないけどさ。
一人の愛人があればそこから十篇の短篇小説がうまれることは、たやすい、一人の女の人の持つ世界は十人の世界をも覗ぎ見られるものであつて、それ故にわれわれはいつも一人にしかあたへる愛情しかもつてゐない、そのたつた一人を尋ねまはってゐる人間は、死たばるまでつひにその一人にさへ行き会はずに、おしまひになる人間もゐるのである。われわれの終生たづね廻つてゐるただ一人のために、人間はいかに多くの詩と小説をむだ書きにしたことだらう、たとへば私なぞも、あがいてつひに何もたづねられなくて、多くの書物にもならない詩と小説のむだ書きを、生涯をこめて書きちらしてゐた、それは食ふためばかりではない、何とか自分にも他人にもすくひになるやうな一人がほしかつたのである。これは馬鹿の戯言であらうか、人間は死ぬまで愛情に飢ゑてある動物ではなかつたか(室生犀星『随筆 女ひと』1955年) |
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われわれは何時も面白半分に物語を書いてゐるのではない。殊に私自身は何時も生母にあくがれを持ち、機会を捉へては生母を知らうとし、その人を物語ることをわすれないでゐるからだ。われわれは誰をどのやうに書いても、その誰かに何時も会ひ、その人と話をしてゐる必要があつたからだ。誰の誰でもない場合もあるが、つねにわれわれの生きてゐる謝意は勿論、名もない人に名といのちを与へて今一度生きることを仕事の上でも何時もつなかつて誓つてゐる者である。(室生犀星『かげろふの日記遺文』「あとがき」1959年) |
犀星は「男なんかに会ってもしようがない」と見舞客(中村真一郎)を断って死んで行ったそうだ[参照]。
犀星の庭は芥川の大川じゃないかね
◼️二十歳と死の年の大川(隅田川) |
自分はどうして、こうもあの川を愛するのか。あのどちらかと言えば、泥濁りのした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じるのか。自分ながらも、少しく、その説明に苦しまずにはいられない。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心もちがした。この心もちのために、この慰安と寂寥とを味わいうるがために、自分は何よりも大川の水を愛するのである。(芥川龍之介「大川の水」1912年) |
隅田川はどんより曇っていた。彼は走っている小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めていた。 花を盛った桜は彼の目には一列の襤褸のように憂欝だった。が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出していた。(芥川龍之介 「或阿呆の一生」1927年) |
◼️最初期芥川のダ・ヴィンチ訳と遺稿の「蛾」 |
我等の故郷に歸らんとする、我等の往時の状態に還らんとする、希望と欲望とを見よ。如何にそれが、光に於ける蛾に似てゐるか。絶えざる憧憬を以て、常に、新なる春と新なる夏と、新なる月と新なる年とを、悦び望み、その憧憬する物の餘りに遲く來るのを歎ずる者は、實は彼自身己の滅亡を憧憬しつつあると云ふ事も、認めずにしまふ。しかし、この憧憬こそは、五元の精髓であり精神である。それは肉體の生活の中に幽閉せられながら、しかも猶、その源に歸る事を望んでやまない。自分は、諸君にかう云ふ事を知つて貰ひたいと思ふ。この同じ憧憬が、自然の中に生來存してゐる精髓だと云ふ事を。さうして、人間は世界の一タイプだと云ふ事を。(『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』芥川龍之介訳(抄譯)大正3年頃) |
Or vedi la speranza e 'l desiderio del ripatriarsi o ritornare nel primo chaos, fa a similitudine della farfalla a lume, dell'uomo che con continui desideri sempre con festa aspetta la nuova primavera, sempre la nuova state, sempre e' nuovi mesi, e' nuovi anni, parendogli che le desiderate cose venendo sieno troppe tarde, e non s'avede che desidera la sua disfazione; ma questo desiderio ène in quella quintessenza spirito degli elementi, che trovandosi rinchiusa pro anima dello umano corpo desidera sempre ritornare al suo mandatario. E vo' che s'apichi questo medesimo desiderio en quella quintaessenza compagnia della natura, e l'uomo è modello dello mondo.(Codice Leonardo da Vinci) |
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マインレンデルは頗る正確に死の魅力を記述してゐる。実際我々は何かの拍子に死の魅力を感じたが最後、容易にその圏外に逃れることは出来ない。のみならず同心円をめぐるやうにぢりぢり死の前へ歩み寄るのである。(芥川龍之介「侏儒の言葉」1927(昭和2)年) |
クリストは一代の予言者になつた。同時に又彼自身の中の予言者は、――或は彼を生んだ聖霊はおのづから彼を飜弄し出した。我々は蝋燭の火に焼かれる蛾の中にも彼を感じるであらう。蛾は唯蛾の一匹に生まれた為に蝋燭の火に焼かれるのである。クリストも亦蛾と変ることはない。(芥川龍之介「西方の人」昭和二年七月十日、遺稿) |
より詳しくは➡︎「お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた」