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2023年8月27日日曜日

あらゆる人間関係がつねに同一の結果に終わるような人がいる

 

前回から引き続くが、フロイトは「あらゆる人間関係が、つねに同一の結果に終わるような人がいる」といると言っている。これがフロイトにとっての「永遠回帰」、さらに「抑圧されたものの回帰」である。

まずフロイトは次のように記している。


精神分析が、神経症者の転移現象について明らかにするのとおなじものが、神経症的でない人の生活の中にも見出される。それは、彼らの身につきまとっ言っている。た宿命、彼らの出来事におけるデモーニッシュな刻印[dämonischen Zuges in ihrem Erleben]といった印象をあたえるものである。精神分析は、最初からこのような宿命が大かたは自然につくられたものであって、初期幼児期の影響[frühinfantile Einflüsse]によって決定されているとみなしてきた。そのさいに現れる強迫は、たとえこれらの人が症状形成によって落着する神経症的葛藤を現わさなかったにしても、神経症者の反復強迫[Wiederholungszwang der Neurotiker]と別個のものではない。

あらゆる人間関係が、つねに同一の結果に終わるような人がいる[Personen, bei denen jede menschliche Beziehung den gleichen Ausgang nimmt]。


かばって助けた者から、やがてはかならず見捨てられて怒る慈善家たちがいる。彼らは他の点ではそれぞれちがうが、ひとしく忘恩の苦汁を味わうべく運命づけられているようである。どんな友人をもっても、裏切られて友情を失う男達。誰か他人を、自分や世間にたいする大きな権威にかつぎあげ、それでいて一定の期間が過ぎ去ると、この権威をみずからつきくずし新しい権威に鞍替えする男たち。また、女性にたいする恋愛関係が、みなおなじ経過をたどって、いつもおなじ結末に終る愛人達、等々。もし、当人の能動的な態度を問題にするならば、また、同一の出来事の反復[Wiederholung der nämlichen Erlebnisse]の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。自分から影響をあたえることができず、いわば受動的に体験するように見えるのに、それでもなお、いつもおなじ運命の反復[die Wiederholung desselben Schicksals ]を体験する場合の方が、はるかにつよくわれわれのこころを打つ。〔・・・〕


以上のような、転移のさいの態度や人間の運命についての観察に直面すると、心的生活には、実際の快原理の彼岸にある反復強迫が存在する[im Seelenleben wirklich einen Wiederholungszwang gibt, der sich über das Lustprinzip hinaussetzt]と仮定する勇気がわいてくるにちがいない。また、災害被害者の夢と子供の遊戯欲動を、この強迫に関係させたくもなるであろう[die Träume der Unfallsneurotiker und den Antrieb zum Spiel des Kindes auf diesen Zwang zu beziehen]。〔・・・〕


この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)




この1920年の『快原理の彼岸』で、フロイトは、同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をデモーニッシュな刻印[dämonischen Zuges ]の反復強迫[Wiederholungszwang]としているが、これは前年の『不気味なもの』にも現れる。同一のものの回帰[gleichartigen Wiederkehr]、デモーニッシュな性格[ dämonischen Charakter]、内的反復強迫[inneren Wiederholungszwang]と。


いかに同一のものの回帰という不気味なものが、幼児期の心的生活から引き出しうるか。Wie das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr aus dem infantilen Seelenleben abzuleiten ist〔・・・〕


心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。

Im seelisch Unbewußten läßt sich nämlich die Herrschaft eines von den Triebregungen ausgehenden Wiederholungszwanges erkennen, der wahrscheinlich von der innersten Natur der Triebe selbst abhängt, stark genug ist, sich über das Lustprinzip hinauszusetzen, gewissen Seiten des Seelenlebens den dämonischen Charakter verleiht,〔・・・〕


不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫を思い起こさせるものである[daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann.](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)


さらに、この不気味なものの回帰を抑圧されたものの回帰としている。


不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第3章、1919年)


つまりフロイトにとって、永遠回帰[ewige Wiederkehr]は不気味なものの回帰[Wiederkehr des Unheimliche]であり、これ自体、抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]となる。



この抑圧されたものの回帰は厳密にいえば、抑圧された欲動の回帰[Wiederkehr der verdrängte Trieb]である。


抑圧された欲動は、「束縛を排して休みなく前へと突き進む」[Der verdrängte Trieb …»ungebändigt immer vorwärts dringt« ]

(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年、摘要)

以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)


ここでの「以前の状態への固着」とは冒頭の「永遠回帰」の記述における《同一の出来事の反復[Wiederholung der nämlichen Erlebnisse]の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]》への回帰であり、晩年のフロイトはこの不変の個性刻印をトラウマへの固着(身体の出来事への固着)と言った。


トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我への傷である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs] 〔・・・〕

このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]

この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)



上にも反復強迫とあるが、先に『不気味なもの』論文で見たように、フロイトは反復強迫を抑圧されたものの回帰と等置している(この反復強迫のより厳密な呼び方は《無意識のエスの反復強迫[Wiederholungszwang des unbewußten Es] 》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)である)。


実はこれら思考は1911年の『症例シュレーバー』に既にある。


……抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰[des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]


この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年)


ここでは「抑圧されたものの回帰」を「固着点への退行」と等置しているが、この固着点[Stelle der Fixierung ]こそ『快原理の彼岸』と『モーセ』に現れる自己身体の出来事としての「不変の個性刻印」であり、ニーチェの云う「自己固有の出来事」にほかならない、ーー人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する自己固有の出来事を持っている[Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.]》(ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年)




あるいは、より厳密ヴァージョンならこうなる。



この固着点への退行[Regression zu der Stelle der Fixierung]は、一般向けに比較的わかりやすく書かれている1925年の自伝にも現れる。


私は性欲動のエネルギーとその形態にリビドーの名を与えた。私はつぎに、リビドーは必ずしも所定の発達過程を順調に進むわけではないと想定することを余儀なくされた。特定の成分の過剰な強さ、または未成熟な満足を伴う出来事の結果、リビドーの固着はその発達過程のさまざまな点で起こりうる。引き続いた抑圧に伴い、リビドーは固着点に戻り(退行)、症状の形態を通し侵入するのである。

Ich nannte die Energie der Sexualtriebe ― und nur diese ― Libido. Ich mußte nun annehmen, daß die Libido die beschriebene Entwicklung nicht immer tadellos durchmacht. Infolge der Überstärke einzelner Komponenten oder frühzeitiger Befriedigungserlebnisse kommt es zu Fixierungen der Libido an gewissen Stellen des Entwicklungsweges. Zu diesen Stellen strebt dann die Libido im Falle einer späteren Verdrängung zurück (Regression) und von ihnen aus wird auch der Durchbruch zum Symptom erfolgen. (フロイト『自己を語る』1925年)




以上、「抑圧されたものの回帰」は、前回、言い間違い等の錯誤行為で示した、「抑圧された願望の回帰」であると同時に、永遠回帰という「抑圧された欲動の回帰」でもあり、とても広い含意がある。


フロイトにとって宗教現象さえ「抑圧されたものの回帰」であり[参照]、これは柄谷行人が、とくに2010年代以降、交換様式Dに関わって大々的に援用してきたものである[参照]。


フロイトは『モーセと一神教』3.1.4 にて、宗教現象に関して《古い家族の歴史への固着[Fixierungen an die alte Familiengeschichte ]》とするとする同時に、《過去の回帰、長い間隔をおいての忘れられたものの回帰[Wiederherstellungen des Vergangenen, Wiederkehren des Vergessenen nach langen Intervallen]》としているが、この忘れられたものの回帰こそ抑圧されたものの回帰である、ーー《忘れられたものは消去されず「抑圧された」だけである[Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«]》(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年)。


宗教現象[religiösen Phänomene]とはまずは難しく考えなくてもよい、フロイトは宗教的教義や儀式[religiösen Lehren und Riten]と言い換えている。日本でいえば例えばお盆の儀式が、家族の歴史の固着点への退行であり、抑圧されたものの回帰である(柳田国男と折口信夫のお盆をめぐる叙述参考)。


さらにこの抑圧されたものの回帰をマルクスの《過去の亡霊[Geister der Vergangenheit]》(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』、1852年)ーー過去の亡霊の回帰ーーと結びつけたのが、これまた柄谷である。