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2023年8月28日月曜日

女をやたらにかつぎあげ、一定期間がすぎると他の女に鞍替えする男

 

前回掲げた、不変の個性刻印という固着の反復強迫(永遠回帰)の事例としてのフロイト文の一部をまず再掲する。


あらゆる人間関係が、つねに同一の結果に終わるような人がいる[Personen, bei denen jede menschliche Beziehung den gleichen Ausgang nimmt]。


かばって助けた者から、やがてはかならず見捨てられて怒る慈善家たちがいる。彼らは他の点ではそれぞれちがうが、ひとしく忘恩の苦汁を味わうべく運命づけられているようである。どんな友人をもっても、裏切られて友情を失う男達。誰か他人を、自分や世間にたいする大きな権威にかつぎあげ、それでいて一定の期間が過ぎ去ると、この権威をみずからつきくずし新しい権威に鞍替えする男たち。また、女性にたいする恋愛関係が、みなおなじ経過をたどって、いつもおなじ結末に終る愛人達、等々。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)


こういったことは人はみなあるんじゃないかね。例えばヴァリエーションとしてーーここでは愛に特化して言うがーー、女をやたらにかつぎあげ、一定期間がすぎると他の女に鞍替えする男とか、どんな男と関係したって裏切られて愛を失う女とかね。


安吾の次の話も《あらゆる人間関係がつねに同一の結果に終わるような人》の線で読むことができるんじゃないか?


母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。 


私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。〔・・・〕

ところが私の好きな女が、近頃になつてふと気がつくと、みんな母に似てるぢやないか! 性格がさうだ。時々物腰まで似てゐたりする。――これを私はなんと解いたらいいのだらう! 


私は復讐なんかしてゐるんぢやない。それに、母に似た恋人達は私をいぢめはしなかつた。私は彼女らに、その時代々々を救はれてゐたのだ。所詮母といふ奴は妖怪だと、ここで私が思ひあまつて溜息を洩らしても、こいつは案外笑ひ話のつもりではないのさ。(坂口安吾「をみな」1935年)



安吾は母への強い固着があったに相違ないのでね[参照]。


母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)



そこのキミなんかはまずは父への固着だろうよ、


強い父への固着をもった少女の夢[Traum eines Mädchens mit starker Vaterfixierung,](フロイト『夢解釈の理論と実践についての見解』1923年)



そもそも愛自体が固着の反復、つまり不変の個性刻印の永遠回帰なんだよ、少なくともフロイトラカン派においては。


忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを。[N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour]  (Lacan, S9, 21  Mars 1962)

愛の条件は、初期幼児期のリビドーの固着が原因となっている[Liebesbedingung (…) welche eine frühzeitige Fixierung der Libido verschuldet]( フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に見られる若干の神経症的機制について』1922年)

愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである[L'amour est donc toujours répétition, (…) Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour.] (David Halfon,「愛の迷宮Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)




リビドーの固着は愛の固着、享楽の固着のことだ。

初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)

フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)


すべての愛がこうだとは言い切れないにしろーー若い頃の偶然の出会いが偶然に継続することもあるだろうから、ーー、ある年齢に達した以降の愛は、ほとんどの場合、固着の反復だよ、


ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける[Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. ](プルースト「逃げ去る女」)


ここでプルーストが「過去が刻印された肉体の傷」と言っているのが、フロイトの「愛の条件の固着」にほかならない。この固着による無意識のエス反復強迫が、永遠回帰だよ。



享楽における単独性の永遠回帰の意志[vouloir l'éternel retour de sa singularité dans la jouissance](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)


ーーここでの単独性とは固着のこと。


単独的な一者の表象…これが厳密にフロイトが固着と呼んだものである[singulièrement le signifiant Un…précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.  (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


つまり享楽の固着の永遠回帰の意志。これが愛の条件の固着の反復強迫を意味する。これは、より厳密にいえば固着点への退行だ。




蚊居肢子はスタンダールと同様な幼児期の固着があるんだ。


私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。 〔・・・〕

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を飛び越えた。cette femme vive et légère comme une biche sauta par dessus mon matelas pour atteindre plus vite à son lit. (スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)


母というより女の股への固着の永遠回帰だね。





ブーであろうと美人であろうと関係なしに、この手の姿を見るとたちまち惚れ込んじまう。