このブログを検索

2023年8月24日木曜日

抑圧された欲望と抑圧された欲動の相違


 このところ「抑圧」をめぐっていくつか投稿したが、ここでは「抑圧は誤訳」などというややこしいことは言わずにおき、すなおに「抑圧」という語を使って言えば、①と②の抑圧はまったく違うものなんだよ。


抑圧された願望[verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年)

抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年)



抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)



まず①の願望と表象はどちらもラカンの欲望のことであり、「抑圧された欲望」のこと。



フロイト用語の願望をわれわれは欲望と翻訳する[Wunsch, qui est le terme freudien que nous traduisons par désir.](J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016)

享楽の表象化をラカンは欲望と呼んだ[la signifiantisation de la jouissance…C'est ce que Lacan a appelé le désir. ](J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)



で、願望あるいは表象とは、すでに自我に取り入れられた前意識であり、本来の無意識ではない。


私は、知覚体系Wに由来する本質ーーそれはまず前意識的であるーーを自我と名づけ、精神の他の部分ーーそれは無意識的であるようにふるまうーーをエスと名づけるように提案する。

Ich schlage vor, ihr Rechnung zu tragen, indem wir das vom System W ausgehende Wesen, das zunächst vbw ist, das Ich heißen, das andere Psychische aber, in welches es sich fortsetzt und das sich wie ubw verhält, …das Es. 

(フロイト『自我とエス』第2章、1923年)

無意識の欲望は前意識に占拠されている[le désir inconscient envahit le pré-conscient](Solal Rabinovitch, La connexion freudienne du désir à la pensée, 2017)


ーー《精神分析は無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった[die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen]. 》(フロイト『自己を語る』第3章、1925年)



他方、②の「抑圧された欲動」と「排除された欲動」とは、どちらも「原抑圧された欲動」を意味しており、こちらが本来の無意識。

原抑圧の名は排除と呼ばれる[le nom du refoulement primordial…s'appelle la forclusion](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008)


ーー排除とは「自我の外に放り投げる」ことを意味している。



そして原抑圧は固着のこと。

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)


ーー固着とは「自我の前意識に取り入れられずエスに置き残される身体的なもの」を意味している。


で、固着はトラウマへの固着であり、エスにかかわる。


トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕

このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)

初期のトラウマの印象は、前意識に翻訳されないか、抑圧によってすばやくエス状態に戻される。Die Eindrücke der frühen Traumen, von denen wir ausgegangen sind, werden entweder nicht ins Vorbewußte übersetzt oder bald durch die Verdrängung in den Eszustand zurückversetzt. (フロイト『モーセと一神教』3.1.5  Schwierigkeiten、1939年)



そもそも「欲動享楽対照表」でフロイトラカンを引用しつつ示したように、欲動自体がトラウマ。



つまり次の表現群は、「抑圧された欲動」の言い換えにほかならない。


抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)

抑圧された固着[verdrängten Fixierungen] (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年)

抑圧されたエス[verdrängte Es](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)



ほかにもーーもしお好きならーー、抑圧された不快、抑圧された不安、抑圧された喪失等々と言ってもよい。これらが「抑圧された欲動」の内実であり、原抑圧だ。他方、「抑圧された願望(欲望)」は後期抑圧。



われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


ーー《治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧》とあるが、例えば、抑圧された表象にかかわる「自由連想法」Freie Assoziation は、後期抑圧に対してしか機能しない。主流ラカン派が《分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)の立場を取っている現在、少なくとも本来の無意識に対しては自由連想法は役に立たない。固着としての原抑圧の症状とは、事実上「幼児期の」外傷神経症であり、《境界例や外傷性神経症の多くが自由連想に馴染まないのは、自由連想は物語をつむぐ成人型の記憶に適した方法だからだと私は考えている。》(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)




以上、ここでは主要表現だけ抽出して図示しておこう。




このところ僕が投稿した「抑圧」はすべて右の原抑圧についてだよ、だいたい日本のフロイトラカン注釈書はいまだこの区別さえ鮮明化してないようだから、厄介だけどさ。


そもそも最後のフロイトは原抑圧のことを抑圧としか言ってない。


抑圧はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 [primitive Abwehrmaßregeln]である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御のためにそれを利用しようとする。新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば、後期抑圧[Nachverdrängung]によって解決される。


Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit; es sind primitive Abwehrmaßregeln des unreifen, schwachen Ichs. In späteren Jahren werden keine neuen Verdrängungen vollzogen, aber die alten erhalten sich, und ihre Dienste werden vom Ich weiterhin zur Triebbeherrschung in Anspruch genommen. Neue Konflikte werden, wie wir es ausdrücken, durch »Nachverdrängung«erledigt.

(フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第3章、1937 年)