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2023年11月26日日曜日

表象不可能性の問題をめぐって

 

少し前、アドルノの次の二文をーーふとした弾みで(?)ーー引用した。


アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である[Nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch」(アドルノ『文化批評』1949年)

アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった[Alle Kultur nach Auschwitz, samt der dringlichen Kritik daran, ist Müll](アドルノ『否定弁証法』1966年)



そういえばゴダールはこのアドルノを批判してたな、ということを思い起こし、ほとんど失念していた「表象不可能性の問題」をめぐっていくらか調べようとすると、たくさん出てくるね。とくに表象文化関係の人たちの小論がネットにいくらでもある。


とはいえ、いまはそれらの内容に触れることはせず、事の起こりのほうをここでは備忘する。ランズマンとゴダールである。


まず『ショアー』ランズマンの、『シンドラーのリスト』スピルバーグ批判である。



ホロコーストがユニークなのは何よりも次の点においてである。すなわちそれは、ある絶対の恐怖が伝達不可能である以上、自分の周囲に踏み越すことのできない限界を炎の輪のように作り出す。この限界を踏み越えようとすることは、最も重大な侵犯行為を犯すことにほかならない。フィクションとは一つの侵犯行為である。表象・上演にはある禁じられたものが存在すると、私は心底から思っている。

L'Holocauste est unique en ceci qu'il édifie autour de lui, en un cercle de flammes, la limite à ne pas franchir parce qu'un certain absolu d'horreur est intransmissible; prétendre le faire, c'est se rendre coupable de la transgression la plus grave. La fiction est une transgression, je pense profondément qu'il y a un interdit de la représentation 

〔・・・〕


スピルバーグは再現することを選んだ。ところで、再現するということは、ある意味でアーカイヴを作ることだ。そして、もし私がナチ親衛隊の隊員か誰かによって撮影されたフィルムが現にあるのを発見したら ― 秘密のフィルムだ。なぜなら,撮影は厳禁だったから ―,そしてそれが三千人のユダヤ人が、男が、女が、子供が、アウシュヴィッツの第二焼却炉のガス室で、どんな風に窒息死させられたかを示す映画であるとしたら、もし私がそれを発見していたとしたら、私はそれを単に人に見せることをしないだけでなく、それを破壊していただろう。どうしてかを言うことは私にはできない。それは自明のことなのだ。


Spielberg a choisi de reconstruire. Or reconstruire, c'est, d'une certaine façon, fabriquer des archives. Et si j'avais trouvé un film existant – un film secret parce que c'était strictement interdit – tourné par un SS et montrant comment 3 000 Juifs, hommes, femmes, enfants, mouraient ensemble, asphyxiés dans une chambre à gaz du crématoire II d'Auschwitz, si j'avais trouvé cela, non seulement je ne l'aurais pas montré, mais je l'aurais détruit. Je ne suis pas capable de dire pourquoi. Ça va de soi. 

(クロード・ランズマン「ホロコースト、不可能な表象」Lanzmann, « Holocauste, la représentation impossible » Le Monde du 3 mars 1994)




そしてゴダールのランズマン批判(アドルノの名も挙がっている)。


ーーなぜナチスは強制収容所を撮影したのでしょうか?


彼らはすべてを記録するマニアだったからだ。ドイツ人は、自分の犯罪の証拠を自分の胸にしまっておくことができない病的な犯罪者のようなもので、自分の片隅でおとなしくしていても、それを警察に送ることを止められない。新聞に載ったアウシュビッツの医師を見てみろ、彼はいまだに自分の犯罪を自慢するのを止められない。


Pourquoi les nazis ont-ils filmé les camps alors qu’ils ont tout fait pour que ça ne se sache pas ?

Parce qu’ils avaient la manie de tout enregistrer. Les Allemands sont comme le criminel malade qui ne peut pas garder pour lui la preuve de son crime, qui ne peut pas s’empêcher de l’envoyer à la police alors qu’il était bien tranquille dans son coin. Regardez ce médecin d’Auschwitz dont les journaux ont parlé, qui ne peut s’empêcher encore aujourd’hui de se vanter de ses crimes.

〔・・・〕


これから言うことの証拠はまったくないけれども、もし私が腕利きの調査担当記者と組んで取りかかれば、二〇年後にはガス室の映像を発見するだろうと思う。われわれは移送された人々が入っていくのを見て、どんな状態で出てくるか見るだろう。ランズマンやアドルノがしているように、禁止を言い渡すことが問題なのではない。彼らは大袈裟に言っている。人が『撮影不可能だ』といった決まり文句について果てしなく議論しに集まったりするのだから―人々が撮影するのを妨げるべきではない。書物を燃やすべきではない。そうなればもう批判することができなくなってしまう。


Je n’ai aucune preuve de ce que j’avance, mais je pense que si je m’y mettais avec un bon journaliste d’investigation, je trouverais les images des chambres à gaz au bout de vingt ans. On verrait entrer les déportés et on verrait dans quel état ils ressortent. Il ne s’agit pas de prononcer des interdictions comme le font Lanzmann ou Adorno, qui exagèrent parce qu’on se retrouve alors à discuter à l’infini sur des formules du style “c’est infilmable” ― il ne faut pas empêcher les gens de filmer, il ne faut pas brûler les livres, sinon on ne peut plus les critiquer. 

ゴダールインタビュー Godard, Auschwitz le point aveugle ? un interview aux Inrockuptibles. le 21 octobre 1998 




で、ゴダール批判として次のような観点がある。


ゴダールのこの最近のインタビューから,一文だけを引いておこう。 『[略]私は、腕利きのジャーナリストと協力して取りかかりさえすれば、20年もすればガス室の映像を手に入れることができるだろうと思うのだ。 』悪意のないなめらかな外観に隠れてはいるが、これは毒をもった考え方だ。私はこれを好まない。はっきり言って、こういう言い方は不安を抱かせる。これは誤った文である。(ジェラール・ヴァイクマン「“聖パウロ"ゴダール対”モーゼ"ランズマンの試合  Gérard Wajcman, «Saint Paul» Godard contre «Moise» Lanzmann」)



さらに、ゴダール擁護として、手元にある蓮實重彦の書から引用しておこう。



映画はキリスト教と同様、歴史的な真実に基づいてはいない。それは私たちに、ある語りを、ある物語を与え、今や私たちに「信じよ」と言う。この語り、この物語に、歴史にふさわしい信仰を賦与するのではなく、何が起ころうとも、信じよ。(ゴダール「(複数の) 映画史」「1B」)


「イマージュは、復活の時に到来するだろう」という「新約聖書」を思わせる文字のつらなりと、いま耳にしたばかりの「信じよ」という声を字義通りにとれば、それは、確かに多くの誤解を惹起しかねないものだといえる。実際、「“聖パウロ"ゴダール対”モーゼ"ランズマンの試合 («Saint Paul» Godard contre «Moise» Lanzmann)」(四方田犬彦+堀潤之編『ゴダール・映像・歴史」 産業図書)のジェラール・ヴァイクマンは、「イマージュは、復活の時に到来するだろう」の一行を引き合いにだしながら、そこに「ゴダール流の映像崇拝」を認め、彼を使徒パウロになぞらえている。 「4B」でゴダール自身が「聖パウロ」にも言及しているのだから、それはいささかも驚くべき視点とはいえないが、ヴァイクマンの文章は、クロード・ランズマンの『ショアー(Shoah)』(一九八五)が強制収容所のイメージの不在を前提としていたことを批判するゴダールへの反論として書かれたものである。


ゴダールは「映画館がその礼拝所になっているような、映像[イマージュ]の奇妙な崇拝を表明している」というヴァイクマンは、その「映像の奇妙な崇拝」を説くゴダールにとって、「収容所を告知すべきだった」 映画がそれをしなかったことが「原罪」と見なされているかのようだと論を進め、ことさらその宗教性をきわだたせる。 「映像による伝達が不可能で、映像を超越するような、きわめてリアルな何ごとかが存在する」というヴァイクマンは、その「表象不可能なもの」に触れている「ショアー」に対して示す 「映像崇拝の徒」ゴダールの否定的な姿勢は間違っていると批判する。だが、ゴダールがランズマンを批判しているのは、まさに「表象不可能なもの」として強制収容所をイメージとして提示することを禁じようとするかのようなその形而上学的な姿勢に向けられているものなのだが、これについては別のところでも論じたし、ジョルジュディディ=ユベルマンの『イメージ、 それでもなお』(橋本一径訳、平凡社)にも的確な批判が存在しているので、ここで詳しく触れることはせずにおく。


ただ、ランズマンとゴダールのあいだに、「旧約聖書」的な、あるいはむしろユダヤ教的な思考とカトリック的な思考との対立を読みとらずにはいられないヴァイクマンの思考はいかにも貧しいものだと思わずにはいられない。すでに見たように、「偽=写真」という言葉を何度か画面に登場させていたゴダールを 「映像崇拝」の徒と見るのは、誤解もはなはだしいからだ。「何が起ころうとも、信じよ」といわれているのは、まさにこの「偽=写真」をめぐる 「歴史的な真実には基づいていない」物語についてにほかならず、それを「信じよ」といっているのはゴダールではなく、まさしく「芸術」でも「技術」でもないまま死の産業と化してしまった映画そのものだからである。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー ーー思考と感性とをめぐる断片的な考察』「Ⅲ マネからアウシュヴィッツまで」2008年)


「死の産業」とあるのは、次の意味である。


ゴダールは〔・・・〕、「20世紀の夜明け」に起こったこととして「テクノロジーは、生を複製することに決め、そこで写真と映画が発明された」ともいっているが、すぐさま「喪の色である黒と白とともに、映画術が生まれたのだ」とつけ加えることをゴダールは忘れない。〔・・・〕さらに「映画は生命の動きを模倣しようとしたのだから、映画産業がまず最初に、死の産業に売り渡されたのは、当然で、理に適ったことだった」と語りなおされることになるだろう。〔・・・〕


テクノロジーが知らずにいたのはこのことだ。すなわち、生の模倣が死の模倣と同じ仕草におさまるしかないことを、技師者たちはいまなお知ろうとしないのである。〔・・・〕


そのことの傍証であるかのように、ゴダールは、「1B」(『(複数の)映画史』)の「ただ一つの歴史」で、『ラ・シオタ駅への列車の到着』のしばらく後、アウシュヴィッツへと人々を運ぶ列車のイメージをフラッシュのようにごく短く挿入してみせる。あたかも、公共機関としての鉄道は、強制収容所へと無数のユダヤ人を運ぶ装置として発明されたといわんとするかのように。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー ーー思考と感性とをめぐる断片的な考察』「Ⅲ マネからアウシュヴィッツまで」2008年)

どこで読んだのか定かではないが、デジタル技術の映画への貢献は何かと聞かれたゴダールが、それはイメージの質を向上させるための技術ではいささかもないと断言していたことが思いだされる。それは、イメージを圧縮してまとめて運ぶために考案された技術にほかならず、それは貨車いっぱいに人をつめこんで移送するようなものだと彼はいっていたはずだ。この比喩は明らかに強制収容所へと犠牲者を運ぶ列車のイメージを思わせる……(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー ーー思考と感性とをめぐる断片的な考察』「ⅩⅡ 旅人の思索」2008年)




というわけだが、ここから何かを言い出すと延々となりそうなのでーーそもそも「表象」って何だい?とかーーいまは口を慎んでおく。


なおフロイトには、表象代理 Vorstellungs-Repräsentanz (Vorstellungsrepräsentanz )という概念がある。仏語のLa représentationは、表象Vorstellungなのか、代理Repräsentanzなのか、それとも表象代理Vorstellungsrepräsentanzなのか?[参照]。ジェラール・ヴァジュマンなるチョロい精神分析家はこのあたりの区別がまったくできていないように見える。それは、上に蓮實が引用している 「映像による伝達が不可能で、映像を超越するような、きわめてリアルな何ごとかが存在する」にも関わる。フロイトにとってリアルとは表象代理である。ここでは詳しく触れないが、フロイトが《欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]》(『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)と言う時、この欲動要求は表象代理が原動因なのである。



なお、表象代理[Vorstellungsrepräsentanz]は厳密に言えば、欲動の表象代理であり、簡潔な別名は欲動代理[Triebrepräsentanz]である参照]。そしてこの概念はフロイト理論の核概念のひとつであり、ラカンのボロメオの環に置けば、次のポジションとなる。


語表象[Wortvorstellung]、事物表象[Sachvorstellung]はそれぞれ言語、イメージに相当し、イマジネールとリアルの境界にあるのが、欲動代理[Triebrepräsentanz]である。初期フロイトは境界表象[Grenzvorstellung]、モノ表象[Dingvorstellung]とも言った。アウシュヴィッツに代表されるトラウマ的出来事は、この欲動代理=境界表象=モノ表象に相当する。より具体的には欲動の固着[Fixierung der Triebe]ーー(欲動の身体的要求の)トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]ーーを意味する。逆説的な言い方をすれば、境界表象としての固着はリアルの原因である。これは哲学的に名高いフロイトの遡及性[Nachträglichkeit]概念にも関わる。