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2023年12月21日木曜日

いくらでも咲いている木瓜の花

 

日本フロイトラカン派三馬鹿トリオを批判することの「はしたなさ」とか「精神分析的外傷論のダウンデート」とかでバカにしたところだけど、フロイトラカンプロパの学者でも次のような話をウンウン頷いて鼎談してんだから、そうでないセンセがとってもトンデテモしょうがないんだよ


◼️「来るべき精神分析のために 」(2009/05/29 岩波書店)  

十川幸司/原 和之/立木康介 

立木康介)実はフロイトでも「死の欲動」が出てきたあと、抑圧の相対的な理論的重要性は減少していると思います。フロイトは例えば死の欲動の抑圧ということは言っていないのではないか。死の欲動については「抑圧」という言葉を使いにくいと思ったのか、そういう箇所は見たことがありません。自我が死の欲動から身を守る時には抑圧と異なるメカニズムが働く、とフロイトは考えていたのです。


以下、これが全き誤謬なのをフロイトの三文を引用して示そう。


①抑圧された欲動

抑圧された欲動は、一次的な満足体験の反復を本質とする満足達成の努力をけっして放棄しない。あらゆる代理形成と反動形成と昇華は、欲動の止むことなき緊張を除くには不充分であり、見出された満足快感と求められたそれとの相違から、あらたな状況にとどまっているわけにゆかず、詩人の言葉にあるとおり、「束縛を排して休みなく前へと突き進む」(メフィストフェレスーー『ファウスト』第一部)のを余儀なくする動因が生ずる。

Der verdrängte Trieb gibt es nie auf, nach seiner vollen Befriedigung zu streben, die in der Wiederholung eines primären Befriedigungserlebnisses bestünde; alle Ersatz-, Reaktionsbildungen und Sublimierungen sind ungenügend, um seine anhaltende Spannung aufzuheben, und aus der Differenz zwischen der gefundenen und der geforderten Befriedigungslust ergibt sich das treibende Moment, welches bei keiner der hergestellten Situationen zu verharren gestattet, sondern nach des Dichters Worten »ungebändigt immer vorwärts dringt« (Mephisto im Faust, I, Studierzimmer)

(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)


②リアルな欲動のマゾヒズム

欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)


③マゾヒズムという死の欲動

マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。〔・・・〕そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に残存したままでありうる。

Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. …daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; 〔・・・〕

我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない。

Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


以上、①②③より「抑圧された死の欲動」となるな、誰でも即座に知れるように。



せっかくラカンがフロイトのトビトビのテキストを一言で鮮明化したのにさ、ーー《すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort]》(Lacan, E848, 1966)と。このラカンを受け入れていたら、冒頭の立木のようなことはケッシテ言えない筈だけどね。現在はなんとラカン協会理事長になっているようだが、たぶんとってもマイナーな協会なんだろうよ


あるいはーー、


享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)

死の欲動は現実界である。死は現実界の基礎である[La pulsion de mort c'est le Réel …c'est la mort, dont c'est  le fondement de Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)

死への道…それはマゾヒズムについての言説である。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[Le chemin vers la mort… c'est un discours sur le masochisme …le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance. ](Lacan, S17, 26 Novembre 1969)



で、欲動つまり享楽は常に抑圧されているが必ず回帰がある。

フロイトが措定したことは、欲動の動きはすべての影響から逃れることである。つまり享楽の抑圧・欲動の抑圧は、欲動要求を黙らせるには十分でない。それは自らを主張する。

ce que Freud pose quand il aperçoit que la motion de la pulsion échappe à toute influence, que le refoulement de la jouissance, le refoulement de la pulsion ne suffit pas à la faire taire, cette exigence. Comme il s'exprime : 

(J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97)


ーーこのジャック=アラン・ミレールは①の「抑圧された欲動の反復」の言い換え。ここでの抑圧は厳密には第一次抑圧としての原抑圧だけれどね、


で、反復は(原)抑圧された欲動の回帰、(原)抑圧された享楽の回帰のこと。

以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)



原抑圧(第一次抑圧)は欲動・固着・トラウマの抑圧であり、後期抑圧は、願望(欲望)・表象・思想の抑圧[参照]。


原抑圧

Urverdrängung

抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

抑圧された固着[verdrängten Fixierungen] (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年)

抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)

後期抑圧

Nachverdrängung

抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年)

抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年)

抑圧された思想[verdrängten Gedanken ] (フロイト『夢解釈』第7章、1900年)



欲動は事実上、固着のトラウマでありマゾヒズム。


幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年)

トラウマ的固着[traumatischen Fixierung](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)

無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido  …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇 , 1905年)


このトビトビのフロイトのテキストもラカンの指摘がなければなかなか掴み難いけれどね、ま、ホントにしつこく読み込んだんだよ、セミネールを30年近くやって。知れば知るほど、あらためて感心するね、ミレールの朋友ジャン=ルイ・ゴーの言うようにーー《ラカンは最も偉大なフロイディアンだった [Lacan a été le plus grand des freudiens]》( Jean-Louis Gault, Hommes et femmes selon Lacan, 2019)



ま、もうやめとくよ。こういったたぐいの無知はいくらでもあるんだ、立木とか十川とか原とかに限らず。最近の若いのもとってもひどいよ、というかますます知的退行してるのがほとんどのように見えるね

➡︎「バカしかいない」という言い過ぎ