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2023年12月13日水曜日

「神は女なるもの」の意味

 

前回掲げた次のラカンは「精神分析が明らかにした」と言ってるのだから、事実上フロイトが見出したということだよ。

一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである[C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile  que c'est tout simplement « La femme ».  ](ラカン, S23, 16 Mars 1976)



確認しよう。


フロイトは宗教的感情の起源は幼児の寄る辺なさだと言っているが、これが神の起源だ。


◼️宗教的感情の起源=寄る辺なさ

われわれが明確な線を辿って追求できることは、幼児の寄る辺なさという感情までが宗教的感情の起源である[Bis zum Gefühl der kindlichen Hilflosigkeit kann man den Ursprung der religiösen Einstellung in klaren Umrissen verfolgen](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第1章、1930年)


で、寄る辺なさ[Hilflosigkeit]ーー「無力」とも訳されるーーとは何か。


◼️寄る辺なさ=不安=トラウマ=喪失

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…)  die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)


そして原不安とは出産トラウマであり、これが原トラウマかつ母への原固着である。


◼️出産トラウマ=原不安=原トラウマ=原固着(原抑圧)

不安は対象の喪失への反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, […] daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)


つまり宗教的感情の起源、神の起源は《喪われた子宮内生活[das verlorene Intrauterinleben]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)だ。これがラカンが神とは女なるものと言っている内実だ。


ま、フロイトが明らかにしたというのはいくぶん大袈裟さけどね、例えばタントラの教えやラーマクリシュナはこう言ってんだから。

かくの如く私は聞いた。ある時、ブッダは一切如来の身語心の心髄である金剛妃たちの女陰に住しておられた[eva mayā śrutam / ekasmin samaye bhagavān sarvatathāgatakāyavākcittahdayavajrayoidbhageu vijahāra ](『秘密集会タントラ』Guhyasamāja tantra

神はヴァギナのなかにいる。ーーラーマクリシュナ

“God is in the Vagina” – Sri Ramakrishna



次の中世キリスト教の画だって、喪われた女陰への祈りとして使われたのだろうし。





………………


ここで冒頭に掲げたラカンの前後を引用しとこう。


ラカンはS(Ⱥ)という記号を示しつつ語っているが、これは穴Ⱥのシニフィアン(穴の表象)を意味し、穴とはトラウマの穴、かつ喪失だ。

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

穴、すなわち喪失の場処 [un trou, un lieu de perte] (Lacan, S20, 09 Janvier 1973)


つまりS(Ⱥ)とはトラウマのシニフィアン、喪失のシニフィアンを意味する。この前提で以下の文を読まれたし。

私のS(Ⱥ)、それは「大他者はない」ということである。無意識の場処としての大他者の補填を除いては。mon S(Ⱥ).   C'est parce qu'il n'y a pas d'Autre, non pas là  où il y a suppléance… à savoir l'Autre comme lieu de l'inconscient〔・・・〕


人間のすべての必要性、それは大他者の大他者があることである。これを一般的に神と呼ぶ。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである。

La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile  que c'est tout simplement « La femme ».   


女なるものを"La"として示すことを許容する唯一のことは、「女なるものは存在しない」ということである。女なるものを許容する唯一のことは神のように子供を身籠ることである。La seule chose qui permette de la désigner comme La…  puisque je vous ai dit que « La femme » n'ex-sistait pas, …la seule chose qui permette de supposer La femme,  c'est que - comme Dieu - elle soit pondeuse. 


唯一、分析が我々に導く進展は、"La"の神話のすべては唯一の母から生じることだ。すなわちイヴから。子供を孕む固有の女たちである。

Seulement c'est là le progrès que l'analyse nous fait  aire, c'est de nous apercevoir qu'encore que le mythe la fasse toute sortir d'une seule mère  - à savoir d'EVE - ben il n'y a que des pondeuses particulières.   (Lacan, S23, 16 Mars 1976)


ここでラカンがトラウマ的喪失のシニフィアンS(Ⱥ)を使って「女なるものは唯一の母から生じる、イヴから。子供を孕む固有の女」と言っていることは、事実上、喪われた母胎であり、これが神の起源にほかならない。上に示したフロイトと基本的に等価である。あとは、「世界の起源(L'Origine du monde)あるいは「喪われた世界 (LE MONDE PERDU)」」を参照されたし。