前回掲げた次のラカンは「精神分析が明らかにした」と言ってるのだから、事実上フロイトが見出したということだよ。 |
一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである[C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». ](ラカン, S23, 16 Mars 1976) |
確認しよう。 フロイトは宗教的感情の起源は幼児の寄る辺なさだと言っているが、これが神の起源だ。 ◼️宗教的感情の起源=寄る辺なさ |
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われわれが明確な線を辿って追求できることは、幼児の寄る辺なさという感情までが宗教的感情の起源である[Bis zum Gefühl der kindlichen Hilflosigkeit kann man den Ursprung der religiösen Einstellung in klaren Umrissen verfolgen](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第1章、1930年) |
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で、寄る辺なさ[Hilflosigkeit]ーー「無力」とも訳されるーーとは何か。 |
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◼️寄る辺なさ=不安=トラウマ=喪失 |
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不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
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自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…) die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
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そして原不安とは出産トラウマであり、これが原トラウマかつ母への原固着である。 |
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◼️出産トラウマ=原不安=原トラウマ=原固着(原抑圧) |
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不安は対象の喪失への反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, […] daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
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出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。 Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要) |
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つまり宗教的感情の起源、神の起源は《喪われた子宮内生活[das verlorene Intrauterinleben]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)だ。これがラカンが神とは女なるものと言っている内実だ。
次の中世キリスト教の画だって、喪われた女陰への祈りとして使われたのだろうし。 ………………
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