私はしばしば蓮實の《世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い》を掲げているがね、(例えば2年半前の「コレ」はこの文を掲げて柄谷行人と千葉雅也をバカにしてんな・・・それと「コレ」は日本フロイト派代表的臨床家らしい十川幸司と現日本ラカン協会理事長立木康介をバカにしてるよ。)
若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞 2017年1月1日号) |
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ま、「嘘」っていうかな、世間で言われていることの大半は間違ってるんだよ。
キミのいうフロイトはどっから仕入れてきたのか知らないが、明らかに誤謬だね、まだ若いんだからこれから頑張ったら良い、とは言っておくが。
そもそもフロイトの三つの最も基本的概念「無意識・抑圧・神経症」だって、巷間の精神科医は何にもわかっちゃいない。フロイト・ラカンプロパ研究者でさえあやしい人が殆どだから。
(例えば少し前、京大のトラウマあるいは解離の専門家らしいセンセのブログをのぞいたことがあるが、彼のフロイトは一行一句間違っている。ウィニコット好きの人物でもあるなーーでもリンクはやめとくよ)
フロイトの「三つの基本概念「無意識・抑圧・神経症」の整理」[参照]で、いくらかまわりくどく記しているが、ここではもっと簡単に言えばこうだ。
まず無意識は本来の無意識と前意識がある。 |
精神分析が無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった経緯を簡潔に説明するのは、もっと難しい。 Schwieriger wäre es, in kurzem darzustellen, wie die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. (フロイト『自己を語る』第3章、1925年) |
ーーフロイトは『無意識』第6章(1915年)で、前意識Vbwを《無意識の後裔[Abkömmlinge des Ubw]》と呼んでいる。 次に抑圧は原抑圧と後期抑圧がある。 |
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen (Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
ーー原抑圧は欲動の固着(欲動の無意識)であり、後期抑圧は欲望の無意識。 (重要なのは、フロイトが《抑圧された欲動[verdrängte Trieb]》(『快原理の彼岸』第5章、1920年)、《抑圧された固着[verdrängten Fixierungen]》 (『精神分析入門』第23講、1917年)と言っているときは「原抑圧」を示しており、他方、《抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche]》(『夢解釈』第5章、1900年)、《抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen]》(フロイト『夢解釈』第7章、1900年)と言っているときは「後期抑圧」を示していること。) そして神経症には現勢神経症と精神神経症がある。 |
おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す[die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, ]〔・・・〕 精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する[daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
だいたいほとんどの精神科医や学者・研究者は上部の自我の無意識(=前意識)、自我の抑圧(=後期抑圧)、自我の神経症(=精神神経症)がフロイトの無意識・抑圧・神経症だと思い込んでいる、フロイトが死んで100年近くなるのにいまだそうだ。結局、連中は自我心理学者にすぎない。
※なおラカンにとって言語は象徴界、自我は想像界だが、想像界は象徴界に支配されている。この図はその意味での自我の象徴界である。
だいたいラカン派で、欲動に触れずに欲望のみを言ってるヤツはな、自我心理学似非ラカン派だよ、ラカンは生涯自我心理学と闘ったのに。もっともラカンにおいてさえ欲動と欲望の混同があるがね、少なくとも1958年あたりまで。そもそも『エクリ』をナイーブに読むと誤謬の渦に巻き込まれるよ、あれは後期ラカンをしっかり把握してから遡及的に読んで初めて役に立つ。