いろいろ話が出ているな、USAID(米国国際開発庁)によるメディア操作をめぐって。
これはでも、ある意味で「いまさら」の話であり、少し前にも「誰もが知っている筈の「袖の下」の時代」で「主人はマネー」の話を出したがね、 |
民主主義の極地は、「民意」という名の下に全体主義の形を取り、全体主義の極地は、国家間の境界を越えた超資本主義の形を取ります。 ここで、無主主義という観念を導入した方がいいと思います。今は民主主義が尖鋭化して全体主義になった状況を考えた方が世界を見易いですが、独裁者がいるかと問われれば、 いないでしょう。主人はマネーかもしれないんです。(古井由吉『新潮 45』2012 年 1 月号 片山杜秀との対談) |
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かつて、私的な会話の中で、私はラカンに中国で何が起こっているかについてどう思うか尋ねた。 1960年代のことだった。私はマオイストで、毛沢東が中国でやろうとしていることは全く前例のないことだと考えていた。するとラカンは私にこう答えた、「他のどこでもそうであるように、北京でも主人はマネーだ」。その予測と洞察において並外れたものだった。彼はすでに、未来は資本主義が世界を支配するという考えを持っていた。 |
Once, in a private conversation, I asked Lacan what he thought about what was happening in China. It was in the 1960s. I was a Maoist and I thought that there was something totally unprecedented that Mao was trying to do in China. And Lacan answered me: “In Peking, as everywhere else, the master is money”. It was extraordinary in its anticipation and lucidity. He already had the idea that the future was the domination of capitalism in the world. |
(ジャック=アラン・ミレールインタビュー「ラカンは資本主義の世界的支配を予見した」 Jacques-Alain Miller: “Lacan Foresaw the Global Domination of Capitalism” 8 August, 2022 Oscar Ranzani*) |
しばしば非難される「選挙で選ばれていない」官僚の支配という紋切型があるが、では選挙で選ばれた政治家はどうなのか。政治家を選挙で選ぶ一般大衆は、既に常に、メディアに洗脳されてんだよ。つまりその背後にいる選挙で選ばれていない利権集団、選挙で選ばれていない金融資本家に。
◾️マイケル・ハドソン「合策された民主主義」 The Democracy Collaborative By Michael Hudson, March 28, 2017 |
政党がどのように組織されるか。 方法は2つある。ひとつは民主主義国家で有権者の支持を得ること、もうひとつは大口献金者と資金調達者から資金を得ることだ。 資金調達者はウォール街にいる。 民主党の戦略ーー2月21日の民主党全国委員会代表選挙に出馬した議員たちーーは、資金調達の鍵はテレビだと言っていた。 人心を掌握するためにテレビの時間を買うには、多額の献金が必要だ。 その資金は主にウォール街、1%の人々からもたらされる。 だから、テレビの時間を買ったり、フォーカスグループにお金を出したりする資金を1%に依存しているとしたら、驚くことに1%は、99%の利益ではなく、自分たちの利益だけを代表しようとしていることになる。 党が、大口献金者からテレビ放映のための資金を最も多く集められる候補者や綱領を目指す戦略をとれば、大口献金者の党になってしまう。 ウォール街の党だ。 |
…on how the political party is going to be organized. There are two ways: One is to get popular support of voters in a democracy; the other is to get funding from big donors and fundraisers. The fundraisers are on Wall Street. The Democratic Party strategy – and you saw this by members running for the head of the Democratic National Committee on February 21 – they were saying the key to funding is television. Buying television time to control people’s minds takes big contributions of money. The money comes mainly from Wall Street, from the 1%. So if you’re dependent on the 1% to give the money to buy television time and to pay for focus groups, then the 1% surprisingly enough are only going to represent their own interest, not that of the 99%. Once you have a strategy that the party is geared towards what candidates and platform can raise the most money for television from big contributors, you’re going to become the party of these big contributors. Of Wall Street. |
つまり現在の民主主義とは、マネーに支配されたメディア、そのメディアに洗脳された大衆が自ら選んだつもりになっている制度だ。「大衆の支配」とは古代ギリシア語の原義の意味でのデモクラシー[δημοκρατία]ーー大衆[δῆμος]+支配[κράτος]ーーだがね。
大衆は本来的に無知に決まってるんだからーーもちろんこう記している私も含めてーー、デマゴーグ[δημαγωγός]が必要だ、これは原義には悪い意味はない、大衆を導く[δῆμος +ἄγειν]者ということだ。でも今はマネーメディアに導かれた大衆だということだな。
このマネーに支配された民主主義を逃れる方法はあるのかね。
柄谷行人が『トランスクリティーク』以来、繰り返し指摘している資本=ネーション=国家というボロメオの環を揚棄しない限り、おそらく無理だよ。 |
近代国家は、資本制=ネーション=ステート(capitalist-nation-state)と呼ばれるべきである。それらは相互に補完しあい、補強しあうようになっている。(柄谷行人『トランスクリティーク』「イントロダクション」2001年) |
ーー《ベネディクト・アンダーソンは、ネーション=ステートが、本来異質であるネーションとステートの「結婚」であったといっている。これは大事な指摘であるが、その前に、やはり根本的に異質な二つのものの「結婚」があったことを忘れてはならない。国家と資本の「結婚」、である。》(同上) |
ヘーゲルが『法の哲学』でとらえようとしたのは、資本=ネーション=国家という環である。このボロメオの環は、一面的なアプローチではとらえられない。〔・・・〕たとえば、ヘーゲルの考えから、国家主義者も、社会民主主義者も、ナショナリスト(民族主義者)も、それぞれ自らの論拠を引き出すことができる。しかも、ヘーゲルにもとづいて、それらのどれをも批判することもできる。それは、ヘーゲルが資本=ネーション=国家というボロメオの環を構造論的に把握した――彼の言い方でいえば、概念的に把握した(begreifen)――からである。ゆえに、ヘーゲルの哲学は、容易に否定することのできない力をもつのだ。 しかし、ヘーゲルにあっては、こうした環が根本的にネーションというかたちをとった想像力によって形成されていることが忘れられている。すなわち、ネーションが想像物でしかないということが忘れられている。だからまた、こうした環が揚棄される可能性があることがまったく見えなくなってしまうのである。(柄谷行人『世界史の構造』第9章、2010年) |
ネーションはもしお好きなら「民主主義」に代替してもよろしい、《デモスは一種の「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)であるという点で近代国家に似ていた。アテネのデモクラシーはこの種のナショナリズムと切り離せない[the demos resembled the modern nation in being a kind of “imagined community” (Benedict Anderson). Athenian democracy is inseparable from this kind of nationalism. ]》(柄谷行人『世界史の構造』第5章、2010年、私訳) |
ネーションを形成したのは、二つの動因である。一つは、中世以来の農村が解体されたために失われた共同体を想像的に回復しようとすることである。もう一つは、絶対王政の下で臣民とされていた人々が、その状態を脱して主体として自立したことである。しかし、実際は、それによって彼らは自発的に国家に従属したのである。1848年革命が歴史的に重要なのは、その時点で、資本=ネーション=国家が各地に出現したからだ。さらに、そのあと、資本=ネーション=国家と他の資本=ネーション=国家が衝突するケースが見られるようになる。その最初が、普仏戦争である。私の考えでは、これが世界史において最初の帝国主義戦争である。そのとき、資本・国家だけでなく、ネーションが重要な役割を果たすようになった。交換様式でいえば、ネーションは、Aの ”低次元での” 回復である。ゆえに、それは、国家(B)・資本(C)と共存すると同時に、それらの抗する何かをもっている。政治的にそれを活用したのが、イタリアのファシズムやドイツのナチズムであった。今日では、概してポピュリズムと呼ばれるものに、それが残っている。(柄谷行人『力と交換様式』2022年) |
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