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2025年6月26日木曜日

なぜなのか、「欧米でフランスが一番差別的だ」と見なされるのは?


 小山晃弘はとても頭がよい人でかつ勉強家でもあり、その発話にひどく感心させられることがままある、とくにそのフェミニズム批判に。2年ほど前、彼の発言をもとに「イイカゲンニシロ氏とイイカゲンニシロ女史」という記事を書いたことがあるが。

たまたま本日次のようなツイートに出会ったが、こういった素朴な問いも好感がもてる。


私もかつてなぜなんだろうと思ったことがある、「欧米でフランスが一番差別的だ」と見なされるのは。

で、ジジェクの次の文に出会った。


フランスはドイツやイギリスよりはるかに悪い。〔・・・〕仏のナショナリズム、フランス人は(自由、平等、友愛の理念を実現した)唯一のデモクラシー的平等主義の国だという自負そのものが、ナショナリズムや愛国心を生み、他国、他民族を蔑視し差別するメカニズムが働いてしまっている。(『ジジェク自身によるジジェク』2004年、摘要訳)


つまり「世界で最も差別的でない国という自負が最も差別的なナショナリズムを生む」とジジェクは言っている。今のところ、この説明が私には最も説得的だ。そしてこの論理は多くのことに使える。


例えばこれは5年ほど前に拾ったのだが、柴田英理と山崎雅弘のやりとり。










柴田英理は、正義をふりかざすリベラル左翼がいかに正義を冒涜するかを指摘している。さてどうだろうか? 私には山崎雅弘のような言説が堪え難い。


「いいか。世の中で最も危険な思想は、悪じゃなく、正義だ。悪には罪悪感という歯止めがあるが、正義には歯止めなんかない。だからいくらでも暴走する。過去に起きた戦争や大量虐殺も、たいていの場合、それが正義だと信じた連中の暴走が起こしたものだ」(『翼を持つ少女』)

よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である!Und was für Schaden auch die Bösen thun mögen: der Schaden der Guten ist der schädlichste Schaden!  (ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第三部「新旧の表」)



つい最近も何かの発言で感じたことがるんだが、「あのカレ」はかなりニブイところがあるよ、


一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなお してみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 (中井久夫『看護のための精神医学』2004年 )

誰にも攻撃性はある。自分の攻撃性を自覚しない時、特に、自分は攻撃性の毒をもっていないと錯覚して、自分の行為は大義名分によるものだと自分に言い聞かせる時が危ない。医師や教師のような、人間をちょっと人間より高いところから扱うような職業には特にその危険がある。中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」1986年)



もっとも誰にでも盲点はあることは強調しておかないといけないがね、こう記している私にももちろん。



万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている Human being cannot endure very much reality(中井久夫超訳エリオット「四つの四重奏」)

他者の「メタ私」は、また、それについての私の知あるいは無知は相対的なものであり、私の「メタ私」についての知あるいは無知とまったく同一のーーと私はあえていうーー水準のものである。しばしば、私の「メタ私」は、他者の「メタ私」よりもわからないのではないか。そうしてそのことがしばしば当人を生かしているのではないか。(中井久夫「世界における徴候と索引」1990年)