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2025年9月7日日曜日

王、売春婦、精神科医は人類最古の職業(中井久夫)


中井久夫は、「王、売春婦、精神科医は人類最古の職業」としている。


古代都市の成立は、技術史家ルイス・マンフォードによれば、すでに人力による巨大機械の成立であり、今日まで連続する事態であるという。逆に見みれば、古代都市の成立あるいは一般に civilisation とは、人類文化の人間個体への一身具現性の急激な低下である。医師はより古い層より出て、この一身具現性を少なくとも最近まで残していた。特に精神科医は、その意味でも王や売春婦とともに"人類最古の職業"といいうるであろう。医療が"技術"といら言葉に尽しえないものを持ち、このことばに感覚的にもなじみえないのはそのためであろう。売春婦の”技術" がきわめて一身具現的であるのにやや劣るとしても(筆者は戯れに言うのではない。下位文化としての"治療文化" 全体を問題にしているのだ、古代中東の神殿売春を特筆するわけではないが)。中井久夫「西洋精神医学背景史」『分裂病と人類』所収、1982年)


ここでの王は、《「王と雨司と医師とが同じ時代があった」と人類学者フレーザーの言にあった》(中井久夫「家族の深淵」1991年)という文脈のなかにあり、シャーマンが起源である。


呪術を司る者たちが、その法外な主張を信じて疑わない社会において重要で支配的な地位に立つのは必然であり、呪術師たちのうちのある者が、民衆から受ける信頼と民衆を圧する威厳の力によって、盲信的な大衆に対して至上権を振うようになるとしても不思議ではない。しばしば呪術師が酋長や王にまで成長発展したことは明らかな事実である。(フレーザー『金枝篇』)


さらに、この王の起源としての呪術師は、悪魔祓い師、宗教家の原祖でもある。

西欧の場合、精神医療には二つの起源がある。一つは行政的・管理的な立場から精神病患者を浮浪者、売春婦などとともに「働かざる者」を一括収容した「施設」(アンシュタルト)に、精神病に関心をもつ内科医が往診(ヴィジート)したことから始まる。精神病患者のみを分別収容し、医師が常駐するようになったのはフランス革命以後であり、精神医学が内科学から分かれて大学に講座を持つようになったのは十九世紀末である。こちらは体制側の医学で非宗教的である。


もう一つは、悪魔祓い師起源で、これが脱宗教化して「催眠術師」となったのはやはりフランス革命前後で、この後身が精神分析学で在野の開業医の学である。宗教や超心理学と微妙な関係にある。(中井久夫「宗教と精神医学」1995年)


そしてーー前回、プラトン・フロイト・ラカンに準拠しつつ、「精神分析は愛の学問」としたがーー、この愛はリビドー、つまり性欲動であり、この意味で、売春婦と精神科医の役割は近似している。


中井久夫にとって精神科医像は売春婦である。



…私にしっくりする精神科医像は、売春婦と重なる。


そもそも一日のうちにヘヴィな対人関係を十いくつも結ぶ職業は、売春婦のほかには精神科医以外にざらにあろうとは思われない。


患者にとって精神科医はただひとりのひと(少なくとも一時点においては)unique oneである。


精神科医にとっては実はそうではない。次のひとを呼び込んだ瞬間に、精神科医は、またそのひとに「ただひとりのひと」として対する。そして、それなりにブロフェッショナルとしてのつとめを果たそうとする。


実は客も患者もうすうすはそのことを知っている。知っていて知らないようにふるまうことに、実は、客も患者も、協力している、一種の共謀者である。つくり出されるものは限りなく真物でもあり、フィクションでもある。

職業的な自己激励によってつとめを果たしつつも、彼あるいは彼女たち自身は、快楽に身をゆだねてはならない。この禁欲なくば、ただの promiscuous なひとにすぎない。(アマチュアのカウンセラーに、時に、その対応物をみることがある。)


しかし、いっぽうで売春婦にきずつけられて、一生を過まる客もないわけではない。そして売春婦は社会が否認したい存在、しかしなくてはかなわぬ存在である。さらに、母親なり未見の恋びとなりの代用物にすぎない。精神科医の場合もそれほど遠くあるまい。ただ、これを「転移」と呼ぶことがあるだけのちがいである。


以上、陰惨なたとえであると思われるかもしれないが、精神科医の自己陶酔ははっきり有害であり、また、精神科医を高しとする患者は医者ばなれできず、結局、かけがえのない生涯を医者の顔を見て送るという不幸から逃れることができない、と私は思う。(中井久夫『治療文化論』1990年)


より広く言えば、占い師やプロスティテュートだけでなく、マッサージ師、ホステスもカウンセラーである。

人間の精神衛生維持行動は、意外に平凡かつ単純であって、男女によって順位こそ異なるが、雑談、買物、酒、タバコが四大ストレス解消法である。しかし、それでよい。何でも話せる友人が一人いるかいないかが、実際上、精神病発病時においてその人の予後を決定するといってよいくらいだと、私はかねがね思っている。


通常の友人家族による精神衛生の維持に失敗したと感じた個人は、隣人にたよる。小コミュニティ治療文化の開幕である。(米国には)さまざなな公的私的クラブがある。その機能はわが国の学生小集団やヨットクラブを例として述べたとおりである。

もうすこし専門化された精神衛生維持資源もある。マッサージ師、鍼灸師、ヨーガ師、その他の身体を介しての精神衛生的治療文化は無視できない広がりをもっている。古代ギリシャの昔のように、今日でも「体操教師」(ジョギング、テニス、マッサージ)、料理人(「自然食など」)、「断食」「占い師」が精神科的治療文化の相当部分をになっている。ことの善悪当否をしばらくおけば、占い師、ホステス、プロスティテュートも、カウンセリング・アクティヴィティなどを通じて、精神科的治療文化につながっている。カウンセリング行動はどうやら人類のほとんど本能といいたくなるほど基本的な活動に属しているらしい。彼らはカウンセラーとしての責任性を持たない(期待されない)代り、相手のパースナル・ディグニティを損なわない利点があり、アクセス性も一般に高い。(中井久夫『治療文化論』1990年)


さらに古代の哲学者もカウンセラーとして生計を立てていた、と中井久夫は指摘している。

近代医療のなりたちですが、これは一般の科学の歴史、特に通俗史にあるような、直線的に徐々に発展してきたというような、なまやさしい道程ではありません。


ヨーロッパの医療の歴史は約二千五百年前のギリシャから始めるのが慣例です。この頃のギリシャは、国の底辺に奴隷がいて、その上に普通の職人と外国人がいて、一番上に市民がいました。当時のギリシャでは神殿にお参りしてくる人のために神殿付きドクターと、一方では奴隷に道具一式をかつがせて御用聞きに回るドクターとがありました。


ドクターの治療を受けられたのは中間層であって、奴隷は人間として扱われていなかったのでしばしば病気になってもほっておかれました。市民は働かないで、市の真中の広場に集まって一日中話し合っているんです。これが民主主義の始まりみたいな奇麗ごとにされていますが、働かない人というのはものすごく退屈していますから、面白い話をしてくれる人が歓迎されます。そこでは妄想は皆が面白がって、病気とはみなされなかったようです。いちばん上の階級である市民が悩むと「哲学者」をやとってきて話をさせます。つまり当時の哲学者はカウンセラーとして生計を立てているのです。この辺はローマでも同じです。ローマ帝国は他国を侵略して、だんだん大きくなってきます。他国人を捕えて奴隷として働かせ、消耗品として悲惨な扱いをしていました。暴力の発散の対象に奴隷がなって、慰みに殺されたりしています。……(中井久夫「近代精神医療のなりたち」『精神科医がものを書くとき』所収)



さてこれらから、人類最古の職業としての「王、売春婦、精神科医」はすべて宗教に関わると読めないだろうか。


……………


なおフロイトにとって宗教の起源は喪われた母胎である。


われわれが明確な線を辿って追求できることは、幼児の寄る辺なさという感情までが宗教的感情の起源である[Bis zum Gefühl der kindlichen Hilflosigkeit kann man den Ursprung der religiösen Einstellung in klaren Umrissen verfolgen](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第1章、1930年)


そしてこの寄る辺なさ[Hilflosigkeit]の根にあるものは、《母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] 》(『制止、症状、不安』第8章、1926年)、さらには《喪われた子宮内生活 [das verlorene Intrauterinleben]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)である[参照]。


要するに母は原初の神なのである。

歴史的発達の場で、おそらく偉大な母なる神が、男性の神々の出現以前に現れる。〔・・・〕もっともほとんど疑いなく、この暗黒の時代に、母なる神は、男性諸神にとって変わられた。Stelle dieser Entwicklung treten große Muttergottheiten auf, wahrscheinlich noch vor den männlichen Göttern, […] Es ist wenig zweifelhaft, daß sich in jenen dunkeln Zeiten die Ablösung der Muttergottheiten durch männliche Götter (フロイト『モーセと一神教』3.1.4, 1939年)




ラカンが次のように言っているのはこの文脈の中にある。

問題となっている女なるものは、神の別の名である[La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu](Lacan, S23, 18 Novembre 1975)


この女なるものは、《母なる女[la femme en tant que mère]》(Lacan, S17, 11 Février 1970)である。


さらにラカンは天才宗教史家ロバート・グレーヴスの白い女神、つまり母なる神ーー《ケンタウロスの母なる神はギリシャ語でレウコテア、「白い女神」と呼ばれていた[The Centaurs' mother goddess was called, in Greek, Leucothea, 'the White Goddess]》(ロバート・グレーヴス『白い女神』Robert Graves , The White Goddess, 1948 年)ーーに準拠してこう言っている。


ロバート・グレーヴスが定式化したように、父自身・我々の永遠の父は、白い女神の諸名のひとつに過ぎない [comme le formule Robert Graves, le Père lui-même, notre père éternel à tous, n'est que Nom entre autres de la Déesse blanche](Lacan, AE563, 1974)


ジャック=アラン・ミレールで補足すれば、次の通り。

言葉は根源において祈りである。しかし宗教は父に向かった。この父は基本的に、最初の神性である母の代理人である[la parole est dans son fond prière, mais avec ceci que, dans la religion, elle se dirige vers le père – ce père qui est au fond un substitut de la première divinité, laquelle est maternelle. ]〔・・・〕


全能の力、われわれはその起源を父の側に探し求めてはならない。それは母の側にある。偉大なる母、諸神のなかの最初の白い神性であり、父なる諸宗教に先行する神だとわれわれは教えられている。[La toute-puissance, il ne faut pas en chercher l'origine du côté du père, mais du côté de la mère, de la Grande Mère, première parmi les dieux, la Déesse blanche, celle qui, nous dit-on, a précédé les religions du père.] (Jacques-Alain Miller, MÈREFEMME, 2016)




この母が最初の神であったという思考はもちろん古来の日本にもある。例えば折口信夫が取り上げた「妣が国」である。

すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ〳〵の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)

……「妣が国」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。妣は祀られた母と言ふ義である。(折口信夫「最古日本の女性生活の根柢」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)


ーー《匕は、妣()の原字で、もと、細いすき間をはさみこむ陰門をもった女や牝(めす)を示したもの。》(漢字源)


……………


最後に中井久夫に戻って、彼の宗教をめぐる捉え方を抜き出しておこう。


宗教は教典、戒律、儀礼だけから成るものではない。言葉と儀式を包む雰囲気的とでもいうか、言葉にならない、あるいは言葉を超えた何ものかに包まれて初めて宗教であると私は思う。〔・・・〕


 どの個別宗教もその教義、教典が成立した時に、その時のその場の何かがもっとも先鋭な不条理であったかを鋳型のように示している。一神教は苛烈な不条理に直面しつづけたユダヤ民族の歴史を映しているだろう。〔・・・〕


宗教原理主義が流行である。宗教の自然な盛り上がりか。むしろ、宗教が世俗的目的に奉仕するのが原理主義ではないか。わが国でも、千年穏やかだった神道があっという間に強制的な国家神道に変わった。原理主義の多くは外圧か内圧かによって生まれ、過度に言語面を強調する。言語と儀礼の些細な違いほど惨烈な闘争の火種になる。〔・・・〕


日本人は初詣では神社、葬式は仏教、クリスマスはキリスト教と使いわけているのは儀式のレベルのことで、日本人が和語、漢語、カタカナ語を巧みに使って漢字仮名まじり文を書いているのと同じである。他のすべての生活様式も同じである。その底には共通の祈りがあって、ことば以前の感情に日本人の“宗教”があるのではなかろうか。

 (中井久夫「日本人の宗教」2007年) 


一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。一般に絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーションである。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)

ーー《アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい。》(中井久夫「日本人の宗教」1985年『記憶の肖像』所収)


先に《宗教が世俗的目的に奉仕するのが原理主義ではないか。わが国でも、千年穏やかだった神道があっという間に強制的な国家神道に変わった。原理主義の多くは外圧か内圧かによって生まれ、過度に言語面を強調する。言語と儀礼の些細な違いほど惨烈な闘争の火種になる。》とあったが、おそらく呪術師が起源であっただろう天皇は、明治維新後の一時期、不幸にも天皇制イデオロギーの下、世俗的目的に奉仕する「原理主義」となってしまった。だがこれはあくまで一時期のことであり、中井久夫は安易な天皇制廃止論者を強く批判するのはこのせいである[参照]。天皇制は日本文化のスイであり、世界でも稀有な最古の職業の残存である。


ここで、きわめてナイーブで短視眼の天皇制廃止論者に「刺激」を与えるために、丸山眞男ーー彼も天皇制廃止論者だった(もっとも後年、天皇制イデオロギーを支えた儒教批判に向かったが)ーー、その彼の師匠南原繁の言葉を掲げておこう。

日本国家権威の最高の表現、日本国民統合の象徴としての天皇制は永久に維持されるでありましょうし、また維持されねばなりませぬ。これはわが国の永い歴史において民族の結合を根源において支え来たったものであって、君主と人民のおのおのの世代の交替と、君主主権・人民主権の対立とを超えて、君民一体の日本民族共同体そのものの不変の本質であります。外地異種族の離れ去った純粋日本に立ち帰った今、これをしも失うならば日本民族の歴史的個性と精神の独立は消滅するで ありましょう。(南原繁「祖国を興すもの」1946年)


重要なのは、人は合理的に考えればーー理解可能性という貧しい領土に留まればーー天皇制廃止論者になるのである、戦後の多くの知識人がそうであったように。だがことば以前の日本の共通の祈りを視野に入れると具合が異なってくる。

じっさいに〈天皇(制) 〉が農耕社会の政治的な支配権をもたない時期にも〈自分ハソノ主長ダカラ農耕民ノタメ、ソノ繁栄ヲ祈禱スル〉というしきたりを各時代を通じて世襲しえたとすれば、この世襲には〈幻想の根拠〉または〈無根拠の根拠〉が、あるひとつの 〈威力〉となって付随することは了解できないことはない。いま、 〈大多数〉の感性が〈ワレワレハオマエヲワレワレノ主長トシテ認メナイ〉というように否認したときにも、 〈天皇(制) 〉が〈ジブンハオマエタチノ主長ダカラ、オマエタチノタメニ祈禱スル〉と応えそれを世襲したとすれば、この〈天皇(制) 〉の存在の仕方には無気味な〈威力〉が具備されることはうたがいない。わた しの考察では、これが各時代を通じて底流してきた〈天皇(制) 〉の究極的な〈権威〉の本質である。(吉本隆明 「天皇および天皇制について」 『詩的乾坤』国文社 1974.9.10)


天皇を政治的な立場から外せば天皇制という仕組みがなくなると単純に思っているひとがいるが、僕はそうは思っていない。僕らが縁日で金魚すくいをやっている限りは、神道の名残は残ると思っています。それと同じように天皇の名残も残り続けるのです。縁日に行って神社に露店が無くなったときに初めて、日本の神道がなくなるように原始からの何層もの積み重ねが現代の日本を形作っているのです。(吉本隆明『真贋』2007年)

そもそも日本の原始的な宗教性は神道にあり精神的な活動をされる方の多くは神道にもとづいています。…天皇の地位や存在についても起源からたどっていけばこのように考えることができるのです。…文学でいえば柳田国男や折口信夫が僕らを満足させる考え方にひとりで到達しており感心します。(吉本隆明「真贋」) 2007年)

あらためて、ドゥルーズ=プルーストの《哲学者よりも詩人が重要である》と言っておこう。