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2025年9月11日木曜日

カラガノフによるロシアのシベリア化[Siberization]グランプラン

 

カラガノフはロシアのシベリア化[Siberization]プロジェクトの必要性を少し前から強調しているがーー« "Siberization" should become part of Russia’s new national dream-idea»「Europe: A Bitter Parting  July 28, 2025」あるいは「Eastern Turn 2.0.,  July 21, 2025」などーー、次の記事は彼の意図が簡潔に鮮明化されている。今の日本にもこのようなグランプランを提示しうる人物が是非とも必要だね。今のままだと日本には「未来の希望」がまったくないよ。






◼️セルゲイ・カラガノフ「ヨーロッパは衰退しつつある。新たなロシアのために、新たなエリート層を受け入れなければならない」 南北回廊がグレーター・ユーラシアを支える。2025年9月25日

Sergey Karaganov: Europe is fading. We must embrace a new elite for a new Russia

North–South corridors will anchor Greater Eurasia, 10 Sep, 2025

ロシアと西側諸国によるウクライナを巡る対立の激化期は終焉に向かっている。モスクワは最強兵器の使用を避け、自国兵士と民間人の命を救う選択をした。しかし1812年や1945年の勝利とは異なり、この紛争は数十年の平穏をもたらさないだろう。ナポレオンの敗北は欧州に40年の平和をもたらし、ヒトラーの壊滅と核抑止力が相まって世界に70年をもたらした。今日、そのような結末は見えない。


西欧が世代交代を遂げるまで、闘争は波のように続く。現在のエリート層―グローバリストで買弁的性格を持つ者たち―は道徳的、政治的、経済的に失敗している。かつて文化と経済の拠点であったこの地域は、今や外部の敵にすがって生き延びている。戦争と反露感情こそが、支配階級が権力を維持する唯一の手段だ。これらのエリートが西欧、米国、ウクライナを支配する限り、永続的な平和は実現しない。


それでもロシアは、強さの立場から平和を追求しなければならない。ファシスト的・非人道的価値観を推進する者たちに対する厳しい戦略的抑止と選択的孤立化が不可欠だ。1815年や1945年規模の勝利がなければ、世界は第三次世界大戦へ転落する危険がある。その結末を防ぎ決定的勝利を収めることは、ロシアの義務である。自国と人類に対する義務だ。

ヨーロッパからユーラシアへ


西ヨーロッパの衰退は明らかだ。かつて潜在化していた反露感情が、今や主要な政治的な価値となっている。ロシアは自らの未来を西に求めることを止めねばならない。我々がヨーロッパを経由した300年の迂回は終わった。20世紀に我が国を襲った数々の悲劇が起きる前、おそらく1世紀前に終わっていれば良かったのだ。それらの災厄のほぼ全てはヨーロッパから来た。


今こそ「我々自身へ回帰する」時だ――我々の故郷と国家の起源へ。その故郷とはシベリアである。ウラルからカムチャツカまでわずか1世紀足らずで進出し、シベリアをルーシに編入したコサックの驚異的な推進力がなければ、ロシア中央平原を繰り返し侵攻する敵に耐えられなかっただろう。


「我々自身への回帰」とは同時に、ヨーロッパ中心主義という幻想を捨てることを意味する。ロシアの精神的・政治的DNAは決して純粋にヨーロッパ的なものではなかった。我々の宗教――正教、イスラム教、仏教、ユダヤ教――は南方から伝来した。我々の政治文化――垂直的権威、指導者への忠誠、国家への献身――はチンギス・ハンの帝国やビザンツの伝統との数世紀にわたる接触の中で鍛え上げられたのだ。この遺産がなければ、ロシアが世界最大の国家となることは決してなかった。


今後の戦略は、ロシアの経済的・科学的・精神的・政治的発展を東方向、ウラルとシベリアへと再指向させねばならない。これらの地域こそが、我々の未来の力と繁栄の源泉である。

南北回廊の必要性


今後10年間、あらゆる優先事項の中で最も重要なのは、ロシアをアジア、中東、そしてその先へと結ぶ南北回廊の建設である。この事業は対外関係の強化だけでなく、国内の結束と発展を固めるものでなければならない。


海洋大国と海路が本質的に優れているという旧来の西洋の主張は時代遅れになりつつある。海上航路はますます脆弱化しており、大陸の物流網を復活させる必要がある。何世紀にもわたり、西洋諸国は自らの支配を維持するために意図的に内陸貿易を破壊してきた。今や大ユーラシアはそれを再建しなければならない。


現在の議論は、カスピ海とイランを経由するペルシャ湾ルートに焦点が当てられることが多い。アフガニスタン経由の回廊や、ジョージア、アルメニア、トルコを横断する新たな通路を提案する声もある。いずれも価値がある。しかし最も戦略的に必要なのは、この枠組みをシベリアに基盤を置き、ロシア領土を急成長するアジア市場に直接接続することだ

新たな枠組みの原則


この南北戦略は九つの原則に導かれるべきだ。


第一に、安全と長期的発展は短期的な経済計算に優先せねばならない。大規模物流は民間企業だけでなく国家の責任である。セルゲイ・ヴィッテがシベリア横断鉄道建設を推進した際、金融業者や商人らは抵抗した。彼がいなければ、ロシアは第二次世界大戦を含む20世紀最大の試練を生き延びられなかっただろう。


第二に、開発の焦点は東へ移さねばならない。ウラルから太平洋まで、シベリアは輸送・精神的・文化的成長の中心地となるべきだ。企業や省庁はそれに応じて移転すべきであり、このプロセスは既に始まっている。ウラジーミル・プーチン大統領が約150社の本社を事業地域へ移転するよう命じたのがその例だ。やがてロシアはウラル以東に第三、第四、さらには第五の首都を設立すべきである。


第三に、ロシアは本質的に海洋国家ではなく河川国家である。我々は数世紀にわたり海への進出を志向してきたが、それは正しい選択だった。しかし今、エニセイ川、レナ川、オビ川、イルティシュ川といった河川を新たに活用し、広域物流回廊に組み込む必要がある。小型砕氷船隊の復活と航行可能期間の拡大は、シベリアの輸送経済を変革しうる。


第四に、この戦略は小さな町を保護し、シベリアへの新たな移住の波を喚起しなければならない。これは経済的なプロジェクトであると同時に、文明的なプロジェクトでもある。


第五に、輸送回廊はユーラシアの統一を復活させなければならない。道路や鉄道は、単に商品を運ぶためのものではない。それらは文化、交流、相互理解の経路でもあるのだ。


第六に、この計画はフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策を反映すべきだ。1930年代、アメリカは成長を促進するだけでなく、国民に仕事と目的を与えるためにインフラを構築した。今日、ウクライナ戦線から帰還した兵士たちは、シベリアの建設プロジェクトで熟練した高給の職を見つけ、そこに定住してこの地域を強化しなければならない。


第七に、新しいインフラは、新しいロシアのエリートを育成しなければならない。西洋主義や親欧米主義に汚染されていない、知性を貧しくし、道徳を腐敗させるようなエリートではない。このエリート、そして彼らが率いる国家は、大ユーラシア圏における「シベリア・ロシア」の建設者であると自覚しなければならない。


第八にアジアのパートナーとの協力は極めて重要である。中国の「一帯一路」は、しばしばシベリア横断鉄道との競争とみなされる。むしろ補完的なものと捉えるべきだ。ロシアの南北回廊をこの構想に接続することで、イラン、パキスタン、インド、さらにはアフリカに至る新たな機会が開かれる。


第九に、物流は輸送手段だけでなく思考そのものを再構築しなければならない。新たなルートを構築することは、時代遅れの西洋的枠組みから解放された主権的な思考様式を築くことでもある。過去の偉大なシベリア事業は新たなエリート層と新たな自信を生み出した。再びそれを成し遂げねばならない。


文明的プロジェクト


南北物流枠組みの構築は、狭い経済的取り組みではない。ロシアと広域ユーラシアにとっての文明的プロジェクトである。歴史に根ざしている:ヴィッテとシベリア横断鉄道、バイカル・アムール幹線、北方航路、ソビエト・シベリアの巨大なダムと工業都市。これらのプロジェクトはロシアにインフラだけでなく、自信とアイデンティティをもたらした。


今日の課題は、同じことを成し遂げることだ。衰退するヨーロッパから台頭するユーラシアへ軸足を移すこと重心を東へ、シベリアへ移すこと。広大な国土を近代的な交通動脈で結びつつ、南はアジアの急成長市場と連結すること。自らをヨーロッパの周辺部ではなくユーラシアの中心地と位置づける新たなエリート層と新たなロシアを形成することだ。


西側諸国は海上の覇権を何世紀も享受してきた。その時代は終わりを告げつつある。大陸国家の時代、ユーラシアを縦横に貫く南北・東西回廊の時代が始まろうとしている。ロシアはその先頭に立たねばならない。





……………………


※附記


以下、カント的な未来の希望[Hoffnung der Zukunft]ついて。


◼️カント『視霊者の夢(Träume eines Geistersehers)』1766年

大学における方法的なおしゃべりは、しばしば定まらない語義によって、解き難い問題を回避するための、なれあいにすぎない。 なぜなら〈私は知らない〉という気楽なそしてほとんどの場合、理性的でもある言葉が、大学では容易に聞かれないからである。

Das methodische Geschwätz der hohen Schulen ist oftmals nur ein Einverständnis, durch veränderliche Wortbedeutungen einer schwer zu lösenden Frage auszuweichen, weil das bequeme und mehrenteils vernünftige: Ich weiß nicht, auf Akademien nicht leichtlich gehöret wird.


偽りの物語を不注意に信じて騙されるよりも、理性の似非根拠を盲目的に信じて騙される方が賞讃されるとでもいうのだろうか?

warum sollte es auch eben rühmlicher sein, sich durch das blinde Vertrauen in die Scheingründe der Vernunft, als durch unbehutsamen Glauben an betrügliche Erzählungen hintergehen zu lassen?




◼️同カント『視霊者の夢(Träume eines Geistersehers)』1766年

以前に私は一般的人間理解を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のでない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視点[Gesichtspunkte anderer] から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差[starke Parallaxen] (パララックス)を生じはするが、それは光学的欺瞞 [optischen Betrug] を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある。

Sonst betrachte ich den allgemeinen menschlichen Verstand blos aus dem Standpunkte des meinigen: jetzt setze ich mich in die Stelle einer fremden und äußeren Vernunft und beobachte meine Urtheile sammt ihren geheimsten Anlässen aus dem Gesichtspunkte anderer. Die Vergleichung beider Beobachtungen giebt zwar starke Parallaxen, aber sie ist auch das einzige Mittel, den optischen Betrug zu verhüten und die Begriffe an die wahre Stellen zu setzen, darin sie in Ansehung der Erkenntnißvermögen der menschlichen Natur stehen. 

〔・・・〕

悟性の秤りは、それでもまったく公平ではない。すなわち「未来の希望」という銘をもつ方の腕木は、ある機構的利点をもっており、その側の皿にかかる軽い根拠でも、その反対側の、それ自身ではより重い思弁をはね上げてしまうのである。これが、私が取り除くことができない、また実際に取り除こうともしなかった唯一の不正である。

Die Verstandeswage ist doch nicht ganz unparteiisch, und der eine Arm derselben, der die Aufschrift führet: Hoffnung der Zukunft, hat einen mechanischen Vorteil, welcher macht, daß auch leichte Gründe, welche in die ihm angehörige Schale fallen, die Spekulationen von an sich größeren Gewichte auf der andern Seite in die Höhe ziehen. Dieses ist die einzige Unrichtigkeit, die ich nicht wohl heben kann, und die ich in der Tat auch niemals heben will. 


日本の場合は、ロシアと異なって、理性的には重い根拠に対抗すべき悟性による未来の希望だろうがね。理性において、内政的には少子高齢化による財政危機、外政的には米国属国の重い鎖の天秤の皿には対抗し難い。それにも関わらず悟性の軽い根拠に未来の希望を託すためにはどうあるべきか、というのはロシアの状況よりははるかに難題だが、まずは「脱米入BRICS」だよ。あるいはSCO(上海協力機構)しか未来への道はない。その意味で、似非インテリたちのおしゃべりの馴れ合いからまずは逃れなければならないのだが、どうもそんな人材がいそうにないという不幸があるのではないか。