まったく知らなかったが、DSM-5の改訂版「DSM-5-TR」(2022年3月)の日本語訳版『DSM‒5‒TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』(2023年6月)で、disorders の訳が「障害」から「症」に変更になったそうだね。私は現代ラカン派的観点から、DSM自体に批判的なのだが、この邦訳語の変更はとっても良いんじゃないかね。
特に長年、「パーソナリティ障害」はケッタイな命名だと感じていたが、「パーソナリティ症」とすれば、誰にでも持ちうる症状であることが一般にも認知されやすいだろうからね。ーー《症状なき主体はない[Il n’y a pas de sujet sans symptôme ]》(Lacan, S19, 19 Janvier 1972 )
次の命名群の「障害」がすべて「症」になったということだな
ちょっとテキトーなことを言わせてもらえば、ツイッターなどで観察する限りで、A群クラスタとC群クラスタの傾向があると見える人たちは、B群クラスタの人をひどく嫌うように見えるね、罵倒系が多いっていうのかな。特に自己愛性パーソナリティ障害、すなわち自己愛性パーソナリティ症への嘲罵だな。それはわからないでもないがーー甘え文化(後年の土居健郎にとって依存文化)の日本的環境ではことさらーー、でも非難する前に自分の症状を振り返ってみることが肝腎だよ。
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すべての症状形成は、不安を避けるためのものである [alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen](フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年) |
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不安は、特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
それに症状は本人にとって救いになってる場合もあるからな、《一般に症状とは無理にひっぺがすものではないように思う。》(中井久夫「症状というもの」1996年)
そもそもパーソナリティ症つまり「人格症」であり、本来的には、症状がなかったら人格がないということだよ。

