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2025年11月20日木曜日

「貨幣は信用がすべて」とは?

 

噂の片岡剛士発言の話題が一部で賑わっているようだな、



彼の発言のみで円安加速したのかどうかはいざ知らず、政府の信認が失われると通貨価値が毀損するのは間違いない。


例えば岩井克人が「お金は信用がすべて」(朝日新聞、2019.11.16)と言っているように。


この信用こそ前投稿で記したフェティッシュのことだ。つまり「貨幣はフェティッシュがすべて」ということだ。


柄谷はこう書いている。

マルクスは「資本論」の全構成を、ヘーゲルの「論理学」を忠実にならって組み立てたのである。〔・・・〕この書は、商品物神が貨幣物神、さらに資本物神に転化した過程、さらに株式資本において資本そのものが商品に転化するにいたった全過程を記述しようとしたのだ。


信用という場合、人々はそれを物神だとは思わない。金銀を崇め求めるなら、物神崇拝と見えるだろうが、銀行券や電子マネーとなれば、そうは見えない。しかし、マルクスによれば、信用主義は、「商品の内在的精霊としての貨幣価値に対する信仰」にほかならない。ゆえに「信用」は「物神」の否定ではなく、変形にすぎない。


株式会社とともに〔・・・〕株主と経営者が分離されたのである。〔・・・〕経営者は株主に仕える形をとっているが、実際には、会社の基本的意思決定の大部分は取締役会に委譲されており、〔・・・〕とはいえ、経営者が株主としての資本に支配されることは確かである。平たくいえば株価に左右される。つまり、経営者は何としても資本の増殖を効率的に果たさなければならないのだ。それはもはや個人の願望や意志だけによるものではない。その意味で、資本物神の支配が完成したのは、株式資本においてである。


産業資本が拡大するにつれ、国家の役割は別の形で大きくなった。第1に、産業資本に必要な賃労働者は、〔・・・〕絶えず更新される職種・技術に対応して働くことができなければならない。また、他の者とのコミュニケーションを必要とする。以上のようなことは国家による義務教育・兵役などの規律訓練を通して実現されるのである。(柄谷行人『力と交換様式』第3部  第1章、2022年)


ここでの物神はもちろんフェティシュだ。

…問題は、この「力」 (交換価値)がどこから来るのか、ということです。マルクスはそれを、商品に付着する霊的な力として見出した。つまり、物神(フェティシュ)として。このことは、たんに冒頭で述べられた認識にとどまるものではありません。彼は『資本論』で、この商品物神が貨幣物神、資本物神に発展し、社会構成体を全面的に再編成するにいたる歴史的過程をとらえようとしたのです。〔・・・〕『資本論』が明らかにしたのは、資本主義経済が物質的であるどころか、 物神的、つまり、観念的な力が支配する世界だということです。 〔・・・〕


マルクスはこう述べました。《商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に始まる》(『資本論』第一巻1-2、岩波文庫1,p158)。いいかえれば、交換は、見も知らぬ、あるいは不気味な他者との間でなされる。 それは、他人を強制する「力」、しかも、共同体や国家がもつものとは異なる「力」を必要とします。これもまた、観念的・宗教的なものです。実際、それは「信用」と呼ばれます。マルクスはこのような力を物神と呼びました。《貨幣物神の謎は、商品物神の、目に見えるようになった、眩惑的な謎にすぎない》(『資本論』)。このように、マルクスは商品物神が貨幣物神、さらに資本物神として社会全体を牛耳るようになることを示そうとした。くりかえしていえば、 『資本論』 が明らかにしたのは、資本主義経済が物質的であるどころか、物神的、つまり、 観念的な力が支配する世界だということです。〔・・・〕


一方、経済的ベースから解放された人類学、政治学、宗教学などは、別に解放されたわけでありません。彼らは、それぞれの領域で見出す観念的な「力」がどこから来るのかを問わないし、問う必要もない、さらに、問うすべも知らない、知的に無惨な、そしてそのことに気づかないほどに無惨な状態に置かれているのです。

(柄谷行人「交換様式論入門」2017年)


柄谷が上での引用の最後で言っているようにほとんど皆わかっていないがね、マルクス研究者の大半でさえもそうだから。



そもそも、本来的には貨幣は無である。

貨幣とは、まさに「無」の記号としてその「存在」をはじめたのである。(岩井克人『貨幣論』第三章 貨幣系譜論   25節「貨幣の系譜と記号論批判」1993年)

単一体系で考える限り、貨幣は体系に体系性を与える 「無」にすぎない。しかし、異なる価値体系があるとき、貨幣はその間での交換から剰余価値を得る資本に転化するのだ。(柄谷行人『トランスクリティーク』第二部・第3章「価値形態と剰余価値」2001年)


ここで柄谷が言っている剰余価値はもちろんフェティシュのこと。

精神分析的にも、最も基本的なフェティシュの定義は、無をヴェールするものだ。


我々は、見せかけを無をヴェールする機能と呼ぶ[Nous appelons semblant ce qui a fonction de voiler le rien](J-A. MILLER, Des semblants dans la relation entre les sexes, 1997)

フェティッシュとしての見せかけ [un semblant comme le fétiche](J.-A. Miller, la Logique de la cure du Petit Hans selon Lacan, Conférence 1993)


といってもこれ自体、一般の人はなんのことやらわからないだろうが。



一応、岩井克人の『貨幣論』の記述部分を抜き出しておくが。

25 貨幣の系譜と記号論批判


地のままの金から鋳造された金貨へ、軽くなった金貨から兌換を保証されている紙幣へ、兌換保証を失った紙幣からエレクトロニック・マネーへと変遷していく貨幣の系譜ーーそれは、まさに、「本物」の貨幣のたんなる「代わり」がその「本物」の貨幣になり代わってそれ自体で「本物」の貨幣となってしまうという「奇跡」のくりかえしにほかならない。もちろん、現実の歴史はこのような系譜をそのまま順を追ってなぞってはくれない。 飛び越しもあるだろうし、後戻りもある。だが、ここで重要なのは、どの時代においても、「本物」の貨幣とはそのときどきの「代わり」にたいするそのときどきの「本物」にすぎず、「本物」の貨幣の「代わり」とはそのときどきの「本物」にたいするそのときどきの「代わり」にすぎないということである。そして、このような「奇跡」のくりかえしをとおして、貨幣の貨幣としての価値とモノとしての価値のあいだの乖離が拡大していく傾向をもつ。それは、結局、貨幣が貨幣であるのは、それが充実した価値をもっているモノであるからではなく、たんにあの貨幣形態Zの無限の「循環論法」のなかで貨幣の位置をしめているからであるという事実を、歴史的に実証しつづけているのである。


今度は、逆に、貨幣の系譜を現在から過去へとさかのぼってみよう。 エレクトロニック・マネーから紙幣、紙幣から金貨、金貨から・・・・・・と順繰りにたどっていくと、地のままの金へとたどりつく。しかし、金塊や砂金がこの世の最初の貨幣であったわけではないだろう。燦然とかがやく金といえども、それ以前に流通していた「本物」の貨幣の「代わり」として流通のなかに登場してきたのにちがいない。たとえば、ポール・アインツィヒが著した原始貨幣にかんする書物 (Paul Einzig, Primitive Money, 2nd ed., New York: Pergamon press, 1966) をひもといてみれば、そこには、金のほかに、銀、銅、青銅、鉄、鉛、黒曜石、石の円版、ガラス玉、陶片、指輪、塩、矢、刀、斧、鉄砲、木材、樹皮、 小麦、大麦、トウモロコシ、米、ココナッツ、ココア、アーモンド、ヤム芋、砂糖、茶、ラム酒、ジン、タバコ、笛、太鼓、毛布、麻布、綿布、絹布、羽毛、毛皮、皮革、牛、羊、水牛、豚、トナカイ、 干し魚、バター、 子安貝、法螺貝、カタツムリ貝、鯨の歯、犬の歯、豚の歯、蜜蠟、そして人間の奴隷といったありとあらゆるものが、古今東西にわたって貨幣として流通していたことが書かれている。そのあきれるほどの多様さ、いや不統一さは、貨幣が貨幣であることはそれがどのようなモノであるかということとはなんの関係もないということを意味している。なんらかの意味での耐久性さえもっていれば、どのようなモノでも貨幣として使われてきたのである。だが、ここで強調すべきことは、たとえそれが鉱物であったとしても、植物であったとしても、動物であったとしても、人間であったとしても、さらにまたそのいずれにも分類できない得体の知れないモノであったとしても、貨幣がこの世にはじめて貨幣として登場したその瞬間に、それはモノとしての価値を上回る貨幣としての価値をもつことになったということである。そもそもその始原から、貨幣としての貨幣とはモノとしての存在以上の存在であり、モノとしての貨幣は貨幣としての存在以下の存在である。カッコがつかない本物の貨幣、いや本モノの貨幣という言葉は、自家撞着以外のなにものでもない。


貨幣の系譜をさかのぼっていくと、それは「本物」の貨幣の「代わり」がそれ自体で「本物」の貨幣になってしまうという「奇跡」によってくりかえしくりかえし寸断されているのがわかる。そして、その端緒にようやくたどりついてみても、そこで見いだすことができるのは、たんなるモノでしかないモノが「本物」の貨幣へと跳躍しているさらに大な断絶である。無から有が生まれていたのである。いや、貨幣で「ない」ものの「代り」が貨幣で「ある」ものになったのだ、といいかえてもよい。 貨幣とは、まさに「無」の記号としてその「存在」をはじめたのである。……(岩井克人『貨幣論』第三章 貨幣系譜論   25節「貨幣の系譜と記号論批判」1993年)


そして『貨幣論』の最終章の最後の節には剰余価値をめぐって次のようにある。

……わが人類は労働市場で人間の労働力が商品として売り買いされるよりもはるか以前に、剰余価値の創出という原罪をおかしていたのである。それは、貨幣の「ない」世界から貨幣の「ある」 世界へと歴史が跳躍しための「奇跡」のときのことである。その瞬間に、この世の最初の貨幣として商品交換を媒介しはじめたモノは、たんなるモノとしての価値を上回る価値をもつことになったのである。貨幣の「ない」世界と「ある」 世界との「あいだ」から、人間の労働を介在させることなく、まさに剰余価値が生まれていたのである。 そして、その後、本物の貨幣のたんなる代わりがそれ自体で本物の貨幣になってしまうというあの小さな「奇跡」がくりかえされ、モノとしての価値を上回る貨幣の貨幣としての価値はそのたびごとに大きさを拡大していくことになる。


金属のかけらや紙の切れはしや電磁気的なパルスといったものの数にもはいらないモノが、貨幣として流通することによって日々維持しつづける貨幣としての価値モノとしての価値をはるかに上回るこの価値こそ、歴史の始原における大きな「奇跡」とその後にくりかえされた小さな「奇跡」において生みだされた剰余価値の、今ここにおける痕跡にほかならない。それは、「天賦の人権のほんとうの楽園」であるべき「流通または商品交換の場」が、すでにその誕生において剰余価値という原罪を知っていたという事実を、今ここに生きているわれわれに日々教えつづけてくれているのである。


「貨幣論」の終わりとは、あらたな「資本論」の始まりである。(岩井克人『貨幣論』第5章「危機論」1993年)


この剰余価値こそラカンの無をヴェールする剰余享楽としての対象aでありフェティッシュである。

私が対象a[剰余享楽]と呼ぶもの、それはフェティシュとマルクスが奇しくも精神分析に先取りして同じ言葉で呼んでいたものである[celui que j'appelle l'objet petit a [...] ce que Marx appelait en une homonymie singulièrement anticipée de la psychanalyse, le fétiche ](Lacan, AE207, 1966年)

剰余価値、それはマルクス的快、マルクスの剰余享楽である[ La Mehrwert, c'est la Marxlust, le plus-de-jouir de Marx. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)


つまり始まりとしての貨幣の無をヴェールするフェティシュがマルクスの剰余価値にほかならないのだが、たぶんこれ自体、一般人にはイミフだろうがね。私も長いあいだかかって、ようやく数年前に把握できた話なのでエラそうなことを言うつもりは毛頭ない。


つまり先の柄谷の挑発的発言、《経済的ベースから解放された人類学、政治学、宗教学などは、別に解放されたわけでありません。彼らは、それぞれの領域で見出す観念的な「力」がどこから来るのかを問わないし、問う必要もない、さらに、問うすべも知らない、知的に無惨な、そしてそのことに気づかないほどに無惨な状態に置かれているのです》ーー。これに挑発されてなんとか知的無惨さから逃れようとして、でも4、5年はかかったよ。


ある意味で、女に惚れたのが機縁だったね、


女は、見せかけに関して、とても偉大な自由をもっている![la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! ](Lacan、S18, 20 Janvier 1971)


ーー《フェティッシュとしての見せかけ [un semblant comme le fétiche]》(J.-A. Miller, la Logique de la cure du Petit Hans selon Lacan, Conférence 1993)


女というものは、たとえどんな醜女に生れついても、まったく自惚れを持たないことはない。あるいは自分の年頃から、あるいは自分の笑い方から、あるいは自分の挙動から、何かの自惚れをもたずにはいないのである。まったく、何もかも美しい女がいないように、何もかも醜い女もいない。il n'y a guère de femme, si disgraciée soit-elle, qui ne pense être digne d'être aimée, qui ne se fasse remarquer par son âge, ou par sa chevelure , ou par sa démarche, car des femmes absolument laides, il n'y en a pas plus que d'absolument belles. (モンテーニュ『エセー』第3部第3章16節)


普通人はエロじゃないとマルクスのフェティッシュはわからないかもよ、

いまいまマルキストであるためには、人はラカンを通さねばならない![To be a Marxist today, one has to go through Lacan!](ジジェク書評ーーサモ・トムシッチ『資本家の無意識:マルクスとラカン』The Capitalist Unconscious  Marx and Lacan by Samo Tomšič, 2015)


見出された無



この全き空無[ganz Leeren]は至聖所[Heilige]とさえ呼びうる。我々は、その空無の穴埋めせねばならない、意識自体によって生み出される、夢想・仮象によって。何としても必死になって取り扱わねばならない何かがあると考えるのだ。というのは、何ものも空無よりはましであり、夢想でさえ空無よりはましだから。

damit also in diesem so ganz Leeren, welches auch das Heilige genannt wird, doch etwas sei, es mit Träumereien, Erscheinungen, die das Bewußtsein sich selbst erzeugt, zu erfüllen; es müßte sich gefallen lassen, daß so schlecht mit ihm umgegangen wird, denn es wäre keines bessern würdig, indem Träumereien selbst noch besser sind als seine Leerheit. 

(ヘーゲル『精神現象学』1807年)


ここでの至聖所の起源はサンスクリツト語の至聖所=ガルバグリハ garbha-grha (「子宮」)であることはよく知られている!?・・・


我々は、無と本質的な関係性をもつ主体を女たちと呼ぶ。私はこの表現を慎重に使用したい。というのは、ラカンの定義によれば、どの主体も、無に関わるのだから。しかしながら、ある一定の仕方で、女たちである主体が「無」と関係をもつあり方は、(男に比べ)より本質的でより接近している。

nous appelons femmes ces sujets qui ont une relation essentielle avec le rien. J'utilise cette expression avec prudence, car tout sujet, tel que le définit Lacan, a une relation avec le rien, mais, d'une certaine façon, ces sujets que sont les femmes ont une relation avec le rien plus essentielle, plus proche. (J-A. MILLER, Des semblants dans la relation entre les sexes, 1997)