半ば失念していたが、比較的早い時期に書かれた中井久夫の「精神健康をあやうくすることに対する15の耐性」というのは実に面白い(いくつかの項目は先日掲げたサリヴァンがベースのように見えるが)。
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◼️中井久夫「精神健康の基準について」(初出『精神医学』1981年第23巻第6号)より(『つながりの精神病理』所収) |
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健常者ということばがよく使われているが、実際にはそういう者を定義することはできない。(精神健康の定義は)精神健康をあやうくするようなことに対する耐性として定義するのがよいのではないだろうか。 |
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以下、表の形にして示す。 【精神健康をあやうくすることに対する15の耐性】 |
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① |
分裂する能力、そして分裂にある程度耐えうる能力 |
「人格は対人関係の数だけある」という考え方。 「あらゆる人間関係に対し統一された人格がある」者の精神健康のほうが危ういのではないか、という指摘。 |
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② |
両義性(多義性)に耐える能力 |
父であり、夫であり、社員であり、挫折者であり、保護者であり、掟であり、壁であり ―― |
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③ |
二重拘束への耐性 |
「恋人を愛している」「恋人からの電話をはやく切って眠りたい」 |
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④ |
可逆的に退行できる能力 |
赤ん坊をあやす母親、動物に子供っぽく声をかける成人男性(統一、成熟、人格的・常識的な「私」が)出ずっぱりでは人は持たない。かつ、退行した精神状態からすぐに戻れること ―― |
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⑤ |
問題を局地化できる能力 |
「私はどうしてこの職業を選んだか」「この伴侶と家庭を作ることになったか」―― 一般的に必要充分の理由なんかない。問題を一般化すれば、形は堂々としたものにはなるが解決は遠のく。特に自分に関する問題では ―― |
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⑥ |
即座に解決を求めないでおれる能力、未解決のまま保持できる能力 |
葛藤があることはすぐに精神健康の悪さに繋がらないどころか、ある程度の葛藤や矛盾、いや失意さえも人を生かすことがある ――「迂回能力」、「待機能力」とも深い関連がある。 |
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⑦ |
いやなことができる能力、不快にある程度耐える能力 |
「後回しにする能力」、「できたらやめておきたいと思う能力」、「ある程度で切り上げる能力」も関連能力として大事 ―― |
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⑧ |
一人でいられる能力 |
「二人でいられる能力」も付け加えたい。 |
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⑨ |
秘密を話さないで持ちこたえる能力 |
「嘘をつく能力」も関連している。(嘘をつかないではいられないとしたら、それは“びょーき”だが) |
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⑩ |
いい加減で手を打つ能力 |
これは複合能力で「意地にならない能力」とか「いろいろな角度からものを見る能力」、特に相手から見るとものがどう見えるかという仮説を立てる能力 ――「相手の身になる能力」 ―― が関連している。「若干の欲求不満に耐える能力」も関わりがある。 |
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⑪ |
しなければならないという気持ちに対抗できる能力 |
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⑫ |
現実対処の方法を複数持ち合せていること |
いわゆる防衛機制が病的なのではない。少数の防衛機制を何にでも使うと病気になりやすいーーあるいはそのこと自体が病気である。 |
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⑬ |
徴候性へのある程度の感受性を持つ能力 |
身体感覚、特に「疲労感、余裕感、あせり感、季節感、その他の一般感覚の感受性」を持つことと同じ。それらは徴候として現れるからである。すべての能力は人間においては対人関係化するので、対人関係を読む能力は徴候性を感受する能力と関係している。「いま、相手が親密性を求めているかいないかが分かる」こと ―― |
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⑭ |
予感や余韻を感受する能力 |
この世界を味わいのあるものにする上で重要な能力。 たとえば芸術作品の受容・体感がこの能力を育み、野生の馬である「徴候性」と折り合いをつけられるようになっていく。 |
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⑮ |
現実処理能力を使い切らない能力 |
あるいは「使い切らすように人にしむけない能力」。 多くの統合失調症者の発病、再発は、彼らが現実能力を使い果たした時点で起こりがち。 |
特に⑨の「秘密を話さないで持ちこたえる能力」の説明に《「嘘をつく能力」も関連している》なんてあるのは実にいい。
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直接的に結びつかないところもあるが、私が好むプルーストのうその記述があるがね、 |
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うそは人間において本質的なものである。うそは人間においておそらく快楽の追及とおなじほど大きな役割を演じているだろう、しかも、うそは快楽の追及に従属するのである。人は自分の快楽をまもるためにうそをつく。人は生涯にわたってうそをつく、人は自分を愛してくれる人たちにさえうそをつく、そういう人たちであればこそとりわけうそをつく、おそらくそういう人たちにだけうそをつくだろう。われわれにとっては、正直いって、そういう人たちだけが、自分の快楽をまもるためにおそろしいのであり、しかもそういう人たちだけから、尊敬を受けることが望ましいのである。 |
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Le mensonge est essentiel à l'humanité. Il y joue peut-être un aussi grand rôle que la recherche du plaisir, et d'ailleurs, est commandé par cette recherche. On ment pour protéger son plaisir ou son honneur si la divulgation du plaisir est contraire à l'honneur. On ment toute sa vie, même surtout, peut-être seulement, à ceux qui nous aiment. Ceux-là seuls, en effet, nous font craindre pour notre plaisir et désirer leur estime. (プルースト「逃げさる女」) |
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ラカニアンにおいては言語自体が嘘なんだがね、 |
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象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978) |
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言語は存在しない[le langage, ça n'existe pas. ](Lacan, S25, 15 Novembre 1977) |
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つまり言語は嘘である、《象徴界は厳密に嘘である[le symbolique, précisément c'est le mensonge.]》(J.-A. MILLER, Le Reel Dans L'expérience Psychanalytique. 2/12/98) |
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これは言語は身体に対する嘘ということ。 |
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嘘をつかないものは享楽である[la vérité est intrinsèquement de la même essence que le mensonge. Le proton pseudos est aussi le faux ultime. Ce qui ne ment pas, c'est la jouissance](J.-A. MILLER, L'inconscient et le corps parlant, 2014) |
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ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance。(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011) |
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ーー享楽はもちろんフロイトの欲動であり、言語は身体に対する嘘とは、フロイトの「文明は偽善」「欲動の身体はリアル」を過激に言い換えたもの。 |
ま、ここまで極端に言わなくても「嘘をつく能力」は大事だよ、聖人君子になるつもりがなかったら。
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いや無理して聖人として振る舞っている人こそ危ないのかもしれない。 |
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日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及しているおそれがある。(中井久夫「「踏み越え」について」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収) |
④の「可逆的に退行できる能力」に《出ずっぱりでは人は持たない。かつ、退行した精神状態からすぐに戻れること 》とあるのもいいな。
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何人〔じん〕であろうと、「デーモン」が熾烈に働いている時には、それに「創造的」という形容詞を冠しようとも「退行」すなわち「幼児化」が起こることは避けがたい。〔・・・〕 思い返せば、著述とは、宇宙船の外に出て作業する宇宙飛行士のように日常から離脱し、頭蓋内の虚無と暗黒とに直面し、その中をさしあたりあてどなく探ることである。その間は、ある意味では自分は非常に生きてもいるが、ある意味ではそもそも生きていない。日常の生と重なりあってはいるが、まったく別個の空間において、私がかつて「メタ私」「メタ世界」と呼んだもの、すなわち「可能態」としての「私」であり「世界」であり、より正確には「私 -世界」であるが、その総体を同時的に現前させれば「私」が圧倒され破壊されるようなもの、たとえば私の記憶の総体、思考の総体の、ごく一部であるが確かにその一部であるものを、ある程度秩序立てて呼び出さねばならなかった。(中井久夫「執筆過程の生理学」初出1994年『家族の深淵』所収) |
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例えば大江健三郎は小説と評論では別人格だ。小説の、少なくとも核心部分は全き退行の世界だよ▶︎「大江引用集」
中井久夫曰く「退行した精神状態からすぐに戻れること」とあるのは、やっぱり退行しぱなっしじゃヤバイからな。
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精神分析学では、成人言語が通用する世界はエディプス期以後の世界とされる。 この境界が精神分析学において重要視されるのはそれ以前の世界に退行した患者が難問だからである。今、エディプス期以後の精神分析学には誤謬はあっても秘密はない。(中井久夫「詩を訳すまで」初出1996年『アリアドネからの糸』所収) |
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退行はフロイト用語では固着への退行だ。
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固着と退行は互いに独立していないと考えるのが妥当である。発達の過程での固着が強ければ強いほど、固着への退行がある[Es liegt uns nahe anzunehmen, daß Fixierung und Regression nicht unabhängig voneinander sind. Je stärker die Fixierungen auf dem Entwicklungsweg, …Regression bis zu jenen Fixierungen ](フロイト『精神分析入門」第22講、1917年) |
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前エディプス期の固着への退行はとても頻繁に起こる[Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; ](フロイト『続精神分析入門』第33講、1933年) |
ここから戻ってこないとな、
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戻って来れなかったら、極端な場合、死んじまうから。 |
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一時的な幼児期への退行(極端な場合、母胎への退行、つまり現在おびやかされている危険からまもられていた時代への退行)[eine zeitliche Regression in die Kinderjahre (im extremen Fall bis in den Mutterleib, in Zeiten, in denen man gegen die heute drohenden Gefahren geschützt war)](フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年) |
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人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…) eine solche Rückkehr in den Mutterleib.] (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
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母胎回帰としての死[Tod als Rückkehr in den Mutterleib ](フロイト『新精神分析入門』第29講, 1933年) |
ーーと私が特に好む項にコメントしたが、先の15項目はそれぞれ味わい深く、是非みなさんも精神健康のためにご参考ください。特に「出ずっぱり」のーーあるいは頑張り過ぎているーー方々に。