現在の私は、すでに消え去った、これはさまざまな私の個性の結果です。私はナイル河の船夫だった。カルタゴ戦役のころのローマでは女衒、シュビュルではギリシャの遊説家でした。そこで私は南京虫に食われました。私は十字軍の遠征でシリヤの海岸であまり葡萄を食いすぎたために死んだのです。私は海賊であり、僧侶であり、香具師、馭者もやりました。たぶん東洋の皇帝にもなったことがありましょう。
フローベールの『ジョルジョ・サンドへの書簡』(中村光夫訳)からだが、まるでニーチェが狂気に陥った日に書いたコジマ・ワーグナーへの書簡の言葉のようである。
「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」(ニーチェ Turin, January 3, 1889: Letter to Cosima Wagner)
とはいえ、この当時フローベールは狂気に陥りかけたわけではないだろう(もっとも彼の死因は、癲癇による発作によるものではあったが)。
芸術家はその作品の中で、神が自然における以上に現れてはならぬと思っています。人間とは何物でもない、作品がすべてなのです。この訓練は、ことによると間違った見地から出発しているのかもしれませんが、それを守るのは容易ではないのです。しかし少なくとも私にとって、これはみずから好んでなした絶え間のない犠牲でした。私だって自分の思ったことを言い、文章によってギュスタフ・フロオベル氏を救ったらずいぶんいい気持ちでしょう。だがこの先生にいったい何の価値があるのでしょう。(フローベール『ジョルジョ・サンドへの書簡』 中村光夫訳)
この先生にーーすなわちこの「私」にーーいったい何の価値があるのでしょう、などという文章を読んでしまえば、フローベールのよき読み手は、一人称単数代名詞の使用に敏感にならざるをえないはずだ。もちろんそれはフローベールの影響からだけくるものではないだろうが。
ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。(『彼自身によるロラン・バルト』)
ロラン・バルトは、あるアメリカ人の学生が《主観性》と《ナルシシズム》とを同一視して、主観性とは自分自身について語ること、しかも自身を良く言うこと、つまり《主観性/客観性》という古めかしいパラディグマの犠牲者になっていると指摘しつつ次のように書く。
ところが今日では、主観ないし主体は《ほかのところに》成立するのであり、また「主観性ないし主体性」が再帰する場所も螺旋の上の別の位置でありうる。その主観性ないし主体性は分解し、分離し、方向をそれて、錨を失っている。
「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか。
人称代名詞と呼ばれている代名詞、すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私」は想像界を発動し、「君」と「彼」は偏執病を発動する。しかしそれと同時に、読み取り手によっては、ひそかに、モアレの反射のように、すべてが逆転させられる可能性もある。「私ですか、私は」と言うとき、「私」は「私ですか」ではない、ということがありうる。つまり「私」は「自我」を、いわばカーニヴァルの喧騒のうちにこわしてしまうのだ。
私は、サドがやっていたように、私に向かって「君」と言うことができる。それは、私自身の内部で、エクリチュールの労働者、製作者、産出者を、作品の主体(“著者”)から切り離すためだ。(……)そして、「彼」と呼んで自身について語ることは、私は私の自我について《あたかもいくぶんか死んでいるもののように》、偏執病的強調という薄い霧の中に捉われているものであるかのように語っている、という意味にもなりうるし、それはさらにまた、私は自分の登場人物に対して距離設定(異化)をしなければならないプレヒトの役者の流儀によって私の自我について語っている、という意味にもなる。
《「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか》とある。人はこうやって書き、かつまた他人の文章をこのような光の下で読むべきではないか。
わたくしは、もともと一人称単数を主語とした文章を書くのが苦手で、『ゴダール マネ フーコ― 思考と感性とをめぐる断片的な考察』で一箇所だけ「わたくし」と書いたほかは、一人称単数を主語とした文章だけは書くまいとして、日本語の慣行と真正面から向かいあうのを避けてきました。古井由吉さんの小説を読むと、一人称単数を主語とした文章を避けようとする姿勢がけしからんと思うほど見事で、思わずため息がでてしまう。(蓮實重彦+川上未映子対談)
では<私>を連発する、たとえば柄谷行人をどう扱うべきか。
《私は小説作品として(「探究」シリーズを)読んでいる。彼(柄谷行人)は『探究Ⅱ』を、デカルトとスピノザと3人で書いている。しかも、ワープロを使って。》(蓮實重彦)
《私は小説作品として(「探究」シリーズを)読んでいる。彼(柄谷行人)は『探究Ⅱ』を、デカルトとスピノザと3人で書いている。しかも、ワープロを使って。》(蓮實重彦)
プルーストの作品は、「私 je」(語り手)を舞台にーーあるいはエクリチュールにーー登場させる。しかしこの「私」は、そう言ってよければ、すでにもはやまったく「自己 moi」(伝統的自伝の主体=主題かつ対象)ではないのです。「私」は、思い出し、打ち明け、告白する者ではありません。それは発話する者〔エノンセ〕なのです。この「私」が舞台に乗せるのは、エクリチュールの「自己」であって、この「自己」と戸籍上の「自己」との絆は不確かで、ずらされているのです。(ロラン・バルト「長いあいだ、私は早くから床についた」林好雄訳 ――『詩の起源 ――ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』をめぐってーー』より)
ニーチェの最晩年の『この人を見よ』の「私」の連発も、もちろん次ぎの文章を念頭に置きつつ読むべきだろう(あれは、至高のユーモアによる書き物だ)。
ある芸術家をその作品から切り離し、芸術家自身をその作品と同程度の真面目さをもって扱わないということは、確かに最もよい態度である。作者は結局その作品の予備条件であるにすぎない。母胎であり、土壌であり、場合によっては、その上に、またその中から作品が成長する糞土や肥料であるにすぎない。―――従って大概の場合には、作品そのものを楽しもうとすれば、作者のことは忘れてしまわなくてはならない。ある作品の系譜を洞察することは、精神の生理学者や解剖学者たちの仕事である。審美家や芸術家たちには金輪際、係わりのないことだ! (ニーチェ『道徳の系譜』第三論文「禁欲主義的理想は何を意味するか」木場深定訳)
たとえば女に生涯苦しめられた(はずの)ニーチェの次の文章を見よ!
わたしは、「永遠の女性」の本質に通じた最初の心理学者なのかもしれない。女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。男女同権のために戦うなどとは、病気の徴候でさえある。医者なら誰でもそれを知っている。 ――女は、ほんとうに女であればあるほど、権利などもちたくないと、あらがうものだ。両性間の自然の状態、すなわち、あの永遠の戦いは、女の方に断然優位を与えているのだから。 ――わたしがかつて愛にたいして下した定義を誰か聞いていた者があったろうか? それは、哲学者の名に恥じない唯一の定義である。すなわち、愛とはーー戦いを手段として行なわれるもの、そしてその根底において両性の命がけの憎悪なのだ。 ――いかにして女を治療すべきかーー「救済」すべきか、この問いに対するわたしの答えを読者は知っているだろうか? 子供を生ませることだ。「女は子供を必要とする、男はつねにその手段にすぎぬ。」こうツァラトゥストラは語った。 ――「女性解放」―― それは、一人前になれなかった女、すなわち出産の能力を失った女が、できのよい女にたいしていだく本能的憎悪だーー「男性」に戦いをいどむ、と言っているのは、つねに手段、口実、戦術にすぎぬ。彼女らは、自分たちを「女そのもの」、「高級な女」、女の中の「理想主義者」に引き上げることによって、女の一般的な位階を引き下げようとしている存在だ。それをなしうる最も確実な手段は、高等教育、男まがいのズボン、やじ馬的参政権である。つまるところ、解放された女性とは、「永遠の女性」の世界における無政府主義者、復讐の本能を心の奥底にひめている出来そこないにほかならない。 (ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)
ユーモアとしたが、ユーモアによって「真理」が語られる場合もある。この文を、ニーチェの時代錯誤、アンチフェミニストぶりの典型として読むだけでよいわけはない。
ユーモアは、「同時に自己であり他者でありうる力の存することを示す」(ボードレール)ものである。
われわれは時々、自分自身から逃れて息ぬきをしなければおさまらない、――自分というものを見下ろし、芸術的な距離をおいて遠くから、自分の姿について笑ったり泣いたりすることによって、われわれは、認識の情熱のうちに姿をひそめている主役と同時に道化をあばかねばならない。自分の知恵に対するたのしみを持ちつづけられるように、自分の愚かさを時々槍玉にあげて楽しめねばならぬのだ!
そして、われわれは、究極のところ、重苦しい、生真面目な人間であり、人間というよりか、むしろ重さそのものなのだから、まさにそのためにこそ、道化の鈴つき帽子はど、われわれに役立つものはない。(ニーチェ、悦ばしき知107 番 秋山英夫訳)
女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。女にとって真理ほど疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。――女の最大の技巧は虚をつくことであり、女の最大の関心事は見せかけと美しさである。われわれ男たちは告白しよう。われわれが女がもつほかならぬこの技術とこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれは重苦しいから、女という生物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆んど馬鹿馬鹿しいものに見えて来るのだ。(『善悪の彼岸』)
…………
さて、『道徳の系譜』に、《大概の場合には、作品そのものを楽しもうとすれば、作者のことは忘れてしまわなくてはならない》とあったが――「大概の場合には」と、いささかの保留があるし、またニーチェ自身《精神の生理学者や解剖学者たち》であることもはなはだ多いのだから、この文章を額面通りに受け取らなくてもよいのだろうが、そうはいっても、次ぎのヴァレリーの言葉を引用して念押ししておこう。
……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。
そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)
とはいえ、ヴァレリーは次ぎのようにも言っているらしい(出典は不明)。
@Valery_BOT: 僕に興味のあるのは――もちろん、興味のある時に限ることだが――作品ではない――作者でもない――作品になっているものだ。
とすれば、ニーチェの《作品そのものを楽しもうとすれば、作者のことは忘れてしまわなくてはならない》を額面通りは受けとってはならぬという態度も生れてくるだろう。ヴァレリーの《作品ではない――作者でもない――作品になっているもの》とは、これもツイッターで拾って出典不明なのだが、柄谷行人が次ぎのように書いているのとそのまま重なる。
作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。——柄谷行人
そもそも、われわれはすでにテクスト生成の研究によって、草稿から本稿への書き換えによる作者の隠された意図を探って楽しむことを知ってしまっている。
たとえば、プルースト草稿研究家のフィリップ・ルジェンヌは、かの有名なプルーストのマドレーヌは、女性器を連想させ、それに苛立たしさを覚えてしまうとしている。
ルジェンヌは、《スポーンのなかでとけて崩れるこの菓子の、色あせた昔の匂いとそのスポンジ状の質感に、なにかそれがいかがわしい、ひょっとすると淫らなことでさえあるかのような居心地の悪さを覚えていた》。
わたしの苛立ちもおそらくは、この居心地の悪さをおし隠そうとしてのことしかなかったのだ。
ところがある日、オヤッと思うことがあった。この挿話のすでに公表されている第一稿(『反サント・ブーヴ論』の序文)では、プチット・マドレーヌのところが、一切れのトースト・パンと単なるラスクになっていることに気づいたのだ。何故だろう、この変化は? わたしは、両テクストを見くらべてみた。そのときからである、一連の探求がわたしのなかで開始されたのは。それはおどろきにつぐおどろきの連続だった。……(フィリップ・ルジェンヌ「エクリユールと性」)
二つだけプルースト自身の叙述を挙げてみよう。
・溝の入った帆立貝の貝殻のなかに鋳込まれたかにみえる、<プチット・マドレーヌ>と呼ばれるずんぐりして丸くふくらんだおのお菓子の一つ。
・厳格で敬虔な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、お菓子でつくった小さな貝の身
―――鋳込まれた〔moulé〕:mouleは、女陰の意味がある。
というわけで、「私」に価値がないわけではない。作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きとしての「私」にはひどく価値がある。
……精神科医は、眼前でたえず生成するテクストのようなものの中に身をおいているといってもよいであろう。
そのテクストは必ずしも言葉ではない、言葉であっても内容以上に音調である。それはフラットであるか、抑揚に富んでいるか? はずみがあるか? 繰り返しは? いつも戻ってくるところは? そして言いよどみや、にわかに雄弁になるところは?
私たちは星座をみるのではない。星座はコンヴェンションだ。むしろ、新しい星のつながりのための補助線を引く。いやむしろ、暗黒星雲を探し求める。語られないことば、空白域の推論である。資料がなければ禁欲する歴史家と、そこが違う。
また、時に、私たちは患者の書いた日記などを読む。患者がみて育った風景をみにゆく。さらに、時には、患者の死への道行きの跡を辿る。患者の読んだ本を、あるいは郷土史を読む。それがすぐに何になるわけでもないが、そんなことをする。
テクスト生成の研究者は、もちろん草稿なしには語らない。その点では私たちよりも歴史家に似ているだろう。しかし、厖大な草稿の中で次第にテクストが選ばれてゆく過程を読むと、私には近しさが感じられる。それはものを書く時に、語る時に、私たちの中に起っていることだ。患者の中にもおそらく起っていよう。ただ、重症の患者の中では、揺らぎや置き換えが起らない。しかし、治癒に近づくと彼ら彼女らの文章はしばしばそんじょそこらの“健常者”をしのぐ。病いにはことばをきたえ直す力さえあるのだろうか? (中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007初出『日時計の影』所収)
いや蓮實重彦は、《作者にそれなりの思想があり、「作品」にそれなりの意味がそなわっているのは当然のはなしだ》としている。だが、ひとびとの一般的な読み方、物語やイメージに従属した読み方、あるいは《「作品」は、その意味や作家の思想に従属》したものとする読み方は、《一人に作家がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう》と。むしろイメージや先入主、あるいは概念などに囚われた読み方をしてしまう読者・鑑賞者を諌めているのだ。
ほとんどの場合、《われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念》(プルースト)なのであり、あるいは《われわれはじかの現実として知覚するものは、じつは「判断」なのである》(ジジェク)。
蓮實重彦の「行間に何も書かれてしません」は、次ぎのように読むべきなのだ、つまり行間に何かが書かれているのは当たり前だ、だがそれに囚われると、《そのとき読者が無意識に身を譲りわたすものが、「生」と現在とをことが終れば廃棄しうる二義的な媒介に還元してしまう嘆かわしい頽廃にほかならぬという事実だけは、そうたやすく忘れられてはなるまい》。ーーこのように読まねばならない。すなわち、まずは《思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌》や、《「生」=現在》に耳をすまし、驚き、かつ絶句するのが、われわれの「作品」、あるいは「作品になっている」ものに接するあり方であろう。
肝腎なのは、生なましく触知しえない現在に苛立つ者たちが、思考すべき切実な課題とやらを文学に導入し、何とか欠如を埋めようと善意の努力を傾けようとする点だ。思考とは、この欠如を充塡すべく演じられる身振りにほかならない、そしてその身振りは、いくつもの解決すべき問題を捏造する。(『凡庸な芸術家の肖像』p243)
要するに、このような捏造者たちへの苛立ちからの「行間になにも書かれていません」という挑発なのである。
さらに悪いことには、巷間には次のような輩ばかりが棲息している(そして、わたくしj自身も、少なくとも分野によっては、その巷間に棲息する一員として戯言を垂れ流す厚顔無恥な人種であることを否定するつもりはまったくない、それはインターネット上で誰もが気軽に書き込めるようになった時代の典型的な「時代の症状」であるだろう)。
「わかりたいあなた」たちにとっては、わかったかわからないかを真剣に問うことよりも、なるべくスピーディーかつコンビニエント に、わかったつもりになれて(わかったことに出来て)、それについて「語(れ)ること」の方がずっと重要なのです。(佐々木敦『ニッポンの思想』)
「わかったつもりになれて」とは「何かを理解したような気分」になることである。
何かを理解することと「何かを理解したかのような気分」になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっております。にもかかわらず、人びとは、 多くの場合、「何かを理解したかのような気分」になることが、何かを理解することのほとんど同義語であるかのように振舞いがちであります。たしかに、そう することで、ある種の安堵感が人びとのうちに広くゆきわたりはするでしょう。実際、同時代的な感性に多少とも恵まれていさえすれば、誰もが「何かを理解し たかのような気分」を共有することぐらいはできるのです。しかも、そのはば広い共有によって、わたくしたちは、ふと、社会が安定したかのような錯覚に陥り がちなのです。
だが、この安堵感の蔓延ぶりは、知性にとって由々しき事態たといわねばなりません。「何かを理解したかのような気分」にな るためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされてはいないからです。とりわけ、その対象がまとっているはずの歴史的な 意味を自分のものにしようとする意志を、その安堵感はあっさり遠ざけてしまいます。そのとき誰もが共有することになる「何も問題はない」という印象が、む なしい錯覚でしかないことはいうまでもありません。事実、葛藤が一時的に視界から一掃されたかにみえる時空など、社会にとってはいかにも不自然な虚構にす ぎないからです。しかも、その虚構の内部にあっては、「何も問題はない」という印象と「これはいかにも問題だ」という印象とが、同じひとつの「気分」のう ちにわかちがたく結びついてしまうのです。(蓮實重彦の『齟齬の誘惑』序文)
だが、知っているとはどういうことなのか。ほとんどの場合、知っているとは、みずから説話論的な磁場に身を置き、そこで一つの物語を語ってみせる能力の同義語だと思われている。フローベールとは、十九世紀フランスの小説家で、『感情教育』などの客観的な長篇小説を書いた、というのがそうした物語である。青年時代に神経症の発作に見舞われていらい、世間との交渉を絶ち、ノルマンディーの田舎に閉じこもって、文章の彫琢に没頭した、というのも物語である。また、その他いろいろあるだろう。そんな物語の一つをつぶやくことができるとき、人は、そこで主題になっているものを知っていると思う。知は、物語によって顕在化し、また物語は知によって保証されもするわけだ。なにひとつ物語を語りええないものを前にして、人はそれを知らないという。だから、フローベールが未刊のままの草稿として残した倒錯的な辞典の題名をかかげてみても、知と物語との相互保証を導きだすことにしかならないだろう。ところで、フローベルが十九世紀の半ばに構想を得た辞典は、まさに、こうした知と物語との補完的な関係を断ち切ることにあったのだ。
実際、誰もがフローベールを知っている。そして、知っているという事実をたがいに確認しあうために、人は、フローベールをめぐって誰もが知っている物語を語りあう。その物語の中で、最も多くの人に知られているものこそ、フローベールが執筆を企てた辞典の項目たる資格を持つものである。誰にでも妥当性を持つことで、誰もがそれを口にするのが自然だと思われる物語。それが、知の広汎な共有を保証し、その保証が同じ物語を反復させる。かくして知は、説話論的な装置の内部に閉じこもる。まるで物語の外には知など存在しないかのように、装置は、知を潤滑油として無限に機能しつづける。するとどういうことになるか。
結果は目にみえている。人は、知っていることについてしか語らなくなるだろう。たまたま未知のものが主題となっているかにみえる物語においてさえ、人は、それを物語ることで、既知であるかの錯覚と戯れる。あるは逆に、既知であるはずのものを、あたかも未知であるかのようなものにする。だから、物語は永遠に不滅なのだ。
ところで、この物語の無限反復の中に辞典の題名を導入するとどうなるか。それはギュスターヴ・フローベールの未完の草稿だと口にするだけで、この辞典が説話論的な磁場の中へ姿を消してしまうのは明らかだろう。あとはすべてが円滑に進行する。その倒錯的な辞典の倒錯性そのものに出会うことなく、誰もが物語を納得してしまうのだ。だが、フローベールとしては、みずからを無謀な編纂者に仕立てあげることで、この寛大な納得を、物語の模倣を介して宙に吊ることを目ざしていたわけだ。というよりむしろ、説話論的な磁場の保護から出て、誰もがごく自然に口にする物語を、その説話論的な構造にそって崩壊させるというのが、彼の倒錯的な戦略であったはずだ。物語に反対の物語を対置させることではなく、物語そのものにもっとも近づいて、自分自身を物語になぞらえさえしながら、物語的な欲望を意気阻喪させること。つまり、失望の生産とは、知と物語との補完的な関係をくつがえし、知るとは、そのつど物語を失うことにほかならなぬのだと、実践によって体得すること。事実、具体的に何ものかと遭遇するとき、人は、説話論的な磁場を思わず見失うほかはないだろう。つまり、なにも語れなくなってしまうという状態に置かれたとき、はじめて人は何ごとかを知ることになるのだ。実際、知るとは、説話論的な分節能力を放棄せざるをえない残酷な体験なのであり、寛大な納得の仕草によってまわりの者たちと同調することではない。何ものかを知るとき、人はそのつど物語を喪失する。これは、誰もが体験的に知っている失語体験である。言葉が欠けてしまうのではなく、あたりにいっせいにたち騒ぐ言葉が物語的な秩序におさまりがつかなくなる過剰な失語体験。知るとは、知識という説話論的な磁場にうがたれた欠落を埋めることで、ほどよい均衡におさまる物語によって保証される体験ではない。知るとは、あくまで過剰なものとの唐突な出会いであり、自分自身のうちに生起する統御しがたりもの同士の戯れに、進んで身をゆだねることである。陥没点を充塡して得られる平均値の共有ではなく、ときならぬ隆起を前に、存在そのものが途方に暮れることなのだ。この過剰なるものの理不尽な隆起現象だけが生を豊かなものにし、これを変容せしめる力を持つ。そしてその変容は、物語が消滅した地点にのみ生きられるもののはずである。(蓮實重彦『物語批判序説』)
われわれの多くはこのようにしてしか語っていないのであって、すなわち上に掲げたプルーストの言い方ならあらかじめ先入主として植えつけられた「概念」でしか、人に、作品に接していない。蓮實重彦の上の文が分かりにくい人がいるのであるなら、次のような語りの文を附記しておいてもよい。
……かりに自分が自分の批評家であったとすれば、蓮實重彦のこれまでの仕事は、一貫して、魂の唯物論的な擁護であるということになるでしょう。魂の唯物論的な擁護ということが、僕自身にとっての批評の意味でもあるわけです。魂というのは、きわめて具体的な言葉なら言葉の魂ということです。記号でも作品でもいい。文章でもかまわない、それを、ものとして、物質として、それが語られているその場で、みずから輝かせることが批評ではないか。そして、自分自身の言葉が、他人によって輝いたという経験も記憶もないのです。それは、蓮實重彦を語る人の多くが、イメージを介してしか論じていないもどかしさを与えるのですが、もっと困るのは、そのイメージが、僕と適当に似ていることです。そしてその相似によって、魂の唯物論的擁護がいたるところで流産されていると感じる。ということは、批評の魂がものとして輝いていないという意味でもあるわけですが、僕のもどかしさは、むしろ、ほどよい類似にたどりつくしなないイメージの貧弱さです、そしてそのことは、ほとんどの批評について言える弱点となっている。(『闘争のエチカ』)