これは、二三ヶ月前、ある意図があって、さる人物をからかうために書いたものだが、投稿せずのままの文章である。その当時は、こんなことを提示してなにをいまさら、と思ったのだが、在庫整理のため、いまここに掲げる。ただし、わたくしの拙い罵詈雑言の言葉は削除した。
それは、あらためてニーチェの文が秀逸であると感じたことにもよる。
《抒情詩の歌詞と歌曲からあの腸疾患的熱病の暗示を除きさったら、いったい何が抒情詩や音楽に残るのであろうか?・・・ 残るのは、おそらくは芸術のための芸術、すなわち、その沼沢のなかで捨鉢にガアガアと寒さにふるえながら美事な咽をきかせる蛙の鳴き声であろう》
…………
…………
フローベールは『紋切型辞典』の草稿に、次のようなナポレオンⅢ世の発言を記している。
それは、あらためてニーチェの文が秀逸であると感じたことにもよる。
《抒情詩の歌詞と歌曲からあの腸疾患的熱病の暗示を除きさったら、いったい何が抒情詩や音楽に残るのであろうか?・・・ 残るのは、おそらくは芸術のための芸術、すなわち、その沼沢のなかで捨鉢にガアガアと寒さにふるえながら美事な咽をきかせる蛙の鳴き声であろう》
…………
芸術作品の影響は、芸術を創造する状態を、陶酔を、誘発することである。芸術の本質はあくまで、それが生存を完成せしめ、それが完全性と充実を産みだすことにある。芸術は本質的に、生存の肯定、祝福、神化である……ペシミズム的芸術とは何を意味するのか? それは一つの矛盾ではなかろうか?--然り。--ショーペンハウアーは、或る種の芸術作品をペシミズムに奉仕させるとき、誤っている。悲劇は『諦念』を教えるのではない……怖るべき疑わしい事物を描きだすということが、それ自身すでに芸術家のもつ権力や歓喜の本能である。芸術家はそれを恐怖することはないからである……いかなるペシミズム芸術もない……芸術は肯定する(ニーチェ『権力への意志』八二一)
愛のとりことなる者は、事実上、いっそう価値ある者、いっそう強い者となる。
しかも他方この幸福の痴者には飛翼がはえて新しい性能を加え、芸術の扉すら彼には開かれる。抒情詩の歌詞と歌曲からあの腸疾患的熱病の暗示を除きさったら、いったい何が抒情詩や音楽に残るのであろうか?・・・残るのは、おそらくは芸術のための芸術、すなわち、その沼沢のなかで捨鉢にガアガアと寒さにふるえながら美事な咽をきかせる蛙の鳴き声であろう・・・(同上)
…………
フローベールは『紋切型辞典』の草稿に、次のようなナポレオンⅢ世の発言を記している。
一八五二年か五三年ごろ(当時の新聞類を見ること)、セシャンが中心となっている装飾家たちの代表に「皇帝陛下が美術と工芸との間にどんな違いがあるのか」をたずねる。
この草稿は蓮實重彦の『物語批判序説』からの孫引きであり、そこにはこうもある。
「芸術」の定義が蒙る動揺は、二つの側面において進行する。一方では、それを享受する層の飛躍的な増大という現象があり、また他方、増大した享受者たちの趣味に見合った芸術品の質的な低下、及び量産の可能性という事態がある。いってみれば、それまで芸術と思われていたものに酷似した芸術まがいの生産物があたりに氾濫し、軽薄な複製のごとき類似品の群によって、本物の姿が見きわめがたくなってしまったのだ。(蓮實重彦『物語批判序説』P45)
この時期に「芸術」という語彙が生れたので、それ以前は「芸術l'art」などというものはなかった。
フランス語の初期的な成立いらい存在してはいたこの語彙が、今日でいう「芸術」の意味を持つにいたったのは十八世紀に入ってからにすぎない。その場合ですら、中世いらいの技倆、翻訳、熟練といった意味との違いをきわだたせるべく複数型に置かれて、芸術諸ジャンルの意味で文学、絵画、音楽、等々を総称するles artsが用いられていた。しかも、芸術を意味する複数型すらが、十九世紀初頭のフランス社会が蒙った制度や生活様式の変化に見合ったかたちで進行した語彙の飛躍的な増大という現象の中で、新たな単数型としての意味を獲得した……(『物語批判序説』P51)
『物語批判序説』は1985年出版だが、その三年後に上梓された『凡庸な芸術家の肖像』では次のように書かれることになる。
「芸術家」とはいささかも普遍的な存在ではなく、厳密に歴史的な存在である。それは、一八五一年の周辺に大挙して出現した、あの永遠の美などとはいっさい無縁のいかがわしい連中にほかならない。(蓮實重彦 Ⅷ「芸術家は捏造される」P130)
もっとももう一度『物語批判序説』に戻れば、こうもある。
歴史的にみて、その最初の大がかりな出現という点でそれなりの興味を惹かぬでもないこの種の「芸術家」が、すでに十九世紀の初頭から存在していた事実を、一八〇八年版の『俗語辞典』が証言している。ジョルジュ・マトレが報告するその辞典の「芸術家」の項目には、「道化師やこの上なくいかがわしい香具師どもが、パリではしばらく前から芸術家を僭称しはじめている」とある。……『十九世紀パリの新風景』にも「芸術家」の章が含まれていて、「今日の専制君主は芸術家の一語だ。正統的に王位を継承した君主といえども、これほどの臣下を従えてはいまい」という慨嘆が筆者フレデリック・ピアの口から洩れている。「特権的な資質の持ち主による例外的なものであるべき芸術は、いまやあ、誰もが試みるものになってしまった」。それは、青年層をとらえる熱病のようなものだというのである。(『物語批判序説』P64)
『十九世紀パリの新風景』には、「芸術のための芸術」という章があり、そこれでの執筆者シャルル・テグレニは次のように書いている。
《誰もがその由来をよく心得ている美術という言葉のかわりに、芸術という言葉がまかり通っている。……心境小説だの、人に読まれることもない書物の序文で問題となっているのは、もっぱら芸術なのだ。》
『十九世紀フランス語考察』の著者フランシス・ウェが「芸術」、「芸術家」、「芸術的」の三語を、「衒学的にして野蛮な(=語法にそぐわない)」単語だと記すのは一八四三年のことだが、その指摘には明らかに特権化と排除とが作用している。使わぬにこしたことはないのに、ことさらその言葉を口走って他人たちとの違いをきわだたせようとする一群の存在が問題となっているからである。その場合「芸術」とは、具体的な芸術上の一ジャンルというより、興隆期の市民階級に特有の功利主義的な生活様式にさからう、反=社会的な思考と感性のあり方のようなものだ。そうしたものの共有者たちが「芸術家」であり、彼らの特質をきわだたせる側面が「芸術的」ということになる。彼らは、一般の市民たちが前世紀から継承した複数型の「芸術」を排して単数型のそれを選ぶことで、決して未知のものであったのではないこの単語を、形態論的にも意味論的にも新たなものに仕立てあげたわけだ。その際、「芸術」は信奉さるべき抽象的な理想のごときものとなる。それが抽象的だというのは、差異をきわだたせるもろもろの可視的な記号を介してのみ「芸術」が語られ、また語れることによって改めて差異がきわだつという関係が、実体を欠いたかたちで戯れているだけだからである。問題は、彼らはわれわれと同じ領域には暮らしていないという意識の強調にあり、何が単数型の「芸術」であるかを積極的に定義しうる「芸術家」など誰もいはしなかった。その意味で、「芸術」は生活様式や社会構造の変化を反映しつつ増大した語彙の一つであるにとどまらず、社会的な幻想として成立したということができよう。(『物語批判序説』p62)
…………
さて、こうやって「芸術」やら「芸術家」という語彙、あるいは「芸術のための芸術」が貶められる文章を拾ったが、では「人生のための芸術」とは、まず道徳があっての芸術ということだろうか。
あらためてニーチェを引こう、今度は『偶像の黄昏』の「或る反時代的人間の遊撃」第24番には、まずは《芸術のための芸術とは、「道徳などくたばってしまえ!」ということにほかならない》とある。
二十四
芸術のための芸術。――芸術における目的に対する闘争はつねに、芸術における道徳化の傾向に対する、道徳への芸術の従属に対する闘争である。芸術のための芸術とは、「道徳などくたばってしまえ!」ということにほかならない。――しかしこうした敵視にしてすら偏見の優勢をほのめかしている。たとえ道徳のお説教や人間改善という目的が芸術から閉めだされたとしても、それで、芸術が総じて無目的、無目標、無意味、要するに芸術のための芸術――おのれの尻尾に噛みつく一匹の虫――であるということには、とうていならない。「道徳的目的をもつなら、全然目的なしの方がましである!」――そう語るのはたんなる激情にすぎない。これに反して心理学者は問う、すべての芸術は何をするのか? それは賞めるのではないのか? それは讃美するのではないのか? それは選り抜くのではないのか? それは引きだすのではないのか? こうした一切のことで芸術は或る種の価値評価を強めたり弱めたりするのである・ ・ ・これは副次的なことにすぎないのであろうか? それともまた、それは芸術家のなしうるための前提ではなかろうか・ ・ ・? 芸術家の最も下の本能は芸術をめざしているのであろうか、それともむしろ、芸術の意味を、生をめざしているのではなかろうか? 生の願望を? ――芸術は生への大いなる刺激剤である。どうして芸術が、無目的と、無目標と、芸術のための芸術と解されえようか? ――一つの疑問が残っている、すなわち、芸術はまた、生の多くの醜いもの、冷酷なもの、疑わしいものを現わすが、――芸術はこのことで生の苦悩からまぬかれるものとはみえないであろうか? ――そして事実、芸術にこうした意味をあたえた哲学者があった。すなわち、「意志からの解脱」をショーペンハウアーは芸術の総体的意図として教え、「諦念の気をおこさせること」を彼は悲劇の大きな効用としてたたえたのである、――しかしこれはーー私がすでに暗示したことだがーーペシミストの光学であり「悪い目つき」であるーー、人は芸術家自身に訴えなければならない。何を悲劇的芸術家はおのれ自身について伝達するのであろうか? それはまさしく、彼が示すところの怖るべき疑わしいものに対して怖れを知らない状態ではなかろうか? ――この状態自身は一つの願望にほかならない。この状態を見知っている人は、それを最高の敬意をはらって尊敬する。彼はそれを伝達し、彼は、彼が芸術家であり伝達の天才であるとすれば、それを伝達せざるをえない。強力な敵をまえにしての、崇高な艱難をまえにしての、戦慄を呼びおこす問題をまえにしての感情の勇敢さと自由さDie Tapferkeit und Freiheit des Gefühlsーーこの勝ちほこれる状態こそ、悲劇的芸術家が選びとり、彼が讃美するものにほかならない。悲劇をまえにして私たちの魂のうちの好戦的なものはそのサトゥルヌス神祭を祝う。苦悩に慣れている者、苦悩を探しもとめる者、こうした英雄的人間は悲劇をもっておのれの生存Daseinを讃える、――この者にのみ悲劇詩人はこの最も甘美な残酷さの酒を献ずる。―― (ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」『偶像の黄昏』所収 原佑訳 ちくま学芸文庫 p111)
この文章は、冒頭に掲げた『権力への意志』からの文の捕捉として読める。
《芸術はまた、生の多くの醜いもの、冷酷なもの、疑わしいものを現わすが、――芸術はこのことで生の苦悩からまぬかれるものとはみえないであろうか? 》
あるいは、
《何を悲劇的芸術家はおのれ自身について伝達するのであろうか? それはまさしく、彼が示すところの怖るべき疑わしいものに対して怖れを知らない状態ではなかろうか? 》
とあるが、これは夏目漱石とプルーストがほとんど同時期に説明している。
詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近なのは何でも蚊でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠に上のぼった時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟りであるから軽便だと云って侮蔑する必要はない。軽便であればあるほど功徳になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否いなやうれしくなる。涙を十七字に纏まとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉さだけの自分になる。
これが平生から余の主張である。(夏目漱石『草枕』1906)
さてプルーストの『失われた時をもとめて』(1913-1927)である。
プルーストは、《われわれの悲しみが協力した作品は、われわれの未来にとって、苦しみの不吉な表徴〔シーニュ〕であるとともに、なぐさめの幸福な表徴である、と解釈もできる》とする。
悲しみが協力した作品が未来の苦しみの不吉な表徴だと解する第一の見方からすると、作品はもっぱら一つの不幸な愛と考えられ、その愛はさらにほかの不幸な愛を宿命的にまえぶれし、その結果、生活は作品に似ることになり、詩人にはもう書く必要がほとんどなくなるほど、彼はすでに書いたもののなかにこれから起ることの先どりされた形を見出すだろう。そのようにして、アルベルチーヌへの私の愛は、それがどのような相違を見せようとも、ジルベルトへの私の愛のなかにすでに書きこまれていたのであ(る)。(「見出された時」井上究一郎訳 文庫 P381)
しかし、第二の見方からすれば、作品は幸福の表徴なのだ、なぜなら、作品は、どんな恋愛のなかにも普遍は特殊と並存することをわれわれに教えるとともに、また作品は、悲しみの本質を深めるために悲しみの原因である相手を閑却させながら、悲しみにたいする一種の強化訓練によって、特殊から普遍に移ることをわれわれに教えるからである。そういえば、のちになって私が経験しなくてはならなかったように、人は、愛して苦しんでいるときでも、天職がいよいよ自覚されたとなると、仕事の時間中、愛する女がより広大な現実のなかに溶けこむのを非常にはっきりと感じて、ときどき彼女を忘れてしまい、仕事をしながら、自分の恋のことをあまり苦しまなくなる、……同上 P382
ここでの、《愛する女がより広大な現実のなかに溶けこむのを非常にはっきりと感じて、ときどき彼女を忘れてしまい、仕事をしながら、自分の恋のことをあまり苦しまなくなる》と書かれるとき、漱石の《まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否いなやうれしくなる》とほとんど同じことが語られているといってよいのではないか。そしてくり返せば、ここにもニーチェがいる。
……われわれはその苦しみを普遍的な形のもとに考えなくてはならないのであって、そう考えることは、苦しみの束縛からある程度われわれをのがれさせ、すべての人をわれわれの苦痛の共有者にするのであって、そのことはいわば一種のよろこびにならないわけではないのである。(プルースト「見出された時」P383)
ドゥルーズならこの箇所を引用してこう書く。
われわれが反復するのは、そのたびごとに、ひとつの個別的な苦しみである。しかし、反復それ自体は常に楽しいものであり、反復という事実は、ひとつの一般的な歓びを形成する。あるいは、事実は常に悲しく、個別的であるが、そこから抽出される観念は一般的で楽しいものである。なぜならば、愛の反復は、苦しみを歓びに変えるような意識の把握にわれわれが近づく、進行の法則と不可分だからである。われわれは、苦しみが対象に依存しなかったことを認める。それはわれわれが自分自身に向ってする《芸》であり、《道化》でありあるいはむしろ、イデアの罠と媚態と、本質の陽気さであった。反復するひとには悲劇的なものがあるが、反復の行為には喜劇的なものがあり、もっと深いところでは、法則に含まれた反復、あるいは法則の理解からえられる歓びが存在する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』宇波彰訳 P91)