……個人の好き嫌いということはある。しかしそれは第三者にとって意味のあることではない。たしかに梅原龍三郎は、ルオーを好む。そのことに意味があるのは、それが梅原龍三郎だからであって、どこの馬の骨だかわからぬ男(あるいは女)がルオーを好きでも嫌いでも、そんなことに大した意味がない。昔ある婦人が、社交界で、モーリス・ラヴェルに、「私はブラームスを好きではない」といった。するとラヴェルは、「それは全くどっちでもよいことだ」と応えたという。(加藤周一『絵のなかの女たち』「まえがき」より)
ーーというわけで、どこかの馬の骨が、愛する曲を掲げることにする。
「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか。(ロラン・バルト)
◆Naoumoff plays Bach's fugue in e flat minor from WTC1
このBWV853のフーガの演奏、バッハのコラール変奏曲みたいで、ナモコフいいねえ、やっぱりきみに惚れ惚れするよ。テンポにいささかのゆれがあったり、次のフレーズの音がはやく入りすぎたりする箇所があるようにも思えるが、そんなことはまったくどうでもよいことだ。
一見完璧な演奏だって退屈なことはあるのだから。下の演奏群はまともな類である。それでも何度もきいていれば退屈してくる。
・Sviatoslav Richter in Salzburg, 1972 - Bach WTC I (2/4)(BWV853 Fugue 9.32より)
・AFANASSIEV, Bach "THE WELL-TEMPERED CLAVIER" BOOK Ⅰ (2)
(BWV.853 Fuga12.18より)
・Nikolayeva plays Bach (BWV.853 Fuga)
・GOULD BWV853 03:40 8b Fugue in d#
・Prelude and Fugue No. 8 in E-flat minor, BWV 853, from Bach's Well-tempered Clavier, Gulda pianist 04.32より
・Edwin Fischer : Das Wohltemperierte Klavier, Book I, BWV 853 (Bach) 03.22より
ーーバッハのすぐれたフーガというのは完璧でない演奏のほうがいいのではないか? ところどころハッとさせてくれたほうが。曲そのものが完璧なのだから、ナモコフのようにドモったり早口になるほうが。
…………
いささか許しがたい。
・Maurizio Pollini - Bach Well Tempered Clavier Book 1 33.11より
シフには恨みはないが、くりかえしてききたいとは思わない(これは1984年版であり、最近の録音はしらない)。
・SCHIFF, Bach "THE WELL-TEMPERED CLAVIER" BOOK Ⅰ (2) 3.40より
…………
◆Naoumoff's transcription of Bach's Cantata 202
シュワルツコップBWV 202「しりぞけ、もの悲しき影』(Weichet nur, betrübte Schatten)」(結婚カンタータ)に行き当たったから貼り付けておこう。
やっぱり、でも、ナウモフの演奏のなかでは、このフォーレがいいけどさ。
◆Faure Andante Opus 121
→Faure, String Quartet, Movement 2
このあたりの曲から、一生のがれられそうもない。だが、「それは全くどっちでもよいことだ」。
◆J. S. Bach BWV 731, BWV 625, BWV 622, BWV 665 Organ Chorale Preludes by Albert Schweitzer