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2015年3月2日月曜日

従軍記者と美的趣味耽溺者

偉大な人間は必然的に懐疑家である。あらゆる種類の確信にとらわれぬ自由さが、彼の意志の強さに属している。信念を欲しがること、肯定においてにしろ否定においてにしろ、とにかくなにか無条件的なものをほしがることは、弱さの証明である。ところであらゆる弱さは意志の弱さなのだ。信念居士は必然的に小さな人間種族である。ということはすなわち「精神の自由」、換言すれば、本能としての不信は、偉大さの前提にほかならぬ。(ニーチェ『権力への意志』936番)
「哲学は何の役に立つのか?」と問う人には、次のように答えなければならない。自由な人間の姿を作ること。権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発すること、たったそれだけのこととはいえ、いったい他の何がそれに関心をもつというのか。(ドゥルーズ『意味の論理学』)

こういったことは引用するのは簡単である。すなわち簡単なのはこのように引用して、この〈私〉は「自由」を考えているというふりをすることだけである。

さらにはこう引用してもよい。

もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』)

われわれの「自由」の問いそのものが、時代や文化のパラダイム、すなわち《我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられている》のであるから、そのパラダイムを疑わねば「自由」などと言うことはできない。しかも現代のパラダイムは「新自由主義」というイデオロギーである。だがその問いをここで掲げるのはやめにしよう。一応そこまで考えている「ふり」をするために、「「エンロンEnron社会」を泳がざるをえない「文化のなかの居心地の悪さ」」を参照せよと〈あなたがた〉に提示しておくだけにしておこう。とはいえたいしたことが書かれているわけではない。

そもそもこのわたくしは、なぜ下らぬメモ程度のことを「律儀に」毎日のように公表しているのであろうか、――これももちろん偽の、捏造された問いである。「ひまつぶし」に決まっている。――《たんに学者たちのひまつぶしであると・ ・ ・》(ニーチェ『反キリスト者』)。いやわたくしは〈学者たち〉の一種族ではないが、彼らの猿真似して、にわか教育者、にわか知識人のふりをしてみたいのではないだろうか。

教育のプロセスの基本論理……「飼い慣らされていない」対象(「社会化されていない」子ども)に知を植えつけることによって、主体を作り出すのである。この言説の「抑圧」された真実は、われわれが他者に分与しようとする中立的な「知」という見かけの背後に、われわれはつねに主人の身振りを見出すことができるということである。(ジジェク『斜めから見る』

もちろん、カシコイ人は、すぐさまおわかりであるように、これらの問いも、真実をいってそうでないと思わせる手口である。

フロイトの『機知』には、真実を言って--「真実のふり」をしてーー、相手を騙そうとする話がある。

あるガリツィア地方の駅で二人のユダヤ人が出会った。「どこへ行くのかね」と一人が尋ねた。「クラカウへ」と答えた。「おいおい、あんたはなんて嘘つきなんだ」と最初の男がいきり立って言う。「クラカウに行くと言って、あんたがレンベルクに行くとわしに思わせたいんだろう。だけどあんたは本当にクラカウに行くとわしは知っている。それなのになぜ嘘をつくんだ?」(フロイト『機知』

ひとは、彼はこういっているから、たぶんこうでないだろう、と憶測することがある。その心理を逆手にとって、真実を言って相手を騙す、騙さないまでも韜晦する。これは、わたくしの「常道」である、おそらく〈あなたがた〉と同様に。

――仮装服として何を選びますか?

私の顔に、私の顔の仮面を着ける。そしたら、みんな私の振りをしている誰かで、私ではないと思うだろ。(ジジェク

とはいえ、まさかわたくしともあろう者が、〈あなたがた〉たちのなかに溢れかえるあの種族、ーーニーチェ流にいえば「美しい魂」の持ち主たち、すなわち《完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども》ーーのように、人の役に立ちたい、美しいものを伝えたいなどと大嘘をいうほどには落ちぶれていない。

こう自問してみるのも、いくらか正当のことであろう、人類をかくも長期にわたっても盲目たらしめつづけたきたのは、もともと一つの美的趣味ではなかったのかと。すなわち、人類は、真理から絵のように美しい効果をのぞんだのであり、同じく認識者からは、その効果が官能に強くはたらきかけることをのぞんだのである。私たちの謙譲は早くから彼らの趣味に反していた・ ・ ・(ニーチェ『反キリスト者』13番

だが、残念なことに「沈黙」できる境地にまでは至っていない。これはインターネットへの「書き込み病」とでもいうべきものか。すなわち、大量の馬鹿が書くようになった時代」の囚人であり、まったく「自由」ではない。

「現在地球に暮らす人々がこんなにまで活字に接している時代は人類史上」なく、「読むという秘儀がもたらす淫靡な体験が何の羞恥心もなく共有されてしまっているという不吉さ」(蓮實重彦『随筆』)が渦巻く時代である。

創造的でない時に沈黙できるのは成熟した人、少なくとも剛毅な人である。大沈黙をあえてしたヴァレリーにして「あなたはなぜ書くのか」というアンケートに「弱さから」と答えている(彼は終生金銭に恵まれなかった)。(中井久夫――「自己模倣と自己破壊」より)

中井久夫はヴァレリーの「弱さから」という応答を、金のためだと読み取っている。わたくしはまったく金のためではないが、どうもいささかのところ《己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消》しているのではないかという疑念からは免れがたい(もちろんこの言い草も真理の仮装による欺瞞でありうる)。

すぐれた人と呼ぱれる人は自分を欺いた人である。その人に驚くためにはその人を見なければならない――そして、見られるためには姿を現わさなけれぱならない。かくしてその人は自分の名前に対する愚かな偏執にとりつかれていることをわたしに示すのだ。そのように、偉人などといわれる人はすぺて一つの過誤に身を染めた人である。世にそのカが認められるような精神はすぺて己れを人に知らせるという誤ちから出発する。公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。

そこでわたしは夢想した。もっとも強靱な頭脳、もっとも明敏な発明家、思考のなんたるかをもっとも正確に認識している人々はすべからく無名の人であり、己れを惜しみ、己れを語ることなく死んでゆく人でなくてはならい、と。そうした人々の存在にわたしの目が啓かれたのは、ほかならぬ、やや志操の堅固さに欠けるがゆえに、名声が赫々として世に現われた人々の存在そのものによってである。(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』)


 というわけだが、さて何の話であっただろうか。このところ荷風をめぐってメモしているのだが、次の文章を引用したいだけである。

ぼくがお金をためているって、ケチだとかなんとか、言っているそうですが、ぼくがお金を ためているからこそ、戦時中、10年間1枚もの原稿も売れず、一文の印税収入もない時代、 僕は他人に頭1つ下げないで、思い通りの生活ができました。いまは平和です。平和の声 の裏には戦争がありません。それは紙一重のものなんですよ。だから、作品が売れる時は、 売れるだけの貯金をしておきます。人間の一生には浮き沈みということがあります。(永井荷風

戦争中、いわゆる思想家やら文学者、批評家たちが「転向」してしまったあとも、荷風は世間に媚びずに生活できた。それは「金」があったせいだ、と言っていることになる。当時は殆んどだれもかれもが「従軍記者」であったのだ。だが「従軍記者」は戦争中でなくても棲息し続ける。

従軍記者になるための条件は、それが一般的に保守的と呼ばれるものであれ革新的と呼ばれるものであれ、きまって人類の大義と真実の二語を口にし、それを口にすることでみずからの成熟を確信し、いまある自分自身を肯定し、しかも強要されたわけでもないのに、他者の群に向かってそう物語ってみせる人間のことである。たえて久しく戦争など起こっていないというのに、現代の日本社会にも多くの従軍記者が棲息している。誰もが知っているあの批評家も、あの小説家も従軍記者そのものではないか。あるいはあの国のあの哲学者、あの人類学者も従軍記者ではないか。実際、現代とは、意識的であると否とを問わず従軍記者の時代なのだ。(……)

彼らは、一様に何ごとか貴重なものが喪われたという思いを心のかたすみに隠し持っている。しかも、その崩壊の意識が、成熟の実感と彼らのうちで深く結びついている。だが、成熟にせよ喪失にせよ、それを口にしうるのは従軍記者へと変容する芸術家に限られている。それを幻想と呼ぶか否かはともかくとして、少なくとも、この成熟と喪失が具体的に歴史を分節化しているのではなく、大義と真実の二語を口にしたものだけにみえてくるものだという意味で、それは一つの世代的な虚構なのである。人類の大義の名のもとに真実を顕揚したりする人間はきまってこの虚構の中に身を閉じこめ、従軍記者という名の作中人物をみずから演じ始めることになるだろう。この役割はきまって政治的なものであり、それを演じるのもきまって芸術家たちなのだ。従軍記者の役が真剣に演じられれば演じられるほど、その演技は政治的な色調を帯びることになるだろう。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

ここで芸術家とあるのは知識人のことである。

彼らが演じてしまう政治的な役割が一つの力を帯び始めるとき、従軍記者は新たな名前を獲得する。それは知識人という名前である。知識人とは、従軍記者の役を真剣に演じながら、こうした政治的な虚構の説話論的な要素にすぎない人類の大義や真実に殉じようとする芸術家にほかならない。こうした定義にあてはまる知識人は現代にしか存在しない歴史的な生産物である。それは、たとえば中世の知識人だの江戸時代の知識人などとは、説話論的な機能において異なっている。そして、しばしばそう口にされることで現代の特質を明らかにしうると信じられている知識人の終焉の知識人とは、現代に生きのびていた中世的な、あるいは江戸時代的な知識人にほかならず、今日の社会には、過去の自分を否定することで従軍記者の役割が真剣に演じうるものと錯覚している芸術家たち、つまり知識人があふれているのである。その知識人たちの政治的な役割を明らかにするためには、彼らに共通する資質としての凡庸さの構造を明らかにしなければならない。特権的な知識人の終焉を口にすることはいささかも歴史を明らかにしはしない。それは、歴史から目をそらすための恰好の口実にすぎず、それこそ凡庸な芸術家にふさわしい政治的な虚構というものだ。(同上)

この蓮實重彦の「従軍記者」から、小林秀雄が1938 年 3 月に『文芸春秋』従軍記者として渡中したことを想い出さない人物たちも最近は棲息するだろうから、こうやって書いておくが、これは、《「飼い慣らされていない」対象(「社会化されていない」子ども)に知を植えつけ》ているのではなかろうか、すなわち《中立的な「知」という見かけの背後に》主人の身振りを見いださないだろうか?


で、いまはなんの話であったか。「自由」の話である。ここではより格調高くトルストイを引用することにしよう。

『アンナ・カレーニナ』における、アンナの愛人ヴロンスキーと、ヴロンスキーと同じ名門出であり、軍務において大抜擢を受けて彼より数段上に昇格したばかりの友人セルプホフスコイとの、権力者たちの陰謀をめぐっての会話からである。

「でも、いったい、なぜだい」ヴロンスキーは、権力をもっている数人の名前をあげた。「でも、なんだってこうした連中は独立心にもえていないというんだね?」「それはただ、あの連中が財政的に独立していないからさ。いや、生まれながらにして、持っていなかったからさ。まったく財産を持っていなかったんだね。われわれのように太陽に近いところで生まれなかったからさ。あの連中は金なり恩義なりで、買収することができる。だから、あの連中は自分の地位を維持するために、主義主張を考えだす必要があったわけさ。そのために、自分でも信じていない、この世に害毒を流すような思想や主義を振りまわすが、そうした主義もただ官舎とか、いくらかの俸給にありつくための手段なんだからね。あの連中のトランプの手をのぞいてみれば、それほど巧妙なものじゃない…ひょっとすると、ぼくはあの連中よりばかで、劣っているかもしれないが、しかし、ぼくがあの連中より劣っていなくちゃならんという理由も、べつに見あたらないね。ところが、ただ一つまちがいなく重大な長所は、われわれはあの連中よりずっと買収しにくいってことだよ。そういう人間が今とても必要なんだよ」(トルストイ『アンナ・カレーニナ』木村浩訳 新潮文庫 (中)p140)

さあて、現在日本に買収しにくい連中が、どこかにいるだろうか。老人のなかにはひょっとしているのかもしれないが、それ以外にはどうなのだろうか? わたくしはツイッターにおいてしか日本人に出会うことはないので、よくわからない。ツイッターでなにやら書き込んでいる連中は、「従軍記者」か、従軍記者予備軍の小便くさいガキ、あるいは、《人類をかくも長期にわたっても盲目たらしめつづけたきた》美的趣味に耽溺する輩ばかりであり、不幸にして、それ以外の方にめったに遭遇することはない。

その老学者はまわりの騒がしい若者たちを眺めていたが、突然、このホールのなかで自由の特権をもっているのは自分だけだ、自分は老人なのだから、と思った。老人になってはじめて人は、群集の、世間の、将来の意見を気にせずともすむ。近づいてくる死だけが彼の仲間であり、死には目を耳もないのだ。死のご機嫌をうかがう必要もない。自分の好きなことをし、いえばいいのだ。(クンデラ『生は彼方に』)

…………

※附記

現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。(ドゥルーズ『フーコー』「褶曲あるいは思考の内(主体)」)
能動的に思考すること、それは、「非現働的な仕方で、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである」。(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)
知識人の仕事は、ある意味でまさに、現在を、ないこともありえたものとして、あるいは、現にあるとおりではないこともありえたものとして立ち現れさせながら語ることです。それゆえにこそ、現実的なもののこうした指示や記述は、「これがあるのだから、それはあるだろう」という形の教示の価値をけっして持たないのです。また、やはりそれゆえにこそ、歴史への依拠――少なくともここ二十年ほどの間のフランスにおける哲学的思考の重大な事実の一つ――が意味を持つのは、今日そのようにあることがいつもそうだったわけではないことを示すことを歴史が役割としてもつかぎりにおいて、つまり、諸事物が私たちにそれらがもっとも明白なのだという印象を与えるのは、つねに、出会いと偶然との合流点において、脆く不安定な歴史の流れに沿ってなのだということを示すことを歴史が役割として持つ限りにおいてなのです。(『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅸ 1982-83 自己/統治性/快楽』)

以下はここでの文脈からはいささかはずれるが、「民主主義」とは、働かない人々によってはじめられた、との中井久夫の文がある。金のために働かざるをえない者たちに、真の「自由」などというものがありえるだろうか、と問うてもよい。

近代医療のなりたちですが、これは一般の科学の歴史、特に通俗史にあるような、直線的に徐々に発展してきたというような、なまやさしい道程ではありません。

ヨーロッパの医療の歴史は約二千五百年前のギリシャから始めるのが慣例です。この頃のギリシャは、国の底辺に奴隷がいて、その上に普通の職人と外国人がいて、一番上に市民がいました。当時のギリシャでは神殿にお参りしてくる人のために神殿付きドクターと、一方では奴隷に道具一式をかつがせて御用聞きに回るドクターとがありました。

ドクターの治療を受けられたのは中間層であって、奴隷は人間として扱われていなかったのでしばしば病気になってもほっておかれました。市民は働かないで、市の真中の広場に集まって一日中話し合っているんです。これが民主主義の始まりみたいな奇麗ごとにされていますが、働かない人というのはものすごく退屈していますから、面白い話をしてくれる人が歓迎されます。そこでは妄想は皆が面白がって、病気とはみなされなかったようです。いちばん上の階級である市民が悩むと「哲学者」をやとってきて話をさせます。つまり当時の哲学者はカウンセラーとして生計を立てているのです。この辺はローマでも同じです。ローマ帝国は他国を侵略して、だんだん大きくなってきます。他国人を捕えて奴隷として働かせ、消耗品として悲惨な扱いをしていました。暴力の発散の対象に奴隷がなって、慰みに殺されたりしています。……(中井久夫「近代精神医療のなりたち」  『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕 P159 広栄社)

新自由主義時代のバイブルとして、米国でよく読まれているアイン・ランドの書から抜き出しておこう。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)

…………

あらゆる科学だろうと哲学だろうと結局取引関係にいくわけじゃないですか  だから取引関係に基づいて科学も経済も すべてができている これこそ問題じゃないですか?
(……)

でもそのね すべてがビジネスにもとづいているということがますますはっきりしてきたというのは ひとつの文明の衰えていく過程で露になってきた そういう事実  言葉があれだけど 

つまり 文明が盛んなときは別に取引だろうがなんだろうが そういうことはいわなかったし それで成り立ってたわけですよ  それで 今すべてがビジネスだというようなことになったときに そこから何か生まれてくるということはこれ以上ない 儲かる人は儲かるし 力のある人はもっと力があるし そういうようなことでしかないわけでしょ  そうすると そういうことをいくら批判したって始まらないわけだから  どういうふうに違うものがあるかということになりますね

――高橋悠治×茂木健一郎 「他者の痛みを感じられるか」