「荷風先生という方はとても変った方だよ。立派なお邸に住っていらしって、優しく、丁寧なものごしの方だけど、その御家の荒れていること、雑草がもう背よりも高く茂ってて、まるでお化け屋敷のようだったよ」
この文を引用しつつ、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(川本三郎)にはこうある。
荷風の庭好きはだから極端にいえば、言葉(文化)としての庭好きであって、実際に、庭や草花が好きというのとは少し違う。現実の庭いじりよりも、荷風にとっては、日記に「庭の落葉を掃ふ」「雨の晴れ間に庭の雑草を除く」と書き記すことが大事なのである。
事実、本当に庭好きならば偏奇館の庭はいつもきれいに整えられている筈だが、実際にはそうではなかった。
断腸亭日乗 大正14年11月16日より。
毎朝二階を掃除して後、暇あれば庭に出で草を抜き葉を掃ふ時、必思出すは伊澤蘭軒が掃庭の絶句なり。
すなわち、次ぎの文である。
わたくしは更に細に詩集を検して、箒を僮僕の手に委ぬることが、蘭軒のために奈何に苦しかつたかを想見した。文化己巳は蘭軒の猶起行することを得た年である。当時の詩中に「掃庭」の一絶がある。「手提筅箒歩庭隅。無那春深易緑蕪。刈掃畏鏖花草去。頃来不輙付園奴。」(森鴎外『伊沢蘭軒』)
ふたたび、断腸亭日乗から抜き出せばかくの如し。
「庭の落葉を掃ふ」(大正9年10月15日)、
「庭を掃ふ」(大正13年4月23日)、
「午後小園の落葉を掃ふ」(同年11月19日)、
「庭を掃ふ」(大正13年4月23日)、
「午後小園の落葉を掃ふ」(同年11月19日)、
「掃庭半日」(大正14年3月21日)、
「曇りて風なし。落葉を掃ふ」(同年11月12日)、
「今日も風静なるを幸落葉を焚きて半日を消す。毎年立冬の後、風なき日を窺ひ落葉を焚きつゝ樹下に書をよむほど興趣深きはなし」(同年11月22日)、
「昨日の烈風に落葉庭を埋む。掃うて焚く」(同年12月3日)、
「庭の落葉を焚く」(昭和19年9月10日)、
「庭の落葉を焚く」(9月14日)、
「掃庭半日」(10月11日)、
「庭に出で枯枝を焚きて飯を炊き得るなり」(11月13日)。
前回も引用したが、これは荷風の「庭を掃ふ」人格とでもいうべきものだろう。
日記も、読まれることを予想して書かれることがしばしばある。永井荷風の『断腸亭日乗』やジッドの『日記』は明らかにそうであろう。精神医学史家エランベルジェは、日記を熱心に書きつづける人には独立した「日記人格」が生まれてくると言っている。日記をつける人も読む人も、このことは念頭に置くほうがよいだろう。(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」『日時計の影』所収)
こういったことは荷風の日記だけ読んでいても、なかなか気づきにくい。もし〈あなた〉がすべての書き物を小説を読むようにして読むという訓練をしていなかったら。
ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。(『彼自身によるロラン・バルト』ーーこの「私」に何の価値があるのでしょう?)
わたくしも、どちらかというと荷風の日記を、いわゆる「マジ」で受け取って読んできた「マヌケ」系である。
だが、たとえば次ぎの文を読めば、荷風の言葉の使い方がーー少なくともそのある割合はーーどのようなものであるかは、推測できる。
わたくしが梅花を見てよろこびを感ずる心持は殆ど江戸の俳句に言尽されている。今更ここに其角嵐雪の句を列記して説明するにも及ばぬであろう。わたくしは梅花を見る時、林をなしたひろい眺めよりも、むしろ農家の井戸や垣のほとりに、他の樹木の間から一株二株はなればなれに立っている樹の姿と、その花の点々として咲きかけたのを喜ぶのである。いわゆる竹外の一枝斜なる姿を喜び見るのである。
梅花を見て興を催すには漢文と和歌俳句との素養が必要になって来る。されば現代の人が過去の東洋文学を顧ぬようになるに従って梅花の閑却されるのは当然の事であろう。啻に梅花のみではない。現代の日本人は祖国に生ずる草木の凡てに対して、過去の日本人の持っていたほどの興味を持たないようになった。わたくしは政治もしくは商工業に従事する人の趣味については暫く擱いて言わぬであろう。画家文士の如き芸術に従事する人たちが明治の末頃から、祖国の花鳥草木に対して著しく無関心になって来たことを、むしろ不思議となしている。文士が雅号を用いることを好まなくなったのもまた明治大正の交から始った事である。偶然の現象であるのかも知れないが、考え方によっては全然関係がないとも言われまい。(永井荷風『葛飾土産 』)
一読奇妙な言い方である。漢文と和歌俳句との素養なければ梅花を愛でることはできないのか、とひとまずは反撥してみたくなる。だが、《われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念なのである》(プルースト)と補っておこう。
そもそもわれわれは、古来の日本文学をめぐって、柳田国男=柄谷行人によって次のような指摘をすでに知ってしまっている。
実朝も芭蕉もけっして「風景」をみたのではない。彼らにとって、風景は言葉であり、過去の文学に他ならかなった。柳田国男がいうように、『奥の細道』には「描写」は一行もない。「描写」とみえるものも「描写」ではない。(柄谷行人『日本近代文学の起源』)
で、なにがいいたいというのだろう。ことわっておくが、わたくしは荷風好きだ。上のようなことが漸くわかってきたにもかかわらず。なぜ荷風好きなのかは、おそらくもっと追求してみなくてはならない。追求したってわからないかもしれない。そもそも「追求」などという言葉は戯言である。ここでは別の話を書く。
わたくしは、ツイッターなどでも、他人のツイートを荷風の日記を読むようにして、すなわち疑いつつ眺めることが多い。もっとも、《精神科医なら、文書、聞き書きのたぐいを文字通りに読むことは少ない。極端に言えば、「こう書いてあるから多分こうではないだろう」と読むほどである》(中井久夫『治療文化論』)というほどではない。
「言葉が軽い」のと「言葉に軽みがある」のとは断じて違う。無闇と振り回さないと決めて大事にしている語彙はあるか? 安易に流れるから絶対使わない言葉は?重々しい言い方で、だらしない共感をもとめていないか? 純粋素朴を装い、自らの密かな欲望から目をそらして言葉を使っていないか? (佐々木中)
たとえば、文学好きのホモセンチメンタリスが、「静謐」という言葉を耽溺したようにして使うとき、わたくしはひそかに「性膣」と読み替えてニヤニヤするということは以前書いた(参照:「ちゃんとウンコはふけてるかい 弱虫野郎め」)。ここでの「文学好き」とは、もちろん、《文学はあらゆる夢物語への否定であることを知らない連中の愚昧》(丹生谷貴志)という意味での「文学好き」である。
では、わたくしの「荷風好き」というのも愚昧の一種であろうか。おそらくその部分はあるに相違ないのだが、それに抵抗して、なおかつ荷風を愛するというのなら、なんなのだろうか。それを書かなければ、「愚昧」のままである・ ・ ・
そもそも、わたくしは、三文詩人ーーそれは名の知れた詩人も含まれるーーなどの詩にもひどくイライラすることが多い。
深遠な知能を持った仮借ない資質の人は文学に興味を持ち得るであろうか?どのような関係?そして彼は自分の心のどの部分に文学を置くだろうか?( ヴァレリー)
…………
・プラトンの評判には傷がついている。詩人どもはポリスから放逐されるべき、と主張したか らだ。――いや、ユーゴスラビア分裂体験を経た今から判断するなら、これはむしろ良識 あるアドバイスだったというべきか。
・「大他者」としての言語は、われ われが波長を合わせるべきメッセージを携えた知の代理人ではない。言語は常軌を逸した無関心と愚行の場なのだ。言語に対する折檻のもっとも初歩的な表現形式、それは詩と呼ばれている。(ジジェク「詩に歌われる言語の折檻所――いかにして詩は民族浄化と関係するか」)